ノート:高部眞規子
正しい名前
[編集]著書や論文によると、「眞規子」が正しいと考えられるので、5日間(120時間)経過して異論がなければ移動依頼をします。--ZCU(全中裏 改め) 2007年5月28日 (月) 14:46 (UTC)
REDIRECT処理もよろしくお願いします。Poo-T 2007年5月31日 (木) 02:51 (UTC)
了解です。自動的にされると思いますが、されなかった場合は「高部真規子」→「高部眞規子」のリダイレクトを作成します。--ZCU(全中裏 改め) 2007年6月1日 (金) 14:51 (UTC)
移動依頼をしました。--ZCU(全中裏 改め) 2007年6月3日 (日) 15:40 (UTC)
移動完了しました。--ZCU(全中裏 改め) 2007年6月21日 (木) 14:31 (UTC)
「ゾロ」の表現について
[編集][[後発医薬品]]を[[ゾロ]]に書きかえる方がいますが、曖昧さ回避ページにわざわざリンクする必要はありません(どうしても「ゾロ」を使いたいのであれば、[[後発医薬品|ゾロ]]とすべきです)。いずれにせよ、「ゾロ」は後発メーカを侮蔑するニュアンスを含んでいるので、中立的な言葉ではありません。したがって、「後発医薬品」を使用すべきです。「ゾロ」という言葉が存在することは、「後発医薬品」の項で説明されているので、ここで説明する必要は一切ありません。
これ以上、不適切な編集がされるようであれば、対象者への投稿ブロック依頼も検討しますので、ご留意ください。--ZCU 2007年9月1日 (土) 03:54 (UTC)
出身地について
[編集]この版以降の記述によると島根県出身とのことですが、池添徳明ほか『裁判官Who's Who 首都圏編』p.121(現代人文社、2004年)には山梨県出身とあります。どちらが正しいのでしょうか。--ディドロの甥 2007年11月3日 (土) 21:56 (UTC)
- 「島根県」については、参考文献にも挙げている経歴総覧で確認したつもりですが、事実関係に疑義が生じてきましたので、事実が確定するまでは、いったん消去することとしましょう。おそらく「出身地」の解釈の違いによるものでしょうか。ご指摘ありがとうございました。--ZCU 2007年11月20日 (火) 18:29 (UTC)
- 経歴総覧を再度確認したところ、山梨県となっていました。どこでどう間違えて島根県と書いてしまったのかわからないのですが、以後気をつけます。ご指摘ありがとうございました。--ZCU 2007年12月3日 (月) 15:32 (UTC)
- 出身について訂正がなされている件に関してなのですが、内部の記述で「島根県内の高校」出身との記述があり、整合性がまだ取れていないと思います。--202.211.129.59 2007年12月19日 (水) 05:19 (UTC)
- 経歴総覧を再度確認したところ、山梨県となっていました。どこでどう間違えて島根県と書いてしまったのかわからないのですが、以後気をつけます。ご指摘ありがとうございました。--ZCU 2007年12月3日 (月) 15:32 (UTC)
私は高部さんと島根県で小学校から高校まで同じ学校に通っていましたが、彼女は島根県出雲市の出身に間違いありません。
- 2つの文献で「山梨県」とされている以上、Wikipedia:検証可能性によれば、ウィキペディアには「山梨県」と記載せざるをえないと思います。--ZCU 2008年9月10日 (水) 13:23 (UTC)
しかし、私は彼女の幼なじみであり、彼女の実家も、ご両親もよく知っています。正しい表記をすべきでしょう。 9月4日に高部さんは出雲に帰ってきて出雲高校で講演したので、そのときに本人に聞いたところ、ご主人が山梨県出身なので、結婚して本籍が山梨県になっているため、誤記されているのではないかとのことです。 実は出雲市内では彼女がWikipediaで誤って山梨県出身となっていることが問題になっているほどです。 第一、高校が出身高校が出雲高校となっているのに、山梨出身というのはおかしいでしょう。
- 了解しました。貴方のご証言は、非常に具体的なものであることから、信じることにします。今後、少なくとも私は、「山梨県」に書き換えることはしません。お手数をかけて申し訳ありませんでした。
- ただし、一般論としてきいていただきたいことがあります。あくまでも一般論です。
- いくら貴方が、「私は高部さんと幼馴染であり、出雲市出身であることは間違いない」と主張されたところで、ここに書かれた貴方の文章を読む第三者(私を含む)は、貴方が誰であるかもわからないし、本当に高部さんの幼馴染であるかどうかも判断しようがないのです。そうすると、貴方の証言が正しいか否かを、われわれ第三者が検証する手段は、不特定多数に公表されている文献を参照する他はありません。そして、実際に文献を調査してみれば、2つの異なる文献に「山梨県」と記載されている以上、それを信じる他はなかったのです。
- Wikipedia:検証可能性には次のようなことが書かれています。
- 検証可能であることと真実であることの違いは、次の例で見ればよくわかるでしょう。あなたは、ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。
- 以上、ご理解いただければ幸いです。なお、出身地とは出生地であると解すれば、山梨県出身であることと、出雲高校出身であることは、矛盾しないと考えます。--ZCU 2008年9月12日 (金) 13:57 (UTC)
高部氏の「評判」について
[編集]ディドロの甥氏による2007-11-03T21:52:55の加筆で『裁判官Who's Who 首都圏編』p.121(現代人文社、2004年)を「出典」として「評判」が加筆されていますが、ずいぶん中立的な観点から外れた、片手落ちな記述ではないでしょうか。出典を確認していないのでこの要約もしくは引用の正確性は分かりまんが、もしプラスの評価を全くせずネガティブな「評判」しか書いていない書籍だとしたら、信頼できる情報源とは言えないのではないかと思いました。
履歴をチェックしたら、Poo-T氏による2007-05-28T01:53:24の初版でも似たような「評判」が書かれていました(KSTK「高部眞規子判事への誤った評価」参照)が、これは直後に除去されています。ネット上での評判が芳しくない原因はこちらあたりを見るとわかる気もするのですが。
存命人物記事でネガティブな評判のみを掲載し続けるよりは、両論併記できるようになるまで一方的な「評判」はコメントアウトしておくよう提案します。--miya 2008年9月21日 (日) 01:12 (UTC)
- ご指摘もっともだと思いますので、とりあえず消去しておきました。裁判官は、生い立ちや私生活の部分があまり外に出てこないので、記事が書きにくいですよね。単独立項する程度の特筆事項があるかについても、疑問が残ります。--ZCU 2008年9月23日 (火) 01:38 (UTC)
主な判決
[編集]エーザイ「セルベックス」事件以外は、高部氏の名前が説明中にないのですが、どういう形でかかわっていたのか(私のような)素人にも分かるように「東京地裁の高部真規子裁判長は」などとはっきり書けないでしょうか。--miya 2008年9月21日 (日) 01:12 (UTC)
- 提案に応えないコメントで申し訳ありませんが、「主な判決」の項を消去するというのはどうでしょう。地裁の裁判官ですから、多数の事件を扱っており、中には取るに足らない事件も含まれます。今後、執筆者が関心を持つ事件が次々に追記されていきそうな懸念があります。--ZCU 2008年9月23日 (火) 01:38 (UTC)
- 羅列はやめて、「知的財産関係訴訟のエキスパート」ということがよく伝わるような判例を一つか二つ、例示してはどうでしょうか。消去にも反対はしません。--miya 2008年9月23日 (火) 04:16 (UTC)
判決の資料的価値
[編集]最近の日本の裁判では当事者の主張が判決に正しく書かれず、隠蔽、改竄、捏造がなされることがあります。従って判決の二次資料としての価値はゼロです。判決を鵜呑みにした報道記事・研究記事にも資料的価値はないので、それらに依拠してウィキペディアの記事を執筆することはやめなければなりません。訴状・答弁書・準備書面などの一次資料を参照し検証するのは必須の作業です。
さて、一次資料を用いて執筆された『ツェッペリン飛行船と黙想』事件に関する文章が内容を検証されないまま削除されました。復活させ、有志の方々に検証と訂正をしていただくのが最良の策だと思います。記録の保存期間は残っています。いかがでしょうか。--'(ad8j(会話) 2020年4月22日 (水) 08:34 (UTC)
通説表示の是非
[編集]通説・判例・常識に反する判決を下した事実を記載することが当該裁判官に対する一方的評価に当たると考える人がいるようです。しかし通説や判例は関連書籍に書かれていますので個人的な意見とは異なります。書いた方が専門外の方々にも理解しやすいでしょう。また、善悪はともかく通説との乖離がその裁判官の個性ですから、個性が現れている判決の記述を個人の記事から除去するのは本末転倒です。
しかし『ツェッペリン飛行船と黙想』事件に関する記述をすべて無言で削除する人が現れたことから、何らかの配慮が必要だと考え、通説を除去した版を新たに投稿しました。ご了承ください。--'(ad8j(会話) 2020年4月30日 (木) 08:07 (UTC)
るーてさんの編集について
[編集]「独自研究は載せない」は「未公表の情報を書いてはいけない」、「出典を明記しなさい」という意味です。『ツェッペリン飛行船と黙想』事件に関する記事は事件記録を出典としていると明記されています。
この記事は事実を列挙したもので、評価や意見は書かれていません。従って中立性に欠けるという指摘も当たりません。おそらく判決が中立性を欠いているために、誤解が生じたのでしょう。
他の事件でも記事がすべて除去されたことがありますが、そのようなことをすると「裁判所に近い人が誤判を隠蔽した」と受け取られます。中立的な人が誤判だと思うのであれば、事件の公共性を認めるはずですから、そんなことをするはずがありませんし、判決を正当と思う人なら何もしないでしょう。
記事を修正するのであれば、ウィキペディアのルールだけでなく、関連法規(この事件の場合は著作権法と民事訴訟法)と類似事件の判例(『地のさざめごと』事件判決等)を理解し、更に関連著作物(上林暁の作品など)に親しんだ上、事件記録を閲覧して、記述を検証する必要があります。何よりも両当事者の主張が正確に記載されているか、そして判決で裁判所が特定の当事者に独自の攻撃を加えていないか確認しなければなりません。判決と記事の当否の判断はそれからです。
るーてさんの編集を見て通説表示の必要を感じました。それが中立性の一つの指標だからです。通説に不快感を示す人の方が偏っている可能性が高いので、そのような人たちに配慮するのは逆に不公平になってしまいます。ですが、今回は除去された記事の回復に留めました。--'(ad8j(会話) 2020年12月17日 (木) 14:30 (UTC)