ノート:魔球

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「魔球」の語源[編集]

読売新聞のデータベースを調べたところ、大正2年頃から新聞記事で「魔球」という表現が登場します。 また1931年(昭和6年)5月21日の朝刊に、『「魔球」の語源』という記事があるので、本文に載せます。118.109.239.199 2009年9月12日 (土) 15:55 (UTC)[返信]

もう少し語源について詳しく書きました。ただ、「変化球」という言葉がいつ頃から使われだしたのかはまだ調査中です。遅くとも1950年代後半のようですが、案外「変化球」という言葉は歴史が浅いようです。

ただ調べていく内に気付いたのですが、確かに現在「魔球」といえば荒唐無稽な漫画の世界のものですが、どうも昔の新聞記事を追っていくと、野球漫画の黎明期のころの「魔球」というのは現実世界でも新聞記事で変化球のことをそう呼んでいた時期でもあり、余りにも現実の野球とのかい離を強調しすぎな感じがします。全般に漫画の方からみた魔球の歴史が強調されており、<当初は漫画の方で荒唐無稽に魔球を描いていたら、現実世界では「魔球」という言葉がすたれ、漫画でも揺れ戻しがありつつ現在に至る>という風に記事をまとめた方がいいのではないでしょうか?

最近ナックルについて色々議論があるようですが、明治~大正時代の野球概説本ではこれらの変化球のことを「魔球」と呼んだ歴史があり、「漫画と現実の差異」でナックルばかりを取り上げるのも違和感があり、イイダムシの意見にどちらかといえば同意します。118.109.239.199 2010年3月2日 (火) 17:42 (UTC)[返信]

そういう経緯があるのでしたら、記事冒頭を含めて全体的な修正が必要だと思います。同意します。ナックルについては下に意見しました。--220.107.244.139 2010年3月3日 (水) 00:59 (UTC)[返信]

現実の野球の話をすべて前に持ってきました。読売新聞のデーターベースで記事を検索した限りでは、「変化球」という単語が初めて見出しに使われたのは、1955年5月11日朝刊の『[東京6大学・前週のヒーロー]杉浦忠投手(立教)変化球のコツ会得』からです。なお1954年には卓球の「変化球」の記事がありました。それ以前の記事でも「変化球」という検索ワードにかかる記事はありますが、実際の記事をよく読むと「カーブ」「変化する球」「球速の変化する」などといった表現はされていますが、「変化球」という単語は使われていません。若林忠志の「七色の魔球」や沢村栄治の「三段ドロップ」のほか、1951年の杉下茂のフォークボールについては、時期的に「魔球」が変化球の代名詞として使われていた時期に重なると判断し、前倒しして解説しました(杉下茂のフォークボールは微妙ですが)。

この他、現在「魔球」とマスメディアに呼ばれている球種、漫画全般については、自分は全く分からないのでそのまま加筆せずに移動しただけです。118.109.239.199 2010年3月3日 (水) 18:49 (UTC)[返信]

「魔球」という言葉の語源が現実にあるならば冒頭の「野球漫画において投手が投げる変化球」という定義は明らかにおかしいと思われるので変更させて頂きました。改めて辞書など調べてみましたが「球技で、相手を惑わせる特別な変化球。」、「球技で、思いがけない変化をして相手を惑わせる球。」とあり、魔球が漫画の変化球という定義はありません。この点からも漫画が主で現実が従になるのはおかしいと思われます。概要については時代や現実、漫画による語の使われ方を要約したつもりです。おかしければ修正して下さい。主従を逆転して現実を主とした場合は現代の魔球の節における現実と漫画の差異を強調するような文章はむしろおかしいので除去しました。また、現代の魔球という節名などはWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないも考慮して改名しました。固定IPさん(自分が可変IPなのでそう呼ばせてもらいますが)貴重な情報の提供ありがとうございました。主従の逆転はまさに目から鱗です。「魔球=荒唐無稽な変化球」が基本でなくなったので下で繰り返した自分の主張も根底から覆りました。--220.107.244.139 2010年3月4日 (木) 05:36 (UTC)[返信]

平岡凞の『切支丹伴天連式魔球』[編集]

魔球の語源として山口鋭之助が読売新聞に寄稿した記事を紹介したものですが、書き直しが必要かも知れません。

明治15年(1882年)以降新橋倶楽部の監督兼投手であった平岡凞が投げた、日本発の本格的カーブについて、相手チームから『切支丹伴天連式魔球』と呼ばれたのが、最初の『魔球』の使用例のようです。

ただ、一方で活字化された『魔球』は中馬庚の著作が最初であり、魔球という言葉が広まるのも明治29年7月の試合以降であることも間違いなさそうなので、語源について二つの説を併記する方式にしたいと思います。

現在元文献の元文献を調査中で、確認が取れ次第修正します。Orichalcum 2010年6月2日 (水) 17:35 (UTC)[返信]

「切支丹伴天連式魔球」という単語は鈴木康允, 酒井堅次著『ベースボールと陸蒸気―日本で初めてカーブを投げた男・平岡凞』(小学館文庫, 2005年)で発見したのですが、本書には十分な脚注がなく、元文献を確認できないでいました。色々文献を探っている内に、 国民新聞社運動部編『日本野球史』(1929年)にほぼ似たような文章を発見し、こちらが元文献と思われます。ただし「切支丹伴天連式魔球」とは書かれておらず、「切支丹バテレン式の魔法」と書かれており、「切支丹伴天連式魔球」というのは著者の創作と思われます。また「魔球」という単語は一か所に記載されており、語源としては保留ですが、本文で併記することにしました。Orichalcum会話2015年8月21日 (金) 02:38 (UTC)[返信]

漫画と現実の差異[編集]

漫画と現実の差異や『分かっていても打てない魔球』は誇張表現であること、等は現実の魔球の項目に記載されて然るべきだと思うのですが、何度も差し戻され、ほとんど編集合戦になっています。イイダムシさんは漫画と現実の差異に関しては記事冒頭や「現実の魔球」の項目内容から十分読み取れると言っていますが、私は十分には読み取れないと感じたからこそ記載しようとしているのです。分かっていても打てないという表現を使ってしまえば漫画のように絶対的な印象を与える可能性は十分です。まず初めに「魔球=一撃必殺」ではないのでと言われてリバートされたので『分かっていても打てない≒絶対的』と主張して現実ではそれ1球種のみで打者を抑えることは不可能その球種を狙っていても全然打てないということはない。に変更したのですが、再度リバート。配球論を一々個別に解説していてはやはり冗長的と言うので例の提示を減らしてみたのですが、再度リバート。以前には書くならもう少し書き方を考えるべきと書き方次第では記載OKのように言いながらも記載内容に必要性が感じられないとしてさらにリバート。挙句の果てに「指摘にそって文章を修正」した結果どこが直されたのか全く理解できません。と言われてしまいました。私は歩み寄る姿勢も見せているつもりなのですが全く御理解頂けないようです。イイダムシさんには歩み寄る姿勢も無く、意見が対立するばかりなので第3者の意見を求めてみたいと思います。Wikipedia:コメント依頼に出しました。--60.46.4.164 2010年2月9日 (火) 00:34 (UTC)[返信]

他からコメントが出てこないようなのでそろそろワタシの方からコメントさせていただきます。まず今回の件ですが、ワタシの伝え方が悪かったのか別のところに原因があるのかはわかりませんが、ワタシの申し上げたいことがIP氏に対して全く伝わっていないと言うことがよくわかりました。もとより、ワタシは漫画と現実の差異を記載することに関しては問題としておりません。ワタシはIP氏が自らの配球論・投球論を軸とした蛇足的・冗長的な記載をしていることに対してこれを問題とし該当箇所の削除を行ったものであり(独自研究と切り捨ててしまった方が良かったのでしょうか?)、漫画と現実の差異に関してはIP氏より「文章の一部が冗長だと言って全て除去するのはやり過ぎではないか?」とあったことから、これに対して自分の考えを説明したに過ぎません。また、IP氏は「指摘にそって文章を修正する努力をしている」、「歩み寄る姿勢も見せている」とおっしゃっていますが、実際のところは言葉を並べ替え置き換えているだけであって根本的な内容には一切の変化はありません(もっとも、「文章の一部が」などとは付けた記憶は全くないのですが)。IP氏にとってはとても重大な変更があったのかもしれませんが、少なくともワタシが指摘した事に関しては一切の変化はありません。そもそも、その程度の修正で済む話であればIP氏のおっしゃるように全てを除去する必要はなく該当部分の修正だけを行っています。
要約欄でのやり取りから少し気になってはいましたがIP氏はやや思い込みが激しいように思われます。話が通じていない以上、対話が進まないのは至極当然です。要約欄やワタシの会話ページでも軽く申し上げましたが、ご自身の編集内容も含めてもっとよく考えて内容を吟味した上で実行に移してはいただけないでしょうか。--イイダムシ 2010年2月11日 (木) 05:34 (UTC)[返信]
配球論・投球論とイイダムシ氏が言っている部分は単なる例の提示で補足説明だと主張したけど受け入れられないようですね。なるほど書き方を考えるべきとか言う問題じゃなかったんですね。もう少しとか言うレベルでもなかったんですね。単純に修正すれば良いのだと思いましたよ。配球論・投球論を削れということのようですね。そこは別に重要ではないんで割愛します。配球を除いて漫画と現実の差異を記載します。しかし、イイダムシ氏が配球論・投球論がだと言い出したのは私がイイダムシ氏のノートにコメントを書いた後では?少なくとも最初の指摘には対応できていたと思ったんですが指摘した事に関しては一切の変化はありませんですか。--218.224.17.218 2010年2月12日 (金) 07:44 (UTC)[返信]
では逆にお聞きしますが、具体的に何が変わったのでしょうか?誤解のないように付け加えますが、どこを変えたのかということではなく、その結果何が変わったのかと言う話です。最初にワタシは「冗長的または蛇足的」と申し上げていますが、これに対してIP氏はどう変えたと言うのでしょうか?少なくともIP氏の修正によって文の長さにほとんど変化はありませんでした。また、配球論・投球論云々の話があったことはIP氏の最初のコメントに記載されています(軸と申し上げたのはあくまでも一例としてです。「文章の一部」に対する指摘ではないとこの場において示しているはずです。)。これに対してIP氏は「例の提示」として3つから2つに減らしてまでも記載することにこだわっていました(そのくせ後から「別に重要ではない」と言っているわけですが)。限られたスペースの都合上、伝え切れていない部分が多々あったとはいえ、要約欄において明確に記載されている部分に関してまでもきちんと読み取っていない挙句、書きもしないことを勝手に付け加えているような状態で、そこまで断言する自身と根拠がどこから出てくるのが不思議でなりません。
自分に都合の良いところだけを拾い上げて自分勝手な解釈をされても正直言って迷惑です。その挙句、自分の言い分が通らないことに腹を立てていきなり荒らし呼ばわりする始末です[1]。IP氏が「もう少し考える」に対してどのようにお考えかはわかりませんが、IP氏が十分に考えた上で実行に移されているようには思えません。IP氏にとって「もう少し」が適切な表現でなかったと言うのであれば「もっとたくさん」と訂正しますが、ワタシの申し上げていることに関してはその必要がないものと思っております。
なお、再三にわたりもうしあげているように「文章の一部」に対して行っていたわけではなく、IP氏の記載する内容は記事内のところどころですでに触れられているものと考えています。該当箇所を補足・修正するならばともかく、IP氏の後から取ってつけたような解説が必要であるとは思えないのですが、要約欄では伝えられていないことですし、今申し上げても聞き入れてはもらえないでしょうから、機を見ておいおい手を加えていこうと思います。--イイダムシ 2010年2月13日 (土) 13:00 (UTC)[返信]
荒らしと言ったことについてはイイダムシ氏の会話ページへ既にお詫びした[2]のですが、まだそれを持ち出しますか。詫び足りないですか?配球論の部分はあった方が良いとは思いましたが、拘ったつもりも重要だとしたつもりもありません。最初は減らせばいいかな?という程度に考えたので3つから2つに減らして記載したまでです。それでも拒否されたので消したまでです。拘っていればまだ消していませんよ。何が変わったのかですが、最初の編集では「魔球=一撃必殺」的な表現がよりソフトな表現になりました。次の編集では漫画の様な魔球はないの一文を加えて漫画と現実の差異を記した文章ということが強調され、例の提示も減らして僅かですがその部分は短くなりました。さらに前回の編集で配球論・投球論と言える部分は無くなり、文の長さがかなり短くなりました。「文章の一部」という話じゃないのは良く分かりました。しかし、記事内のところどころですでに触れられていると主張されても、以前にも申し上げた通り、記事からは漫画と現実の差異を十分には読み取れないと私は主張します。--58.91.212.146 2010年2月15日 (月) 02:00 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼からきました。御二方ともWikipedia:議論が白熱しても冷静にお願いします。IPさんへは可変IPのようなのでこちらにコメントさせてもらいますが、挑発的なコメントになっていますので気をつけて下さい。自分の意見が受け入れられない不満はよく分かります。IPさんが文章を修正する努力をしているのも分かります。だからと言って相手を非難するのは得策ではありません。それをしてしまうと大抵の場合は内容に関する議論が進まなくなります。イイダムシさんは良かれと思って差し戻していると思います。Wikipedia:善意にとるように心がけて頂けると議論がスムーズに進むと思います。御二方とも相手の言動ではなくて記事の内容で議論しましょう。
内容についてですが、イイダムシさんは該当箇所を補足・修正するならばと言われており、IPさんは記事からは漫画と現実の差異を十分には読み取れないことを主張されているようなので、IPさんの書いた文章を該当箇所へ組み込むというのが妥当なところではないでしょうか?--Toto-artist 2010年2月15日 (月) 04:56 (UTC)[返信]
私の記載した内容が削除されるのではなく、修正される分には一向に構いません。意味内容が全く変わるような修正でないように願います。--58.91.40.197 2010年2月22日 (月) 08:46 (UTC)[返信]
コメントすべきか悩みましたが、するべきだと判断したので書きます。IP氏は自身の記載内容が残されてしかるべきと思っているようですが、独りよがりで話を押し進めるのは控えていただくようお願いします。ワタシは今回の件がこじれたのはそこに原因があると考えています。--イイダムシ 2010年2月24日 (水) 15:02 (UTC)[返信]
「あくまでも比喩であり」という記述にはそれが何のための比喩であるのか示した方が良いと思いますし、文中に出てくる「分かっていても打てない」という記述にもそれが比喩であることを明記したほうが良いように思えます。さらに、ナックルは魔球に近いとされる文章にはどう魔球に近いのか説明があっても良いと思います。--218.224.21.251 2010年2月26日 (金) 00:54 (UTC)[返信]
コメント 「あくまでも比喩であり」とナックルに関してはIPさんの編集を支持します。より詳細な記述になり、良いのではないでしょうか。ただ、「分かっていても打てない」の部分に関しては魔球に直接関係あることではないので蛇足のように思います。--Toto-artist 2010年3月1日 (月) 06:47 (UTC)[返信]
コメント 「あくまでも比喩であり」、「分かっていても打てない」のくだりに関しては、記事の冒頭において「常識からは外れた極めて異質な変化をするもの」、「その多くは物理的に不可能である」と記載されており、個別の節においてこれを繰り返す必要は無いものと考えます。また、ナックルボールに関しては、変化球としての性質や詳細は当該の記事において記載されるべきものであり、魔球の記事においてむやみに詳細を付与することは冗長的であると考えます。--イイダムシ 2010年3月2日 (火) 13:06 (UTC)[返信]
「あくまでも比喩であり」について、イイダムシ氏が主張する通り、記事の冒頭から推測できなくはありませんが、単一の文章としてはあったほうがスマートに見えます。何のための比喩であるのか記載があっても文章が長くなり過ぎるというほどのものではなく、どうしても除去しなければならない理由はないように思えます。
「分かっていても打てない」のくだりは魔球に直接関係ないと言われてしまえばそれまでかも知れません。
変化球に関しては、変化球としての性質や詳細は当該の記事において記載されるべきという考えは分かりますが、魔球に密接に関係しているその特異性については魔球の記事にも記載されるべきだと思います。現代において球種自体が魔球とされるのはナックルだけです。少なくとも現実の魔球の節の冒頭文絶対的な武器として単一で用いられることはほとんどないから逸脱している点くらいは触れる然るべきかと思います。--220.107.244.139 2010年3月3日 (水) 00:54 (UTC)[返信]