ノート:G.G.佐藤
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登録名『G.G.』の由来について
[編集]「『G.G.』の由来は『がんばれジャイアンツ』である」との訂正編集がなされましたが、一定期間「爺くさいが由来」との記載に対し何の議論も起きていないことから、「がんばれジャイアンツ~」が事実なのであれば出典を示したうえで訂正すべきでしょう。同じ編集が出典なしに繰り返されたなら悪戯とみなして保護を依頼します。 --Woudroads 2008年8月16日 (土) 13:16 (UTC)
本人が爺臭いって言っていましたけど。--以上の署名のないコメントは、220.210.32.244(会話/Whois)さんが 2008年8月27日 (水) 11:42 (UTC) に投稿したものです(Greatupperによる付記)。
サブロー選手との比較について
[編集]過去にゴールデングラブ賞を2回獲得して守備に定評のあるサブロー選手と比較するのはどうなんでしょうか? G.G.選手はサブロー選手のように攻守ともに優れた選手ではないと思っていたのですが --222.1.120.187 2008年10月19日 (日) 14:16 (UTC)
北京エラーについて
[編集]- 北京五輪の失策から守備のミスばかりがクローズアップされているが、本来は強肩と広い守備範囲で鳴らす選手である。2005年途中に内野手や捕手から急造右翼手へコンバートされ、そのままレギュラー獲得と、外野手としての経験が特殊な選手のため、経験が全くと言って良いほど無い左翼手を守らされたことが響いてしまった(捕手から外野にコンバートされ、あまり守備力に定評があるといえない和田一浩(現中日)も、ボールと正対する中堅手の練習から始め、外野3ポジションの守備経験がある)。
↑は要するに、そのようなコンバートをさせて、シーズンオフ中も一切右翼手以外の練習をさせなかった西武首脳陣に非があるとでも言いたいのでしょうか?あるいは、北京派遣時に忠告させなかった西武首脳陣に非があるとでも言いたいのでしょうか?
そのようなつもりではないとしても、客観的にそう見られる文章です。
また、批判や自己研究の可能性もあります。したがって削除させていただきました。--118.8.79.129 2009年2月21日 (土) 16:30 (UTC)
- WBCでも同じようなことがあった場合、該当選手に同じような記述がされる可能性がありますからね。上の人に同意です。--ミラー・ハイト 2009年2月22日 (日) 05:44 (UTC)
- 法政大学時代のエピソードに「大学時代は廣瀬純の控え」とありますが、佐藤選手は法政大学では一貫して内野手登録だったと思います。また、佐藤選手は4年春に遊撃手として試合にスタメンで出た(当て馬ではなく、実際に守りました)こともあり、このことからも外野手である廣瀬選手の控えという表現は間違いではないかと思うのですが、いかがでしょうか?「誰かの控え」ということを記載するのであれば、阿部真宏選手の控えというほうが適切だろうと思いますが。--219.58.227.195 2009年11月17日 (火) 14:54 (UTC)
- 同頁内での矛盾箇所になっていたため、ご指摘の箇所を部分的に削除し矛盾を解消しました。--Greatupper 2011年6月14日 (火) 15:50 (UTC)
イタリア時代の成績
[編集]- 韓国や台湾のプロリーグで活躍した選手の成績もグラフに載っているため、GG佐藤のイタリア時代の成績もグラフに載せてください。
- そうそう。イタリアリーグもプロとしてやっている以上は、載せて良いはず。私は編集の仕方わからないから、出来る人やってくれ!
- リンク先を参考にイタリアでの成績を追加しました。誤りがあれば訂正ください。--Fusianasan1350(会話) 2013年5月4日 (土) 15:36 (UTC)