ノーベリー伯爵
ノーベリー伯爵 Earl of Norbury | |
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創設時期 | 1827年6月23日 |
創設者 | ジョージ4世 |
貴族 | アイルランド貴族 |
初代 | 初代伯ジョン・トラー |
現所有者 | 7代伯チャールズ・グレアム= トラー |
相続人 | なし |
推定相続人 | なし |
付随称号 | グランダイン子爵 ノーベリー男爵 ノーウッド男爵 |
モットー | 王と祖国への忠誠 (Regi Et Patriae Fidelis) |
ノーベリー伯爵(ノーベリーはくしゃく、英: Earl of Norbury)は、アイルランド貴族の伯爵。アイルランド王国の裁判官ジョン・トラーが1827年に叙位されたことに始まる。
歴史
[編集]アイルランド庶民院議員、アイルランド法務次官、アイルランド法務長官を務めたジョン・トラー(1741?/1745–1831)はアイルランド民訴裁判所主席裁判官への就任にあたり、1800年12月27日にアイルランド貴族であるティペラリー県バリークレノードにおけるノーベリー男爵に叙された[1][2]。さらに民訴裁判所主席裁判官の退任にあたり、1827年6月23日にキングス・カウンティにおけるグランダインのグランダイン子爵、ノーベリー伯爵に叙された[3][4]。また法務長官在任中の1797年11月24日には妻グレース(c.1758–1822)がアイルランド貴族であるティペラリー県ノッカルトンにおけるノーウッド女男爵に叙された[3][5]。
ノーウッド男爵位とノーベリー男爵位は通常通り初代男爵の男系子孫が継承できる一方、ノーベリー伯爵位は初代伯爵の次男ヘクター・ジョン・グレアム=トラー(1781–1839)への特別残余権(special remainder)が規定された[3]。そのため、1800年合同法で規定された爵位昇叙ではなく、新規叙爵として扱われ、既存の爵位が3つ廃絶するという要件を満たす必要が生じた[3]。したがって、ノーベリー伯爵位の創設はニューコメン男爵、ウィットワース伯爵、カールトン子爵の廃絶を根拠とした[3]。
ノーウッド男爵位とノーベリー男爵位を継承した長男ダニエル・トラー(c.1780–1832)は未婚のまま死去、すでに父からノーベリー伯爵位を継承した次男ヘクター・ジョン・グレアム=トラーが3代ノーウッド男爵、3代ノーベリー男爵となった[6]。以降、ノーウッド男爵位とノーベリー男爵位はノーベリー伯爵位の従属爵位となった[7]。また2代伯爵は「グレアム」を姓に加えた[8]。
2019年現在の当主は、2代伯爵の次男の玄孫にあたるリチャード・ジェームズ・グレアム=トラー(1967–)である[9]。
一覧
[編集]ノーウッド男爵(1797年)
[編集]- 初代ノーウッド女男爵グレース・トラー(1758年ごろ – 1822年)
- 第2代ノーウッド男爵(第2代ノーベリー男爵)ダニエル・トラー(1780年ごろ – 1832年)
- 第3代ノーウッド男爵(第3代ノーベリー男爵・第2代ノーベリー伯爵)ヘクター・ジョン・グレアム=トラー(1781年 – 1839年)
- 以降は#ノーベリー伯爵(1827年)を参照
ノーベリー男爵(1800年)
[編集]- 初代ノーベリー男爵(初代ノーウッド男爵・初代ノーベリー伯爵)ジョン・トラー(1741年?/1745年 – 1831年)
- 第2代ノーベリー男爵(第2代ノーウッド男爵)ダニエル・トラー(1780年ごろ – 1832年)
- 第3代ノーベリー男爵(第3代ノーウッド男爵・第2代ノーベリー伯爵)ヘクター・ジョン・グレアム=トラー(1781年 – 1839年)
- 以降は#ノーベリー伯爵(1827年)を参照
ノーベリー伯爵(1827年)
[編集]- 初代ノーベリー伯爵ジョン・トラー(1741年?/1745年 – 1831年)
- 第2代ノーベリー伯爵ヘクター・ジョン・グレアム=トラー(1781年 – 1839年)
- 第3代ノーベリー伯爵ヘクター・ジョン・グレアム=トラー(1810年 – 1873年)
- 第4代ノーベリー伯爵ウィリアム・ブラバゾン・リンジー・グレアム=トラー(1862年 – 1943年)
- 第5代ノーベリー伯爵ロナルド・イアン・モンタギュー・グレアム=トラー(1893年 – 1955年)
- 第6代ノーベリー伯爵ノエル・テレンス・グレアム=トラー(1939年 – 2000年)
- 第7代ノーベリー伯爵リチャード・ジェームズ・グレアム=トラー(1967年 – )
爵位の推定相続人はいない。
出典
[編集]- ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, pp. 565–566.
- ^ "No. 15326". The London Gazette (英語). 10 January 1801. p. 40.
- ^ a b c d e Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, p. 566.
- ^ "No. 18378". The London Gazette (英語). 13 July 1827. p. 1511.
- ^ "No. 14064". The London Gazette (英語). 14 November 1797. p. 1081.
- ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, pp. 566–567.
- ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, p. 568.
- ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, p. 567.
- ^ Morris, Susan; Bosberry-Scott, Wendy; Belfield, Gervase, eds. (2019). Debrett's Peerage and Baronetage (英語). London: Debrett's. pp. 4716–4717. ISBN 978-1-999767-0-5-1。
参考文献
[編集]- Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1936). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Moels to Nuneham) (英語). Vol. 9 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 565–568.
- Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. pp. 502–503. ISBN 978-0-7509-0154-3。