ハイソサエティー (バンド)
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ハイソサエティー High Society | |
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別名 | ハイソ |
出身地 | 日本 |
ジャンル | アイドル歌謡 |
活動期間 | 1966年 - 1973年 |
レーベル |
CBS・ソニーレコード (CBS・ソニーレーベル(1970年 - 1971年)→EPICレーベル(1971年 - 1973年)) |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
共同作業者 |
ジャニー喜多川 メリー喜多川 ジャニーズ フォーリーブス |
旧メンバー | メンバー、脱退メンバー参照 |
ハイソサエティーは、過去に芸能事務所の「ジャニーズ事務所」に所属していたバンドグループである。 ジャニーズやフォーリーブスのバックバンドとして活動した。 このグループ名は、ジャニーズ事務所の副社長・メリー喜多川の夫であり作家の、藤島泰輔の1965年発表の小説『日本の上流社会―高貴なる秘境を探検する』に由来する。 愛称は「ハイソ」。 後に「スーパーエイジス」と「アニメーション」の2つのバンドに枝分かれしていった。
メンバー
[編集]- 高橋洋一(リーダー。キーボード・リードギター)
- 愛称・洋ちゃん。1953年11月1日生まれ。東京都渋谷区出身。尚、ハイソサエティーからスーパーエイジスに至るまで他のメンバーが幾度も変わる中、一番長い間所属していたメンバー。ジャニーズ事務所の一番目グループだったジャニーズのメンバーとも交流がある。ジャニーズ、フォーリーブス(江木俊夫とは中学校が同じ)、郷ひろみ等多くの音楽監督を務めた。
- ボストンから帰国後は、たのきん3球コンサートやタケカワユキヒデ等の音楽監督を務めた。ジャニーズ事務所では珍しく本格派な音楽家として後に多くのCMやテレビドラマ(NHK連続テレビ小説『京、ふたり』等)の音楽担当をした。再度米国留学し、ハーバードメディカルスクールとカリフォルニア大学医学部に編入。現在は米国心臓協会正会員、日本循環器学会正会員、JASRAC正会員。[1]
- 村田勝美(ドラム)
- 峯井貴史(ベース)(愛称・ミネくん)
- 杉征夫(ベース)
- すぎ ゆきお。愛称・スギさん。脱退後つのだ☆ひろとスペースバンドに加入。
解散後リューベン&カンパニーを経て来生たかお、アンルイス、桑名正博、ジョー山中等のコンサート、レコーディング セッション。 再結成後のフォーリーブスのツアーにも。The Lowgunsを結成、とセッション活動中。三軒茶屋で音楽食堂 夢弦を経営。
- 元持勲(サイドギター)
- もともち いさお。グループ加入以前は、音楽家兼ピアニストの栗原茂に師事して音楽を学んだ。伯母が清川虹子。
- 現在ハワイ在住。地元日本語ラジオKZOO放送、毎週現地時間16時30分から2時間、
『Isaoと京子の弾丸炸裂トーク』に出演中。 また、 ツアー会社を経営、自ら運転しガイドもする。 ジャニーズに所属していたことから芸能界の裏話、 日・米のプロ野球の話題など豊富な話題で、 リスナー、ツアー客の人気を集める。 週に数回レストランでの弾き語りも好評。
- 横内健亨(ギター)
- この他にもまだ数名が参加。メンバー構成は実に流動的で入れ替わりが激しく、最終的には延べ15名以上の人間が参加した。
脱退メンバー
[編集]- 粟野敏和(あわの としかず。粟野トムの兄)
- 粟野トム(あわの とむ。粟野敏和の弟)
- 佐山たけし(ドラム)
- 途中から「佐山タケシ」に改名。喜劇俳優・佐山俊二の長男。後にマジシャンに転向。
- 新庄一(ベース)
- しんじょう はじめ。脱退後は「新庄ハジメ」に改名して、1970年10月に「寺内タケシとブルージーンズ」に加入。バンド「ザ・スピリッツ」の新城みのる(本名:新城一)は別人。
- 山岡国士(途中から「山丘邦夫」に改名。本名は山岡國士。)(エレクトーン)
- 永田英二(愛称・英坊、英ちゃん)
- 一時期、「永田英二とハイソサエティー」として、ボーカルで参加していた。当時中学1年生。
- 柳瀬薫(ドラム)
- すぐに脱退して半年ほど事務所を離れた後、「やなせかおる」の名で「ジューク・ボックス」のメンバーとして復帰した。
概要
[編集]- 1966年結成。 同年8月から日本劇場の「ウエスタン・カーニバル」に出演し始め、ジャニーズのバックバンドとして活動。1968年8月からはフォーリーブスのバックバンドとなり、1972年まで延べ18回連続での出演を果たした。
- 1968年9月、永田英二をボーカリストに迎え、一時期だけ「永田英二とハイソサエティー」の名で活動。
- 1970年11月、CBSソニーから、いきなりLPレコードでデビュー。
- 1971年10月、CBSソニーの新レーベル「EPIC」の第1号タレントとしてシングルレコード発売。 1971年度のレコード会社内での新人賞を受賞。
- 1973年、永田英二を正式にボーカリストに迎え入れた新たなバンド「スーパーエイジス」を発足するため、高橋と村田が脱退。 しばらく残りのメンバーだけで「ハイソサエティー」として活動していたが、同年にバンド名を新たに「アニメーション」に改名した。
ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]- 不思議な恋の物語 c/w 君を奪いたい(高橋洋一ソロ)(1971年10月、EPIC)
アルバム
[編集]- 世界へジャンプ! ハイソ・サンライズ・プレゼント(1970年11月21日、CBSソニー)
- ハイソサエティー・ファースト・ヒット・アルバム 不思議な恋の物語/ハロー・ハロー・ハロー(1970年11月21日、EPIC)
主な出演作品
[編集]ミュージカル
[編集]日本劇場でのステージ
[編集]- 第30回ウエスタン・カーニバル(1966年8月27日 - 9月2日)
- 第31回新春日劇ウエスタン・カーニバル(1967年1月15日 - 21日)
- 第33回ウエスタン・カーニバル(1967年8月26日 - 9月1日)
- 第34回ウエスタン・カーニバル(1968年1月15日- 22日)
- 第35回ウエスタン・カーニバル(1968年5月4日- 10日)
- 第36回ウエスタン・カーニバル(1968年8月26日- 9月2日)
- 第37回ウエスタン・カーニバル(1969年1月14日- 21日)
- 第38回ウエスタン・カーニバル(1969年5月5日- 12日)
- 第39回ウエスタン・カーニバル(1969年8月25日- 9月1日)
- 第40回ウエスタン・カーニバル(1970年1月15日 - 22日)
- 第41回ウエスタン・カーニバル(1970年5月2日 - 8日)
- 第42回ウエスタン・カーニバル(1970年8月25日 - 9月1日)
- 第43回日劇新春ウエスタン・カーニバル(1971年1月15日 - 22日)
- 第44回日劇ウエスタン・カーニバル~みんなで踊ろう!(1971年4月23日 - 29日)
- 第45回ウエスタン・カーニバル(1971年8月27日 - 9月2日)
- 第46回ウエスタン・カーニバル(1972年1月15日 - 22日)
- 第49回ウエスタン・カーニバル(1973年5月4日)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 高橋洋一 オフィシャルウェブサイト
- (株)オフィス・タッチ 永田英二(現:長田栄二)が代表を務める音楽事務所
- The PIANO 元持勲が経営するハワイの店