ハインリヒ6世 (ルクセンブルク伯)
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ハインリヒ6世 Heinrich VI. | |
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ルクセンブルク伯 | |
在位 | 1281年 - 1288年 |
出生 |
1240年頃 |
死去 |
1288年6月5日 ヴォリンゲン |
配偶者 | ベアトリス・ダヴェーヌ |
子女 |
ハインリヒ7世 ヴァルラム フェリツィタス バルドゥイン マルガレーテ |
家名 | ルクセンブルク家 |
父親 | ルクセンブルク伯ハインリヒ5世 |
母親 | マルグリット・ド・バル |
ハインリヒ6世(独:Heinrich VI. von Luxemburg, 1240年頃 - 1288年6月5日)は、ドイツ=フランス系のルクセンブルク伯(在位:1281年 - 1288年)。フランス語名ではアンリ6世(Henri VI de Luxembourg)。獅子伯(仏:Henri le Lion)と呼ばれた。
生涯
[編集]ルクセンブルク伯ハインリヒ5世とその妻でバル伯アンリ2世の娘であるマルグリット・ド・バルの間の長男として生まれた。1270年、父が主君のフランス王ルイ9世率いる第8回十字軍に参加した際は、伯家の摂政を務めた。リンブルフ継承戦争ではヘルレ(ゲルデルン)伯家に味方し、ブラバント公家に敵対する。1288年6月5日、継承戦争中のヴォリンゲンの戦いに参加した際、弟のリニー領主ワレラン、父の2人の庶子ボードゥアンおよびウッファリーズ領主アンリ(Henri de Houffalize)とともに戦死した。
子女
[編集]1260年頃、エノー伯ジャン1世の弟ボーモン領主ボードゥアンの娘ベアトリス・ダヴェーヌ(1321年没)と結婚し、間に5人の子女をもうけた。
- ハインリヒ(アンリ)7世 (1278/1279年 - 1313年) - ルクセンブルク伯、神聖ローマ皇帝
- ヴァルラム(ワレラン) (1280年頃 - 1311年) - ブレシア包囲戦で戦死
- フェリツィタス(フェリシテ) (? - 1336年) - 1298年、ルーヴェン伯ジャン・トリスタン(ブラバント公アンリ1世の曾孫)と結婚
- バルドゥイン(ボードゥアン) (1285年 - 1354年) - トリーア大司教
- マルガレーテ(マルグリット) (? - 1336年) - 修道女
参考文献
[編集]- Nicolas van Werveke (1880). "Heinrich VI. (III.), Graf von Luxemburg". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 11. Leipzig: Duncker & Humblot. p. 538.
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