ハッサン・グレド・アプティドン
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ハッサン・グレド・アプティドン Xasan Guuleed Abtidoon | |
ハッサン・グレド・アプティドン(1977年)
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任期 | 1977年6月27日 – 1999年5月8日 |
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任期 | 1977年6月27日 – 1977年7月12日 |
出生 | 1916年10月15日 イギリス領ソマリランド(現 ソマリランド)、ルガヤ |
死去 | 2006年11月21日(90歳没) |
政党 | 進歩人民連合 (RPP) |
配偶者 | アイシャ・ボゴレ |
ハッサン・グレド・アプティドン(ソマリ語: Xasan Guuleed Abtidoon, アラビア語: حسن جولد أبتيدون, フランス語: Hassan Gouled Aptidon, 1916年10月15日 - 2006年11月21日)は、ジブチの政治家。同国の初代首相、及び初代大統領を務めた。なお、ムスリムの名前は、本人の名前、父の名前、祖父の名前から構成されるため、グレド、アプティドンはそれぞれ父、祖父の名前である。
生涯
[編集]イギリス領ソマリランドの小さな村ルガヤで生まれる。
1977年5月18日、フランス領アファル・イッサ最後の政府評議会議長(首相格)に就任。6月27日にアファル・イッサは独立してジブチとなり、そのまま同国の初代首相となり7月12日に退任した。また6月27日に同国の初代大統領にも就任し、1999年に甥のイスマイル・オマル・ゲレに大統領職を譲った。
任期中、阪神・淡路大震災に対して日本赤十字社および兵庫県に合計1万ドルのポケットマネーを義捐金として送っている。
2006年11月21日、90歳で死去。
大統領職
[編集]1981年、グレドは自身の政党である進歩人民連合の一党独裁としたが、ジブチ内戦を始めとする諸問題に対処できず、1992年6月、11年ぶりに多党制導入を再度行った。1990年代にはグレドの病気による衰弱も目立ち、1990年代は甥のゲレへの権力世襲が矢継ぎ早に進んだ。
公職 | ||
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先代 (建国) |
ジブチ共和国大統領 初代:1977年 - 1999年 |
次代 イスマイル・オマル・ゲレ |
先代 (建国) |
ジブチ共和国首相 初代:1977年 |
次代 アハメド・ディニ・アハメド |