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ハビエル・ポルティージョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハビエル・ポルティージョ
名前
本名 ハビエル・ガルシア・ポルティージョ
ラテン文字 Javier García Portillo
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1982-03-30) 1982年3月30日(42歳)
出身地 マドリード
身長 182cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW(CF)
利き足
ユース
1994-2001 スペインの旗 R・マドリード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 スペインの旗 R・マドリードB 28 (17)
2002-2006 スペインの旗 R・マドリード 31 (6)
2004-2005 イタリアの旗 フィオレンティーナ (Loan) 11 (1)
2005-2006 ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ (Loan) 24 (8)
2006-2007 スペインの旗 ジムナスティック・タラゴナ 34 (11)
2007-2009 スペインの旗 CAオサスナ 40 (3)
2010-2011 スペインの旗 エルクレスCF 42 (6)
2011-2012 スペインの旗 UDラス・パルマス 34 (8)
2012-2015 スペインの旗 エルクレスCF 128 (36)
通算 372 (96)
代表歴
2002-2003 スペインの旗 スペイン U-21 10 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハビエル・ガルシア・ポルティージョJavier García Portillo1982年3月30日 - )は、スペインマドリード出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。現在は、エルクレスCFスポーツディレクター。

経歴

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クラブ

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1994年、12歳の時にレアル・マドリードの下部組織に入団すると、下部組織での7シーズンで豊かな得点力をみせつけて150得点以上を記録し、ラウル・ゴンサレスが保持していた記録を打ち破った。2002年には初めてプロ契約(2007年まで)を交わし、違約金は3500万ユーロに設定された。同年10月6日、デポルティーボ・アラベス戦 (5-2) でトップチームデビューし、2002-03シーズンのリーグ戦は10試合の出場ながら5得点を挙げた。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、2次リーグのボルシア・ドルトムント戦でロスタイムに同点ゴールを決めたが、結果的にはこの1点が敗退と準々決勝進出を分けた。

2004年7月、イタリア・セリエAACFフィオレンティーナにレンタル移籍したが、2004-05シーズン前半戦は11試合出場で1得点を挙げるに留まり、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督の就任にともなって2005年1月にレアル・マドリードに復帰した。しかし、2005年夏にはルシェンブルゴ監督に余剰戦力とみなされ、ベルギー・ジュピラーリーグクラブ・ブルッヘにレンタル移籍すると、8得点を挙げてスペインに復帰した。2006年夏にはファビオ・カペッロ監督が就任し、ラウル、アントニオ・カッサーノロナウドに加えてルート・ファン・ニステルローイが加入したために居場所をなくし、レアル・マドリードとの契約を解除してプリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのジムナスティック・タラゴナと2年契約を結んだ。

2006-07シーズンは自己最多の11得点を記録し、個人的には成功をおさめたが、チームはセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。2007年夏、ロベルト・ソルダードがレアル・マドリードにレンタルバックしたことで代役を探していたCAオサスナに移籍した[1]。2007-08シーズンと2008-09シーズンはチームが主に1トップを採用したために出場機会が限られ、2シーズン合わせて3得点に終わった。2007年11月25日のRCDエスパニョール戦 (1-2) で移籍後初得点したが、2008年5月8日のRCDマジョルカ戦 (1-2) 、2008年9月20日のRCDマジョルカ戦 (1-1) のいずれも得点が勝利に結びつかなかった。

2009-10シーズン前半戦はホセ・アントニオ・カマーチョ監督によって4番手か5番手のフォワードに位置づけられていたため、2010年1月、セグンダ・ディビシオン(2部)のエルクレスCFにシーズン終了までの契約で移籍した。チームに適応するのに数試合が必要であったが、レギュラーポジションを獲得し、シーズン最終節のレアル・ウニオン戦 (2-0) では重要な得点を決め、13シーズンぶりのプリメーラ・ディビシオン返り咲きを果たした。2010年夏にフランス代表ダビド・トレゼゲパラグアイ代表ネルソン・アエド・バルデスが加入したため、2010-11シーズンは控えに降格した。両者が負傷か出場停止となった場合のみ先発出場し、公式戦を通じてわずか2得点しか挙げられなかった。そのうちの1点は2011年4月3日のレアル・ソシエダ戦 (3-1) で挙げている[2]。チームはセグンダ・ディビシオン降格に終わった。降格を受け、UDラス・パルマスに移籍、再びエルクレスに戻った後、2015-16シーズンをもって現役引退。

現役引退後は、最終所属先であったエルクレスのフロントに入り、スポーツディレクターに就任。

代表

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レアル・マドリードのトップチームに昇格してすぐの2002年から2003年にかけてU-21スペイン代表に選出され、10試合に出場して5得点を挙げた。

タイトル

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レアル・マドリード

個人成績

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クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点 出場得点
スペイン リーグ国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2001-02 レアル・マドリード ラ・リーガ - - - - - - 1 1 1 1
2002-03 10 5 6 8 - - 7 1 23 14
2003-04 18 1 7 1 - - 4 0 29 2
イタリア リーグイタリア杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2004-05 ACFフィオレンティーナ セリエA 11 1 7 3 - - - - 18 4
スペイン リーグ国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2004-05 レアル・マドリード ラ・リーガ 3 0 1 0 - - - - 4 0
ベルギー リーグベルギー杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2005-06 クラブ・ブルッヘ ジュピラー・リーグ 24 8 - - 8 3
スペイン リーグ国王杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2006-07 ジムナスティック・タラゴナ ラ・リーガ 34 11 2 1 - - - - 36 12
2007-08 CAオサスナ 18 2 2 0 - - - - 20 0
2008-09 20 1
通算 スペイン 84 20 18 10 - - 12 2 114 32
イタリア 11 1 7 3 - - - - 18 4
ベルギー 24 8 - - 8 3 32 11
総通算 119 29 25 13 20 5

脚注

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  1. ^ Duo boost Osasuna forward line UEFA.com、2007年6月19日
  2. ^ Hercules claim giant win ESPNsoccernet、2011年4月3日

外部リンク

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