ハビエル・ポルティージョ
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名前 | ||||||
本名 | ハビエル・ガルシア・ポルティージョ | |||||
ラテン文字 | Javier García Portillo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1982年3月30日(42歳) | |||||
出身地 | マドリード | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW(CF) | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
1994-2001 | R・マドリード | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2002 | R・マドリードB | 28 | (17) | |||
2002-2006 | R・マドリード | 31 | (6) | |||
2004-2005 | → フィオレンティーナ (Loan) | 11 | (1) | |||
2005-2006 | → クラブ・ブルッヘ (Loan) | 24 | (8) | |||
2006-2007 | ジムナスティック・タラゴナ | 34 | (11) | |||
2007-2009 | CAオサスナ | 40 | (3) | |||
2010-2011 | エルクレスCF | 42 | (6) | |||
2011-2012 | UDラス・パルマス | 34 | (8) | |||
2012-2015 | エルクレスCF | 128 | (36) | |||
通算 | 372 | (96) | ||||
代表歴 | ||||||
2002-2003 | スペイン U-21 | 10 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ハビエル・ガルシア・ポルティージョ(Javier García Portillo、1982年3月30日 - )は、スペイン・マドリード出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。現在は、エルクレスCFスポーツディレクター。
経歴
[編集]クラブ
[編集]1994年、12歳の時にレアル・マドリードの下部組織に入団すると、下部組織での7シーズンで豊かな得点力をみせつけて150得点以上を記録し、ラウル・ゴンサレスが保持していた記録を打ち破った。2002年には初めてプロ契約(2007年まで)を交わし、違約金は3500万ユーロに設定された。同年10月6日、デポルティーボ・アラベス戦 (5-2) でトップチームデビューし、2002-03シーズンのリーグ戦は10試合の出場ながら5得点を挙げた。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、2次リーグのボルシア・ドルトムント戦でロスタイムに同点ゴールを決めたが、結果的にはこの1点が敗退と準々決勝進出を分けた。
2004年7月、イタリア・セリエAのACFフィオレンティーナにレンタル移籍したが、2004-05シーズン前半戦は11試合出場で1得点を挙げるに留まり、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督の就任にともなって2005年1月にレアル・マドリードに復帰した。しかし、2005年夏にはルシェンブルゴ監督に余剰戦力とみなされ、ベルギー・ジュピラーリーグのクラブ・ブルッヘにレンタル移籍すると、8得点を挙げてスペインに復帰した。2006年夏にはファビオ・カペッロ監督が就任し、ラウル、アントニオ・カッサーノ、ロナウドに加えてルート・ファン・ニステルローイが加入したために居場所をなくし、レアル・マドリードとの契約を解除してプリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのジムナスティック・タラゴナと2年契約を結んだ。
2006-07シーズンは自己最多の11得点を記録し、個人的には成功をおさめたが、チームはセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。2007年夏、ロベルト・ソルダードがレアル・マドリードにレンタルバックしたことで代役を探していたCAオサスナに移籍した[1]。2007-08シーズンと2008-09シーズンはチームが主に1トップを採用したために出場機会が限られ、2シーズン合わせて3得点に終わった。2007年11月25日のRCDエスパニョール戦 (1-2) で移籍後初得点したが、2008年5月8日のRCDマジョルカ戦 (1-2) 、2008年9月20日のRCDマジョルカ戦 (1-1) のいずれも得点が勝利に結びつかなかった。
2009-10シーズン前半戦はホセ・アントニオ・カマーチョ監督によって4番手か5番手のフォワードに位置づけられていたため、2010年1月、セグンダ・ディビシオン(2部)のエルクレスCFにシーズン終了までの契約で移籍した。チームに適応するのに数試合が必要であったが、レギュラーポジションを獲得し、シーズン最終節のレアル・ウニオン戦 (2-0) では重要な得点を決め、13シーズンぶりのプリメーラ・ディビシオン返り咲きを果たした。2010年夏にフランス代表のダビド・トレゼゲとパラグアイ代表のネルソン・アエド・バルデスが加入したため、2010-11シーズンは控えに降格した。両者が負傷か出場停止となった場合のみ先発出場し、公式戦を通じてわずか2得点しか挙げられなかった。そのうちの1点は2011年4月3日のレアル・ソシエダ戦 (3-1) で挙げている[2]。チームはセグンダ・ディビシオン降格に終わった。降格を受け、UDラス・パルマスに移籍、再びエルクレスに戻った後、2015-16シーズンをもって現役引退。
現役引退後は、最終所属先であったエルクレスのフロントに入り、スポーツディレクターに就任。
代表
[編集]レアル・マドリードのトップチームに昇格してすぐの2002年から2003年にかけてU-21スペイン代表に選出され、10試合に出場して5得点を挙げた。
タイトル
[編集]- レアル・マドリード
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2001-02
- インターコンチネンタルカップ : 2002
- UEFAスーパーカップ : 2002
- リーガ・エスパニョーラ : 2002-03
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 2003
個人成績
[編集]クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグ杯 | 国際大会 | 通算 | |||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
スペイン | リーグ | 国王杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2001-02 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | - | - | - | - | - | - | 1 | 1 | 1 | 1 |
2002-03 | 10 | 5 | 6 | 8 | - | - | 7 | 1 | 23 | 14 | ||
2003-04 | 18 | 1 | 7 | 1 | - | - | 4 | 0 | 29 | 2 | ||
イタリア | リーグ | イタリア杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2004-05 | ACFフィオレンティーナ | セリエA | 11 | 1 | 7 | 3 | - | - | - | - | 18 | 4 |
スペイン | リーグ | 国王杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2004-05 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 3 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | 4 | 0 |
ベルギー | リーグ | ベルギー杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2005-06 | クラブ・ブルッヘ | ジュピラー・リーグ | 24 | 8 | - | - | 8 | 3 | ||||
スペイン | リーグ | 国王杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2006-07 | ジムナスティック・タラゴナ | ラ・リーガ | 34 | 11 | 2 | 1 | - | - | - | - | 36 | 12 |
2007-08 | CAオサスナ | 18 | 2 | 2 | 0 | - | - | - | - | 20 | 0 | |
2008-09 | 20 | 1 | ||||||||||
通算 | スペイン | 84 | 20 | 18 | 10 | - | - | 12 | 2 | 114 | 32 | |
イタリア | 11 | 1 | 7 | 3 | - | - | - | - | 18 | 4 | ||
ベルギー | 24 | 8 | - | - | 8 | 3 | 32 | 11 | ||||
総通算 | 119 | 29 | 25 | 13 | 20 | 5 |
脚注
[編集]- ^ Duo boost Osasuna forward line UEFA.com、2007年6月19日
- ^ Hercules claim giant win ESPNsoccernet、2011年4月3日