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ハルステン (スウェーデン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハルステン・ステンキルソン
Halsten Stenkilsson

在位期間
1067年ごろ–1070年ごろ
先代 エリクとエリク
次代 ホーコン赤王
(イェートランドの王として)
アーヌンド・ゴードスケ
(スヴェーアランドの王として)

在位期間
1079年ごろ–1081年以降
先代 ホーコン赤王
次代 インゲ1世
(イェートランドの王として)
ブロット=スヴェン
(スヴェーアランドの王として)

出生 1050年ごろ
死亡 1081年以降
王室 ステンキル家
父親 ステンキル
母親 Ingamoder Emundsdotter
子女
フィリップ
インゲ2世
信仰 カトリック
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ハルステン・ステンキルソン (スウェーデン語: Halsten Stenkilsson, 英語外名例: Alstan[1][2] 古ノルド語: Hallstein[3]) は、スウェーデン王。ステンキル王と、その先代エームンド老王の娘Ingemo i Dalaの間の子である。1066年にステンキルが死去したのちしばらくして、兄弟のインゲ1世と共同統治した可能性がある[4][5][6]。死去した時期は分かっていない[5]

短期間の治世

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ハルステンの統治期についてはあまり記録が残っていない。ブレーメンのアダムscholiaによれば、2人のエリクという名の王位請求者が激しい闘争の末に死んだのちにハルステンが王に選出された[5]ものの、国内は不安定なままだった。彼が父や兄弟のようにキリスト教徒であったことは確実だが、ハルステンの影響力の及ぶ範囲はごく限られていた。これについてブレーメンのアダムは、スウェーデンでのキリスト教に対する妨害が激しく、ブレーメン大司教に任命された司教たちが向かおうとすらしなかったためだとしている[1]。短い治世の末、ハルステンは1060年代後半か1070年代前半に廃位され、ガルダリケの幼王アーヌンド・ゴードスケにとってかわられた[5][6]

2度目の治世

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1081年に教皇グレゴリウス7世が発した教皇勅書には、頭文字がそれぞれAとIという2人の兄弟がヴェステルイェートランド(rege wisigothorum[7])の共同王として呼ばれていることから、この時期にハルステンとインゲ1世の兄弟が共同統治(すなわちハルステンは復位していたことになる)していた可能性が指摘されている[5]。ただ、「A」が頭文字という王はホーコン赤王を指している可能性もある[8]ヘイヴォルとヘイズレク王のサガにも、ハルステンとインゲの兄弟が共同統治をおこなったという話がある[4]。ヴェステルイェートランド法の歴代王表によれば、ハルステンは礼儀正しく陽気で、何か問題が持ち込まれた時には常に公正に裁いた[5][6]。そのため、ハルステンが死去した時にはスウェーデン中が嘆いたという[5]。ハルステンは、後の共同王フィリップインゲ2世の父であった[4][5][6]

ヘルヴォルとヘイズレク王のサガには、この頃のステンキル家の王たちについて次のように語っている。

Hallsteinn hét sonr Steinkels konungs, bróðir Inga konungs, er konungr var með Inga konungi, bróður sínum. Synir Hallsteins váru þeir Philippus ok Ingi, er konungdóm tóku í Svíþjóð eptir Inga konung gamla.[3]

ステンキル王は、インゲ(1世)の他に、もう一人の息子ハルステイン(Hallstein)がおり、兄弟とともに統治した。ハルステインの息子はフィリップスとインゲで、彼らはインゲ(1世)の後にスウェーデン王国を継承した。

脚注

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  1. ^ a b Adam (von Bremen); Adam of Bremen; Francis Joseph Tschan; Timothy Reuter (2002-04-01). History of the Archbishops of Hamburg-Bremen. Columbia University Press. p. 159. ISBN 978-0-231-12575-8. https://books.google.com/books?id=4cDtkTUF95IC&pg=PA159 
  2. ^ William Russell; Charles Coote (1822). The history of modern Europe: with an account of the decline & fall of the Roman Empire; and a view of the progress of society, from the rise of the modern kingdoms to the peace of Paris in 1763; in a series of letters from a nobleman to his son. A. Small. p. 140. https://books.google.com/books?id=KUwMAAAAYAAJ&pg=PA140 
  3. ^ a b Hervarar saga ok Heiðreks, Guðni Jónsson's og Bjarni Vilhjálmsson's edition at «Norrøne Tekster og Kvad».
  4. ^ a b c The Saga of Hervör and Heithrek, in Stories and Ballads of the Far Past, translated from the Norse (Icelandic and Faroese), by N. Kershaw. Cambridge at the University Press, 1921.”. 2006年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年12月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h The article Halsten in Nordisk familjebok (1909).
  6. ^ a b c d “Halsten”, Nationalencyklopedin, http://databas.bib.vxu.se:2057/jsp/search/article.jsp?i_art_id=197854 
  7. ^ Kaliff, A. (2001) Gothic Connections, Contacts between eastern Scandinavia and the southern Baltic coast 1000BC-500AD. Occasional Papers in Archaeology 26. Uppsala. p. 16.
  8. ^ Inge in Nationalencyklopedin