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ハロルド・プリンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハロルド・プリンス
Harold Prince
Harold Prince
ハロルド・プリンス
本名 Harold Smith Prince
別名義 ハル・プリンス
生年月日 (1928-01-30) 1928年1月30日
没年月日 (2019-07-31) 2019年7月31日(91歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
死没地 アイスランドの旗 アイスランド レイキャヴィーク
職業 演出家、演劇プロデューサー
ジャンル ミュージカル
活動期間 1950年 – 現在
活動内容 1950年アシスタントステージマネージャーとしてブロードウェイで活動開始
配偶者 ジュディス・チャップリン (1962–現在; 子ども2人)
受賞
トニー賞
ウエスト・サイド・ストーリー』、『屋根の上のバイオリン弾き』、『キャバレー』、『太平洋序曲』 、『スウィーニー・トッド』、『エビータ』、『オペラ座の怪人』などで21回受賞
その他の賞
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ハロルド・プリンス: Harold Prince, 1928年1月30日 - 2019年7月31日)は、アメリカ合衆国の演劇プロデューサー演出家

ウエスト・サイド・ストーリー』、『屋根の上のバイオリン弾き』、『キャバレー』、『オペラ座の怪人』など数々のブロードウェイ・ミュージカルを生み出したことで知られる。個人として史上最多である21度のトニー賞を受賞している。2000年には「アメリカのミュージカルの性質を変えた」としてナショナル・メダル・オブ・アーツ(全米芸術勲章)を授与された。

経歴・人物

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生い立ち

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ハロルド・プリンスは ミルトン・A・プリンスとブランチ・スターンの間にニューヨーク市 に生まれた。名門ドワイト・スクールを卒業後、16歳でペンシルベニア大学に進学し、19歳で卒業した[1]朝鮮戦争アメリカ陸軍に徴兵され、第二次世界大戦後のドイツなどで2年間過ごした。西ドイツシュトゥットガルトに駐屯中に、プリンスが観たショーに登場したMCが、後に『キャバレー』のエムシー役のモデルとなっている[2]

キャリア

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プリンスは、20歳の時、演劇プロデューサーで演出家のジョージ・アボットの助手として演劇界でのキャリアをスタートさせた。2年間の徴兵から帰還した後、ジョージ・アボットとジェローム・ロビンス共同演出、ボブ・フォッシー振付の『パジャマ・ゲーム』をアボットと共同プロデュースし、1955年のトニー賞最優秀ミュージカル賞を受賞した。1962年の『ファミリー・アフェア』から演出家として活動し始めるもののヒットに恵まれなかったが、1966年に『キャバレー』が大成功する。1970年には、『ウエスト・サイド・ストーリー』(1957年)に作詞家として参加した作曲家作詞家スティーヴン・ソンドハイムとのコラボレーションを始め、共に『カンパニー』(1970年)、『フォリーズ』(1971年)、『リトル・ナイト・ミュージック』(1973年)、『太平洋序曲』(1976年)、『スウィーニー・トッド』(1979年)、『メリリー・ウィー・ロール・アロング』(1981年)などの作品を生み出した。

アンドリュー・ロイド・ウェバーの『エビータ』(1979年)と『オペラ座の怪人』(1986年)の演出を手掛けたことでも有名であり、ウエストエンドとブロードウェイでのロングラン記録を誇る『オペラ座の怪人』は共にハロルド・プリンスのオリジナル演出版である。『キャッツ』の演出も依頼されていたが、断っている。

無名であったジェイソン・ロバート・ブラウンを発掘したのは、ハロルド・プリンスの娘で演出家のデイジー・プリンスであり[3]、デイジー・プリンスの推薦で、ハロルド・プリンスが『パレード』(1999年)の作曲家・作詞家として採用した。この作品で、ジェイソン・ロバート・ブラウンはブロードウェイデビューを飾り、初めてトニー賞を受賞した。

ハロルド・プリンスは、数々の作品で21回トニー賞受賞しており、個人としては歴代最多受賞となる[4]

2015年10月から12月にハロルド・プリンス演出の『プリンス・オブ・ブロードウェイ』が日本で世界初演された[5]

私生活

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プリンスは、1962年10月26日に作曲家サウル・チャップリンの娘であるジュディー・チャップリンと結婚した。娘のデイジー・プリンスは演出家、息子のチャールズ・プリンスは指揮者として活動している。娘の夫は俳優のアレクサンダー・チャップリンである。

作品

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舞台

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映画

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  • Something for Everyone (1970) - 監督
  • A Little Night Music (1977) - 監督

受賞とノミネート

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関連人物

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参考

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外部リンク

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