ハーグ委員会
ハーグ委員会(蘭: Haags Besogne)は、ハーグ市に置かれていたオランダ東インド会社(VOC)の委員会であり、バタヴィア市のインド理事会からオランダ本国のVOCに送られたすべての書類を精査していた。ハーグ委員会は経営方針について、最高経営機関である17人会に助言していた。年次報告はハーグ覚書(蘭: Haags Verbaal)と呼ばれていた。
委員会は1649年に設立された。東インドとの通信内容が拡大して、通常は年2回しか開催されない17人会だけでは対応できなくなったためである。
ハーグ委員会の委員(Bewindhebber)は、8人がVOC本体を構成する各支社(カーメル)から派遣されていた。アムステルダム・カーメルから4人。ゼーランド・カーメルから2人。そしてホールンとエンクハイゼンとロッテルダムとデルフトから各1人。
さらに、2人の主要参与者(hoofdparticipanten)が出席した。アムステルダム・カーメルの出資者1人とゼーラント・カーメルの出資者1人である[1]。この2人は、監査と助言が役割だった。
委員会の議事録はカーメルの社長室が保管した。
委員会は毎年、春先に1回目が開催された。委員会の勧告に関するはっきりした規定はなかった。その場その場のアドホックで行われた[2]。実際には、毎年何隻の船を建造するかの決定が慣行で行われていた[3]。これは、ハーグ委員会がバタヴィアで作成されたVOC保有船の便覧(navale magt)を受け取って確認していたためである[4]。
ハーグ委員会が活動を完了してから、17人会のその年最初の会合が開催された。委員会の勧告に一部基づいて、最高会議が決定を下した。
17世紀半ば、ハーグ委員会は、VOCによって征服された砦の規模の縮小と、コロマンデル海岸のVOCの交易所の管理組織の再編成に大きな影響を与えた。これに関する勧告は常にほぼ完全に採用されていた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Dam, Pieter van (1927) Pieter van Dam's Beschryvinge van de Oostindische Compagnie (inleiding en voetnoten door D.W. Stapel) Deel I, Martinus Nijhoff, 's-Gravenhage
- Mostert, Tristan (2007) Chain of command: The military system of the Dutch East India Company 1655 - 1663 (thesis) Leiden
外部リンク
[編集]- “Nederland of Azië; de 'macht' binnen de VOC; Een casestudy naar het Haags Besogne van 1758” (オランダ語). Utrecht University. 2021年8月20日閲覧。