ハーンニーバール・ムアンマル・アル=カッザーフィー
ハーンニーバール・ムアンマル・アル=カッザーフィー هانيبال معمر القذافي | |
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生誕 |
1975年9月20日(49歳) リビア トリポリ |
職業 | 実業家 |
配偶者 | アリーネ・アル=カッザーフィー |
親 | ムアンマル・アル=カッザーフィー、サフィーア・ファルカーシュ |
ハーンニーバール・ムアンマル・アル=カッザーフィー(アラビア語: هانيبال معمر القذافي、Hannibal Muammar Gaddafi、1975年9月20日 - )は、リビアの実業家。ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)の四男であり、カダフィの二番目の妻、サフィーア・ファルカーシュの子である[1][2]。カダフィ政権崩壊後はオマーンに亡命している。
経歴
[編集]リビアのトリポリに生まれる。見習航海士として1993年にリビアの海洋大学に入学し、1999年に運航士として卒業し、航海学学士(理学)の学位を取得した。リビア国営海運会社(GNMTC)の各種船舶に乗船し、海運に関するキャリアを開始した後、2003年にエジプト・アレクサンドリアの科学・技術・海上輸送のためのアラブアカデミーにて役員及び船長資格を取得した。
コペンハーゲン・ビジネススクールにおいてMBA(海運経済学及びロジスティクス専攻)を取得した後、2007年にリビア国営海運会社管理委員会初の顧問に就任した。
ランジェリーモデルであったレバノン人キリスト教徒のアリーネ・スカフと結婚し、二人の子供をもうけた。[3][4][5]
事件
[編集]2005年、フランスにおいて、当時妊娠中のガールフレンドに暴力をふるい、執行猶予付き禁錮4か月の判決を受けている[6]。
2008年、スイス当局は、ハーンニーバール及び妻アリーネを、ジュネーブ市内の五つ星の高級ホテル内において、女性使用人2名に対し「傷害、脅迫及び強要」を行ったとの嫌疑で逮捕した[2][7]。最終的には起訴猶予になったが、カダフィが激怒しスイスに圧力をかけるなど外交問題に発展した[1]。2009年にリビア国内に滞在するスイス人2人が拘束されており、スイス政府はこの拘束はハーンニバールの逮捕に対する報復としてなされたものであると主張している[8]。
2008年、ハーンニーバールは、デンマークの新聞であるEkstra Bladet紙に対し、デンマークにおいて提起した訴訟に敗訴した。同紙は2005年、ハーンニーバールがコペンハーゲン留学中に、ゲントフテに所在するリビア領事の私邸において、リビア人を誘拐し暴行するよう指示したと報道していた。ハーンニーバールは出廷せず、裁判所は、証拠から同紙の主張が裏付けられていると判断した。[9][10]
2009年12月、ロンドンのクラリッジズホテルの一室で妻アリーネを暴行したという嫌疑もある。同ホテルにおいて女性の叫び声がするとの通報に応じ、警察官が客室に駆けつけたところ、室内において顔や鼻から激しく出血しているアリーネが発見された。アリーネは顔の負傷の治療のために病院に搬送された。この件では警察官の入室を妨げたとして、ボディーガード3人が逮捕されている。ハーンニーバールは不逮捕特権を主張し逮捕を免れた[11][12]。
リビア内戦
[編集]2011年リビア内戦では、反体制派によりトリポリが制圧されると、早々に、8月29日には陸路を通じて妻アリーネ及び他のカダフィ一族と共に隣国のアルジェリアに脱出した[13] [14]。残されたパーソナルコンピュータには、ハーンニーバールがプライベートジェット機を使い、リゾート地で豪遊していたことを示す画像などが残されており、これらは内外に報道された[15]。
2012年10月、母サフィーア・ファルカーシュ、兄ムハンマド・アル=カッザーフィー、妹アーイシャ・アル=カッザーフィーと共にアルジェリアの潜伏先を去り、オマーンに入国し亡命を申請した。2013年3月に「政治活動をしない」という条件を受け入れたため、オマーン政府により亡命が受理された[16]。
反体制派は、ハーンニーバール及び妻アリーネの娘及び息子の世話をしていたエチオピア人の乳母が、トリポリ西部の海辺の豪華な別荘の一室に遺棄されているのを発見した。乳母は、泣いているアリーネの娘を殴るようアリーネが指示したのを拒否したところ、アリーネは激怒し、乳母を浴室に連れて行き、縛り上げ、口にテープを貼り、頭から熱湯をかけ、その後3日間、乳母を眠らせず、水も食物も与えなかったと主張している。他の匿名の使用人も、乳母の言い分は正しいと証言し、自分もまた日常的に殴られたりナイフで切りつけられたりされていたと主張している。[17]
リビア内戦後
[編集]2015年12月11日、ハーンニーバールは、行方不明となっているシーア派指導者のムッサ・サドル師に関する情報を要求する武装勢力により、レバノンにおいて一時誘拐されていたが、バールベックにおいて解放された[18]。レバノン政府からは、サドル師の行方不明に関して、ハーンニーバールに対し逮捕状が出され、ハーンニーバールは逮捕された。シリア政府はレバノン政府に対し、ハーンニーバールは政治亡命者であるためこれを引き渡すよう求めていたが、レバノン政府にとってハーンニーバールはサドル師の行方不明についての情報源として重要な人物であったため、この要求を拒否した[19][20]。2016年8月、サドル師の家族はサドル師の行方不明についてのハーンニーバールの関与を理由として、ハーンニーバールを提訴した[21]。
脚注
[編集]- ^ a b “The Gaddafi family – its key members”. ガーディアン (2011年8月30日). 2011年10月29日閲覧。
- ^ a b “Kadhafi’s son arrested for violence in Geneva hotel”. shariahfinancewatch.org (2008年7月19日). 2011年10月29日閲覧。
- ^ LUCY BUCKLAND (12 October 2011). “Gaddafi son's lingerie model wife in racy photographs... as more decadent snaps emerge of Libya's first family”. Daily Mail 14 December 2015閲覧。
- ^ “Like Father Like Sons? Gaddafi's Fascinating Family”. Al Bawaba. (28 February 2011) 14 December 2015閲覧。
- ^ Kim Sengupta (16 September 2011). “Pythons, parties and offshore accounts: Life among Libya's elite”. The Independent 14 December 2015閲覧。
- ^ カダフィ大佐の息子妻から虐待、「熱湯かけられやけど」乳母が訴え(AFP.BB.NEWS.2011年9月3日)2011年10月29日閲覧
- ^ “Gaddafi son arrested for assault”. BBC World News. (17 July 2008) 8 March 2011閲覧。
- ^ Thomasson, Emma (6 March 2011). “Swiss want probe into Libya detention of citizens”. Reuters 6 March 2011閲覧。
- ^ Bluhme, Kate (25 June 2008). “Gadaffi-søn tabte sag til Ekstra Bladet [Gadaffi son lost the case for Ekstra Bladet]” (Danish). Ekstra Bladet 3 April 2011閲覧。
- ^ “Gadaffi Junior tabte til Ekstra Bladet [Gadaffi Junior lost to Ekstra Bladet]” (Danish). Business Times. (25 June 2008) 3 April 2011閲覧. "Hannibal Gadaffi, mødte aldrig op i landsretten for at tale sin sag, og derfor har dommerne støttet sig til forklaringer fra Ekstra Bladet og fra politiets rapporter i den opsigtvækkende affære. I januar 2005 fik Københavns Politi en anmeldelse om, at en libysk borger var blevet bortført fra en lejlighed på Nordre Fasanvej og ført til den libyske konsuls hjem i Gentofte. Manden havde ringet på sin mobil og fortalt, at han var bundet i kælderen og havde fået "smadret" arme og ben. Da politiet efterforskede sagen nærmere, gik det op for dem, at det tilsyneladende var Hannibal Gadaffi, der nu studerede på handelshøjskolen i København, som stod bag afstraffelsen." In English: "Hannibal Gaddafi never appeared in court to present his case and therefore the court has relied on explanations from Ekstra Bladet and police reports in the current case. In January 2005 Copenhagen Police received a report that a Libyan citizen was abducted from his apartment at Nordre Fasanvej and taken to the Libyan consul's home in Gentofte. The man had called by his mobile phone and told that he was tied in the cellar and had got his arms and legs "damaged". When the police investigated the case more closely the realized that appearently it was Hannibal Gadaffi, who then studied at the Copenhagen School of Business, that directed the punishment."
- ^ “カダフィ氏子息また騒動/英高級ホテルで妻暴行か”. 四国新聞社. (2009年12月31日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ Laing, Aislinn; Irvine, Chris (31 December 2009). “Col Gadaffi's son in hotel room row which sees wife injured and bodyguards arrested”. The Telegraph 1 September 2011閲覧。
- ^ “Aid Sought for Alleged Gadhafi Torture Victim”. Voice of America. (2 September 2011) 27 September 2011閲覧。
- ^ “Muammar Gaddafi's family take refuge in Oman”. The Telegraph. (25 March 2013) 29 August 2013閲覧。
- ^ カダフィ大佐の五男、夫人との豪遊の日々(AFP.BB.NEWS.2011年9月28日)2011年10月29日閲覧
- ^ “カダフィ氏妻子、オマーンに亡命”. 日本経済新聞. (2013年3月26日) 2015年3月15日閲覧。
- ^ “'Gaddafi's daughter-in-law threw boiling water over my head after I refused to beat her child': Horrific burns of nanny abandoned in dictator's mansion”. Daily mail. (30 August 2011) 7 January 2012閲覧。
- ^ “Gaddafi's son Hannibal freed after kidnap in Lebanon”. BBC News (11 December 2015). 11 December 2015閲覧。
- ^ “Hannibal Gaddafi: Lebanon officials issue arrest warrant for son of former Libyan dictator”. IBTimes. (14 December 2015) 7 July 2015閲覧。
- ^ “Lebanon rejects Syria request to hand over Gaddafi son”. The Times of Israel. (16 December 2015) 7 July 2016閲覧。
- ^ “Imam Musa Sadr’s Family Files Lawsuit against Gaddafi Son”. Ahlul Bayt News Agency. (30 August 2016) 13 October 2016閲覧。