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バクセイ・チャムクロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バクセイ・チャムクロン
ប្រាសាទបក្សីចាំក្រុង
Baksei Chamkrong
基本情報
所在地 アンコール遺跡
座標 北緯13度25分31秒 東経103度51分29秒 / 北緯13.42528度 東経103.85806度 / 13.42528; 103.85806座標: 北緯13度25分31秒 東経103度51分29秒 / 北緯13.42528度 東経103.85806度 / 13.42528; 103.85806
宗教 ヒンドゥー教
シェムリアップ
地区 シェムリアップ郡英語版
シェムリアップ州
カンボジアの旗 カンボジア
現況 遺跡
建設
形式 クメール建築英語版
様式 バケン様式-コー・ケー様式
創設者 ハルシャヴァルマン1世英語版
完成 10世紀中頃(947年)[1]
建築物
正面
最長部(最高) 12メートル(基壇)
資材 煉瓦ラテライト[2]
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バクセイ・チャムクロンの位置

バクセイ・チャムクロン(Baksei Chamkrong、クメール語: ប្រាសាទបក្សីចាំក្រុង)は、カンボジアシェムリアップ州の古都アンコールにある、小さなヒンドゥー教寺院 (Hindu temple) である。寺院はシヴァ神に捧げられ[1]、シヴァの金色の像を保持していた。バクセイ・チャムクロンは南大門からアンコール・トムに入るとき左側に見られる。

バクセイ・チャムクロンは10世紀、息子である王ハルシャヴァルマン1世英語版(在位910-944年)により[2]、父ヤショーヴァルマン1世に捧げられた。寺院はラージェンドラヴァルマン2世英語版(在位944-968年)によって完成した[3]

名前

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バクセイ・チャムクロンという名は、「翼下で護る鳥」を意味し、王が攻囲されたアンコールから逃れようとしていた時、巨大な鳥が舞い降りて、その翼の下で王を護ったという伝説に由来する[3]

構成

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この寺院は、煉瓦ラテライトなどの耐久性のある素材と砂岩の装飾により建築された最初の寺院の1つである[3]。当初は煉瓦の周壁がピラミッド型寺院を囲んでいたが[2]、東側の塔門(ゴープラgopura)もわずかに残る痕跡以外ほとんど完全に消滅している[4]

ピラミッド型寺院の4段のラテライトの基壇は直径27メートル、頂上部では15メートル、高さは12メートル。 4本の階段が基壇の頂上部まで伸びる[4]。煉瓦の中央祠堂が8メートル四方の砂岩の基盤に建つ。東の扉が開き、ほかの3面には通常の偽扉がある[4]

寺院の外面の化粧漆喰(スタッコ)は大半が失われている[3]。中心の砂岩のまぐさ(リンテル)は、インドラが3つの頭の象アイラーヴァタの上に立っている細かな彫刻で装飾されている。花輪模様がインドラの両側から、遺跡に一般的な様式で広がる。碑文が小さい扉口の両側にあり、ジャヤーヴァルマン2世英語版からのクメール王朝初期の王たちや、同じく国家の祖先である隠者カンブー (Kambu) など、より以前の伝説的な王たちへの奉献と賛美が記される[5]

脚注

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  1. ^ a b Rooney (2011), p. 318
  2. ^ a b c 波田野直樹『アンコール遺跡を楽しむ』(改訂版)連合出版、2007年、146頁。ISBN 978-4-89772-224-5 
  3. ^ a b c d The temple complex of Angkor Baksei Chamkrong”. CambodianOnline.Net. 13 October 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月24日閲覧。
  4. ^ a b c Rooney (2011), p. 319
  5. ^ Ancient Angkor guide book by Michael Freeman and Claude Jacques, p.72, published in 2003.

参考文献

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  • Rooney, Dawn F. (2011). Angkor: Cambodia's Wondrous Khmer Temples (6th ed.). Odissey. ISBN 978-962-217-802-1