コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

バシュカ (クロアチア)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バシュカ(クロアチア語:Baška、ドイツ語:Weschke、イタリア語:Bescanuova)はクロアチアクルク島の南東部に位置する、プリモリェ=ゴルスキ・コタル郡の小さな町である。

バシュカ
Baška
位置
バシュカの位置(クロアチア内)
バシュカ
バシュカ
バシュカ (クロアチア)
座標 : 北緯44度58分0秒 東経14度45分0秒 / 北緯44.96667度 東経14.75000度 / 44.96667; 14.75000
行政
クロアチアの旗 クロアチア
  プリモリェ=ゴルスキ・コタル郡
 市 バシュカ
Baška
地理
面積  
  市域 98.9 km2
  市街地 16.1 km2
人口
人口 (2021現在)
  市域 1,673人
    人口密度   27人/km2
  市街地 899人
    都市圏人口密度   56人/km2
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : http://baska.hr/

位置、市勢

[編集]

クルクから16km、本土とクルク島を結ぶクルク橋からは約36km。最寄りの空港はクルク島のオミサリの近くのリエカ空港(RJK)。人口は899人、基礎自治体で1,673人。(2021年調査)

旧市街のすぐ目の前にはヴェール・プラジャ(Vela plaža=大きな海岸)と呼ばれる海岸が広がり、クルク島で最も有名なリゾート地として知られる。

歴史

[編集]

先史時代からイリュリア人が住んでいたと考えられており、現在の港の周辺にはBC2世紀頃にローマ人入植者が築いた教会や住居の名残りが見られる。13世紀頃、丘の上に「ベシュカ城」(Castellum Besca)があり人々が丘の上に住んでいたという記録がある。1380年にヴェネツィア人が城を焼き払ったあと、人々は徐々に山を下り、現在の町がある海岸沿いに移った。中世の時代はヴェネツィア共和国に、その後オーストリア帝国の支配下に置かれた。

1900年頃には約4,000人が暮らしており、漁業や農業、ワインの製造、木材やレンガの生産などを営んでいた。第一次大戦後の1918年-1920年はイタリア領に、第二次大戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に、そして1991年のユーゴスラビア解体によりクロアチア領となった。

観光業の発展

[編集]

リゾート地としてのバシュカの発展には、チェコの実業家エミル・ガイストリッヒ(Emil Geistlich,1870-1922)が深く関わっている。

1904年、バシュカの有力者たちは観光客を呼び込もうと「町の美化協会」という組合を作った[1]。2年後に最初のホテルを開業し、ドイツやイタリアで宣伝したが結果は思うようにはいかなかった。プラハで印刷会社を創業し成功したエミル・ガイストリッヒは、バシュカについて書かれた記事を読んで大いに関心を持ち、1909年に12歳の娘と友人を連れてクルク島を訪れた[2]。この時代はリエカから船が出ていた。彼は組合のメンバーと面会して資本提携を結び、チェコで宣伝する約束を交わした[3]

アドリア海には有名なリゾートがいくつかあったが、いずれもドイツやイタリアの富裕層が集まる高級リゾートになっていた。ガイストリッヒはそこに着目し「アングロサクソンやラテン民族に会わないスラブ民族のための静かなリゾート」という謳い文句で、チェコの中産階級をターゲットにして宣伝した[4]。最初の夏は40人程度だったが翌年には1,000人を超えるチェコ人が訪れた。ガイストリッヒ自身も海辺のホテルとチェコ料理のレストランを開業し、妻がホテル経営を担当した。

1922年7月7日、ガイストリッヒはバシュカを訪問中に肺炎を患い51歳で亡くなった。彼はこの地に埋葬され、1928年に海岸に記念碑が建てられた。

名所、旧跡

[編集]

バシュカ城遺跡 Baška Castle

入り江を望む東側の丘の上に石積みの城跡が残る。1232年の文書にはベシュカ(Beska)城と記されている。1380年にヴェネツィア人に城を焼き払われたあと人々は海辺に移ってバシュカの集落を築いた。人々が住んでいた場所は現在は墓地になっている。

聖ルチア教会 Crkva svete Lucije

旧市街から北へ1.8kmのユランドヴォル(Jurandvor)にある、ロマネスク様式のカトリック教会。教会の床から1100年に作られた「バシュカの石碑」があったことから、この時代に建てられたと考えられている。教会の隣には1590年頃まであったベネディクト会修道院の廃墟が残る。

バシュカの石碑 Baška Tablet 

1851年に聖ルチア教会​​の床から見つかったクロアチア最古の石碑。1097年に当時のクロアチア国王が教会のための土地を分け与えたことや立会い者の名前などがグラゴル文字で記されている[5]。大きさは199×99.5×9cm。教会の展示品はレプリカで、本物はザグレブのクロアチア科学芸術アカデミーに保管されている。
聖ルチア教会と修道院の跡

ヴェラ・プラジャ ビーチ Vela plaža

バシュカの海岸線
長さ1.8kmあるアドリア海でも最大級の海岸である。1999年に国際NGO FEE(国際環境教育基金)が定めるブルーフラッグビーチ(きれいで安全で誰もが楽しめる優しいビーチ)に認定された。周辺にも30ヶ所あまりのビーチが点在している。

気候

[編集]

夏は短いが暖かくほとんどの日が晴れている。冬は寒く、雨が多く風も強い。年間を通じて1.6℃を下回ったり33.8℃を超えることは滅多にない。最も雨が多いのは11月で、少ないのは7月[6]。最も早い日の出は6月15日05:13、最も遅い日の出は1月2日07:39。最も早い日の入りは 12月9日16:19、最も遅い日の入りは6月26日20:51。

2024年は3月31日から10月27日まで夏時間(DST)が採用された。

バシュカ, 2016-2023の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 9
(48)
9
(49)
13
(55)
17
(62)
21
(70)
25
(77)
28
(83)
28
(83)
23
(74)
18
(65)
13
(56)
10
(50)
17.8
(64.3)
日平均気温 °C°F 6
(42)
6
(43)
9
(48)
13
(55)
17
(63)
21
(70)
24
(75)
24
(75)
19
(67)
15
(59)
11
(51)
7
(44)
14.3
(57.7)
平均最低気温 °C°F 3
(37)
3
(37)
6
(42)
9
(48)
13
(55)
17
(62)
19
(66)
19
(66)
15
(59)
12
(53)
7
(45)
4
(39)
10.6
(50.8)
降水量 mm (inch) 66
(2.6)
69
(2.7)
66
(2.6)
71
(2.8)
71
(2.8)
64
(2.5)
46
(1.8)
64
(2.5)
102
(4.0)
107
(4.2)
109
(4.3)
89
(3.5)
924
(36.3)
出典:Wether Spark

脚注

[編集]
  1. ^ Baška - Otok Krk” (英語). Tourist office of Island Krk. 2024年11月28日閲覧。
  2. ^ Dějiny a současnost, Jak Emil Geistlich naučil Čechy jezdit na Jadran”. Dějiny a současnost. 2024年11月28日閲覧。
  3. ^ Češi a Baška | Chorvatsko.cz”. www.chorvatsko.cz. 2024年11月26日閲覧。
  4. ^ Dějiny a současnost, Jak Emil Geistlich naučil Čechy jezdit na Jadran”. Dějiny a současnost. 2024年11月28日閲覧。
  5. ^ The Baška Tablet – HAZU”. www.info.hazu.hr. 2024年11月28日閲覧。
  6. ^ Baška Climate, Weather By Month, Average Temperature (Croatia) - Weather Spark” (英語). weatherspark.com. 2024年11月28日閲覧。