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バッソンピエール元帥の体験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バッソンピエール元帥の体験』(ドイツ語: Erlebnis des Marschalls von Bassompierre)は、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールによる短編小説。ゲーテが『ドイツ移民の談話ドイツ語版』に挿話として収めたフランソワ・ド・バッソンピエール英語版の回想録の抄訳をホーフマンスタールが翻案した作品であり、1900年の秋にウィーンの週刊誌『ディー・ツァイトドイツ語版』に掲載された。劇作家としては多作であった作者の、数少ない小説作品の一つ。

本記事名の『バッソンピエール元帥の体験』は前川道介山川丈平が用いた日本語題であり、この他にも数多くの訳者に様々な題の下に日本語訳されてきた。

あらすじ

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舞台はペストが流行する近世のパリ。放蕩家として鳴らす「私」こと、後のフランス元帥バッソンピエールの若かりし頃[注 1]の物語である。

厳しい冬の寒さを和らげる暖炉の灯りに照らされ、「私」は若い主婦との、どこか不吉さも伴う幻想的な交合を楽しんでいた。再会の約束を取り付けようとする「私」に対して、女は日時と場所についてあれこれと条件を付けたものの、結局は申し出を受け入れるのだった。女は、もし自らが夫か「私」以外の男と関係を持つようなことがあればどのようなむごたらしい死を迎えても構わない、とこぼす。

ふとしたことから女の夫に興味を抱いた「私」は、夫婦の家を盗み見る。「私」の勝手な想像を裏切り、夫はどこか気品を漂わせる美丈夫であった。夫が自身の指や爪に注意深く視線を落とす振る舞いは、かつて王の命によりブロワ城に幽閉され、「私」自身もその監視を勤めたことがある、とある貴人を連想させた。二人の男の共通点は、観察を続けるほどに「私」の中でより色濃く意識されていく。その翌日、「私」はペストによる死者が出た部屋では消毒のために藁を燃やすこと、ペストの感染の症候は爪に現れることなどを耳にする。

女との約束通りに彼女の叔母の家の一室へと赴いた「私」は、自らのノックに返ってきた男の声に狼狽して一度はここを離れたものの、その窓から覗く炎のような明かりの瞬きに先の逢瀬の記憶を強く引き出され、女を我が手に取り戻さんと荒ぶって部屋に飛び込む。ところが、窓から覗いていた明かりはベッドの藁が燃やされて出た炎による物であり、部屋の中にいたのはこの作業に従事する男らと、机の上に横たえられた二つの裸の死体であった[注 2]。後に「私」は女の身元を調査しようとするのだが、わずかな手がかりさえ得ることができなかった。

注釈

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  1. ^ 『ドイツの文学 第12巻』の山川丈平の注釈によれば物語の正確な時代は1606年であり、これに従うなら1579年生まれのバッソンピエールは27歳前後ということになる。
  2. ^ 物語の筆致は暗示的であり、この二つの死体についても女やその夫の物であったのか否かは明かされることがなく、多様な解釈が成立しうる[1]

日本語訳の書誌情報

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  • 1959年 『架橋』5号「バッソンピエール元帥の体験」訳:前川道介
    この他 『独逸怪奇小説集成』(2001年)国書刊行会に所収
  • 1966年 『ドイツの文学第12巻 名作短編』「バッソンピエール元帥の体験」 訳:山川丈平 (注釈あり)
  • 1967年 『世界の文学 54 ドイツ名作集』「バソンピエール元帥の体験」 訳:川村二郎 中央公論新社
  • 1971年 『ドイツ短編24』「バソムピエール元帥綺譚」訳:福田宏年 集英社
  • 1972年 『ホーフマンスタール選集2 小説|散文』「騎士バッソンピエールの奇妙な冒険」訳:小堀桂一郎 河出書房
    この他『ドイツ怪談集』(2002年) 河出文庫に所収
  • 1976年 『筑摩世界文学大系 63』「バッソンピエール元帥の回想記から」訳:大山定一 筑摩書房
    この他『ちくま文学の森7 恐ろしい話』(1988年) 筑摩書房・『澁澤龍彦文学館12最後の箱』(1991年) 筑摩書房 に所収
  • 1989年 『ウィーン世紀末文学選』「バッソンピエール公綺譚」 訳:池内紀 岩波文庫
    この他『わがひそかなる楽しみ [光る話]の花束8』(1990年)光文社に所収
  • 2018年 『チャンドス卿の手紙/アンドレアス』 「バソンピエール元帥の体験」訳:丘沢静也 光文社古典新訳文庫

脚注

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  1. ^ 『ホーフマンスタールの短編小説について:神話的な世界と死の問題』p.33 岩田聡 1981