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バディ・ブラッドフォード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バディ・ブラッドフォード
Buddy Bradford
シカゴ・ホワイトソックス時代
(1970年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州モービル
生年月日 (1944-07-25) 1944年7月25日(80歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1962年
初出場 MLB / 1966年9月9日
NPB / 1977年4月2日
最終出場 MLB / 1976年7月24日
NPB / 1977年7月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

チャールズ・ウィリアム・ブラッドフォードCharles William "Buddy" Bradford , 1944年7月25日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身の元プロ野球選手外野手)。

NPBでの登録名はバディ

経歴

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アメリカ時代

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1944年7月25日アメリカ合衆国アラバマ州モービル生まれ。4歳の時に父親が亡くなったのを機にカリフォルニア州パコイマへと転居し、同所で育った。パコイマでの野球仲間の一人に、後にメジャー通算234本塁打を記録するゲイリー・マシューズ・シニアがいる[1]

地元のサンフェルナンド高校を卒業後、シカゴ・ホワイトソックススカウトを受けて1962年にプロ入り。1966年シーズンの終盤にメジャー初昇格を果たすと、1968年以降はメジャーに定着するようになった。

1969年4月25日の試合で当時の本拠地コミスキー・パークの屋根の上に届く特大本塁打を放つなど長打力には定評があったが、確実性に欠けていたためレギュラーに定着することはできなかった。チームメイトの影響で始めた投資に関心が向いてしまい、野球に集中できていなかったのも原因だという[1]1970年シーズンの途中でクリーブランド・インディアンスに放出されたのを皮切りに、7シーズンで5度の移籍を経験している。

古巣のホワイトソックスで迎えた1974年シーズンは好調な滑り出しを見せたものの、フェンス激突による鎖骨骨折ハムストリング断裂などの負傷が相次ぎ、シーズンの大半を棒に振ることになった[1]。翌1975年開幕3番を任されるなど期待を受けたが、故障の影響もあって精彩を欠き、レギュラー奪取には至らなかった。

日本時代

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1977年ロン・ロリッチの後釜として近鉄バファローズに入団する。登録名は愛称のバディ。近鉄は同年、6月5日ロッテオリオンズ戦からユニフォームの背番号上にネームを入れるようになったが、バディは登録名の「BUDDY」ではなく姓の「BRADFORD」を希望して揉めたという。結局同日は特別に背ネームをはがして試合に出場していた[2]

4月2日開幕戦に4番・中堅手として出場、来日初本塁打を含む4打数2安打2打点の活躍を見せる。しかし4月5日の対阪急前期1回戦から4月10日の対クラウン前期1回戦にかけて野手日本プロ野球記録(当時)に並ぶ8打席連続三振を喫するなどたちまち荒さを露呈[3]。さらに盗塁を試みた際に再びハムストリング断裂させてしまい[1]、しばらくは偵察要員として起用されるのみとなった。

5月末に復帰してからは専ら指名打者での起用となり、クリーンナップを任されたが結果は残せなかった。後期開幕直後の7月10日、対南海後期2・3回戦(ダブルヘッダー)に偵察要員として出場したのを最後に脚の治療のため帰国し、そのまま退団。同年限りで現役引退した。

引退後

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引退後は夫人の勧めを受け、ロサンゼルス裁判所に勤めたが1年ほどで退職。その後はシカゴ・カブス傘下マイナーインストラクター警備関係の仕事に就き、1994年の時点では投資会社を経営していた[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1966 CWS 14 30 28 3 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 2 0 0 6 0 .143 .200 .143 .343
1967 24 21 20 6 2 1 0 0 3 1 1 0 0 0 1 1 0 7 0 .100 .143 .150 .293
1968 103 313 281 32 61 11 0 5 87 24 8 4 3 4 23 2 2 67 8 .217 .277 .310 .587
1969 93 313 273 36 70 8 2 11 115 27 5 2 2 0 34 4 4 75 4 .256 .347 .421 .769
1970 32 105 91 8 17 3 0 2 26 8 1 2 1 1 10 0 0 30 5 .187 .265 .286 .550
CLE 75 186 163 25 32 6 1 7 61 23 0 1 0 1 21 1 1 43 8 .196 .290 .374 .665
'70計 107 291 254 33 49 9 1 9 87 31 1 3 1 2 31 1 1 73 13 .193 .281 .343 .624
1971 20 44 38 4 6 2 1 0 10 3 0 0 0 0 6 1 0 10 2 .158 .273 .263 .536
CIN 79 118 100 17 20 3 0 2 29 12 4 2 1 0 14 4 3 23 2 .200 .316 .290 .606
'71計 99 162 138 21 26 5 1 2 39 15 4 2 1 0 20 5 3 33 4 .188 .304 .283 .587
1972 CWS 35 54 48 13 13 2 0 2 21 8 3 2 1 0 4 0 1 13 3 .271 .340 .438 .777
1973 53 187 168 24 40 3 1 8 69 15 4 5 0 0 17 1 2 43 4 .238 .316 .411 .726
1974 39 112 96 16 32 2 0 5 49 10 1 2 1 1 13 0 1 13 3 .333 .414 .510 .925
1975 25 74 58 8 9 3 1 2 20 15 3 2 1 4 8 0 3 22 1 .155 .274 .345 .619
STL 50 93 81 12 22 1 0 4 35 15 0 2 0 0 12 0 0 24 3 .272 .366 .432 .798
'75計 75 167 139 20 31 4 1 6 55 30 3 4 1 4 20 0 3 46 4 .223 .325 .396 .721
1976 CWS 55 184 160 20 35 5 2 4 56 14 6 0 2 0 19 2 2 37 0 .219 .309 .350 .659
1977 近鉄 56 89 78 8 15 0 1 4 29 11 4 2 0 1 9 0 1 23 3 .192 .281 .372 .653
MLB:11年 697 1834 1605 224 363 50 8 52 585 175 36 24 12 11 184 16 19 411 43 .226 .311 .364 .676
NPB:1年 56 89 78 8 15 0 1 4 29 11 4 2 0 1 9 0 1 23 3 .192 .281 .372 .653

背番号

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  • 53 (1966年)
  • 32 (1967年 - 1968年)
  • 19 (1969年 - 1970年途中)
  • 25 (1970年途中 - 1971年途中)
  • 29 (1971年途中 - 同年終了、1976年途中 - 同年終了)
  • 22 (1972年 - 1975年途中、1976年 - 同年途中、1977年)
  • 12 (1975年途中 - 同年終了)

脚注

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  1. ^ a b c d e “WHERE THEY ARE NOW: BUDDY BRADFORD”. ロサンゼルス・タイムズ. (1994年7月2日). http://articles.latimes.com/1994-07-02/sports/sp-11160_1_buddy-bradford 2012年9月28日閲覧。 
  2. ^ 「俺の名前じゃない?」週刊ベースボール別冊 よみがえる1970年代のプロ野球 [Part4] 1977年編 王貞治、756号本塁打 ベースボール・マガジン社.2022年.P60
  3. ^ “【7月6日】2006年(平18) やっちまった…鉄平 野手新記録9打席連続三振”. スポーツニッポン. (2011年7月6日). https://web.archive.org/web/20110719150726/http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1107/kiji/K20110706001137730.html 2012年9月28日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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