パウリーネ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ
パウリーネ Pauline | |
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エルンスト系ヴェッティン家 | |
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公女パウリーネ、1868年 | |
全名 |
一覧参照
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出生 |
1852年7月25日 ヴュルテンベルク王国、シュトゥットガルト |
死去 |
1904年5月17日(51歳没) イタリア王国、オルテ |
埋葬 |
ドイツ国 ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国、ヴァイマル、ヴァイマル大公家霊廟 |
配偶者 | カール・アウグスト |
子女 |
一覧参照
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父親 | ヘルマン |
母親 | アウグステ |
パウリーネ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ(Pauline von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1852年7月25日 - 1904年5月17日)は、ドイツ・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公家の大公女。又従兄の大公世子に嫁ぎ、同家の最後の大公ヴィルヘルム・エルンストの母となった。
生涯
[編集]大公カール・アレクサンダーの従弟ヘルマン大公子と、その妻のヴュルテンベルク王女アウグステの間の第1子、長女として生まれた。全名はパウリーネ・イーダ・マリー・オルガ・ヘンリエッテ・カタリーナ(Pauline Ida Marie Olga Henriette Catharina)。父はヴュルテンベルク王国軍に勤務し、同国の王ヴィルヘルム1世の末娘を娶ってシュトゥットガルトに居を構えたため、一家は「ヴュルテンベルク分家(württembergische Linie)」と呼びならわされた。
1873年8月26日フリードリヒスハーフェンにて、カール・アレクサンダー大公の長男で又従兄にあたるカール・アウグスト大公世子と結婚。ちょうどオペラ『アイーダ』のイタリア国外では最初の上演がヴァイマルで予定されており、その初演日と2人の結婚予定日が重なったため、結婚の日が延期されている[1] 。夫妻の間には2人の息子が生まれた。
- ヴィルヘルム・エルンスト・カール・アレクサンダー・フリードリヒ・ハインリヒ・ベルンハルト・アルベルト・ゲオルク・ヘルマン(1876年 - 1923年) - ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公
- ベルンハルト・カール・アレクサンダー・ヘルマン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・オスカー・フリードリヒ・フランツ・ペーター(1878年 - 1900年)
夫は1894年義父に先立って死去し、1901年に長男が祖父から大公位を引き継いだ。1901年、私財を投じてラムスラにこの地域では最古の保育園となる「パウリーネ院(„Paulinenstift“)」を設立した。ヴァイマルのベルヴェデーレ宮殿を終の住処としたが、彼女はこの小宮殿に居住した大公家最後の人間である[2] 。死後、ヴァイマル大公家霊廟に葬られた。
バート・ベルカの町のシンボルとして建立されたパウリーネ塔は、大公の母であるパウリーネの名前を採っている[3]。ヨーゼフ・ヴィクトル・フォン・シェッフェルの長編叙事詩『ゼッキンゲンのラッパ手(Der Trompeter von Säckingen op. 45)』の5つの作中歌謡曲は、パウリーネに献呈されている[4]。
参考文献
[編集]- Otto Devrient: Zur Einzugsfeier der Hohen Neuvermählten Ihrer Königlichen Hoheiten des Erbgroßherzogs Karl August und der Frau Erbgroßherzogin Pauline von Sachsen-Weimar-Eisenach., Kühn, 1873
引用
[編集]- ^ Hans Busch: Verdi’s Aida, St. Paul 1978, S. 301 (Digitalisat)
- ^ http://www.geschichte-der-fliese.de/belvedere_weimar.html
- ^ http://www.bad-berka.de/index.php?id=194&L=0
- ^ http://www.mugi.hfmt-hamburg.de/grundseite/grundseite.php?id=lang1815