朴斗翼
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(パク・ドゥイクから転送)
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名前 | ||||||
カタカナ | パク・ドゥイク | |||||
ラテン文字 | Pak Doo-Ik | |||||
朝鮮語 | 박두익 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 北朝鮮 | |||||
生年月日 | 1942年3月17日(82歳) | |||||
出身地 | 平壌市 | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
代表歴 | ||||||
1965-66 | 朝鮮民主主義人民共和国 | 5(2) | ||||
監督歴 | ||||||
1976, 1990 | 朝鮮民主主義人民共和国 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
朴 斗翼(パク・ドゥイク、박두익、1942年3月17日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国・平壌市出身の元サッカー選手(FW)・監督。1966年FIFAワールドカップの朝鮮民主主義人民共和国代表メンバー。
来歴・人物
[編集]朝鮮戦争が休戦になった後、印刷工場で働き始め、1957年に平壌市体育選手団に入団し、その時から専門選手としてサッカーをする[1]。1966年にイングランドで開催されたFIFAワールドカップの代表に選ばれ、全4試合に出場した。優勝候補の一角と目されていたグループリーグ最終戦のイタリアとの試合で決勝ゴールを決めて1-0と勝利し、決勝トーナメント進出に貢献した。この結果を受けた各国の記者は、「1950年ブラジルW杯でアマチュアのアメリカが、プロのイングランドに勝った試合に匹敵する大番狂わせだ」と大々的に報道した[2]。
引退後は1976年と1990年に代表監督を務めた。2008年4月28日に平壌で行われた北京オリンピックの聖火リレーの第一走者も務め、現在は代表のフィットネスコーチを務めている。
トリビア
[編集]- 現役時代の彼の職業は歯医者だったという話しがある。