オラクル・パーク
オラクル・パーク Oracle Park | |
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施設データ | |
所在地 |
24 Willie Mays Plaza San Francisco, CA 94107 |
座標 | 北緯37度46分42秒 西経122度23分22秒 / 北緯37.77833度 西経122.38944度座標: 北緯37度46分42秒 西経122度23分22秒 / 北緯37.77833度 西経122.38944度 |
起工 | 1997年12月11日 |
開場 | 2000年3月31日 |
所有者 | China Basin Ballpark Corp. |
グラウンド | 天然芝(Sports Turf) |
ダグアウト |
ホーム - 三塁側 アウェー- 一塁側 |
建設費 | 3億5700万ドル |
設計者 | Populous[1] |
建設者 |
Huber, Hunt & Nichols, Inc. Kajima Construction Services |
旧称 | |
パシフィック・ベル・パーク(2000年 - 2003年) SBCパーク(2004年 - 2006年) AT&Tパーク(2007年 - 2018年) | |
使用チーム • 開催試合 | |
サンフランシスコ・ジャイアンツ(MLB)(2000年 - 現在) サンフランシスコ・デイモンズ(XFL)(2001年) エメラルドボウル(2002年 - 現在) | |
収容人員 | |
41,503人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
左翼 - 339 ft (約103.3 m) 左中間 - 354 ft (約107.9 m) 左中間(最深部) - 399 ft (約121.6 m) 中堅 - 391 ft (約119.2 m) 右中間(最深部) - 415 ft (約126.5 m) 右中間 - 365 ft (約111.3 m) 右翼 - 309 ft (約94.2 m) バックネット - 48 ft (約14.6 m) |
フェンス |
右翼 - 24 ft (約7.3 m) その他 - 7~8 ft (約2.1~2.4 m) |
オラクル・パーク(Oracle Park)は、アメリカ合衆国のカリフォルニア州サンフランシスコにある野球場。旧称パシフィック・ベル・パーク(Pacific Bell Park)、SBCパーク(SBC Park)、AT&Tパーク(AT&T Park)。MLBサンフランシスコ・ジャイアンツが本拠地球場としている。
概要
[編集]野球専用球場として建設されたが、開場から2年目の2001年からはアメリカンフットボールやサッカーなどの他競技の会場としても使用されている。特にアメリカンフットボールでは、2001年にはXFLサンフランシスコ・デーモンズの本拠地として使用され、2002年からはNCAAカレッジフットボールのボウル・ゲーム「エメラルドボウル」が毎年末に開催されている(2013年まで。2014年からはサンタクララで開催)。
MLBの球場では初めて、日系企業(カジマ・インターナショナル)が球場建設に本格参入した。また、住民投票の結果税金の投入が認められなかったこともあって、総工費約3億5700万ドルは地方自治体の援助なし。これはロサンゼルス・ドジャースの本拠地ドジャー・スタジアム以来38年ぶりのことだった。
フィールドの特徴
[編集]本塁から左翼まで339フィート(約103.3メートル)あるのに対し、右翼までが309フィート(約94.2メートル)しかない。そのため右翼方向のフェンスは高さ25フィート(約7.6メートル)もある。さらに右中間は最深部が420フィート(約128メートル)もあり、これは本塁から中堅までより長い。この独特の構造と高いフェンス、そして海からの向かい風が相まって、打者不利な球場であり、特に左打者には非常に不利である。ただ開場当初の文献には左のパワーヒッターには有利と紹介されたこともあり、それを裏付けるものとして、ジャイアンツの往年の左の強打者ウィリー・マッコビーは「右翼フェンスまでの距離を見たら、思わず現役復帰を考えたくなった」と発言している[2]。
ジャイアンツ所属選手で、この球場が本拠地となった2000年以降、シーズン30本塁打以上を記録した選手はバリー・ボンズ(2000年〜2004年)、ジェフ・ケント(2000年、2002年)、リッチ・オーリリア(2001年)のわずか3人である(しかも40本塁打以上はボンズのみ)。左打者に至ってはボンズを除くと、2010年にオーブリー・ハフが26本塁打を記録するまでは2000年のJ.T.スノーが記録した19本塁打が最多で20本塁打超えすらおらず、スイッチヒッターを含めても2021年のブランドン・ベルトが記録した29本塁打が最多である(2021年シーズン終了時点)。
本塁打パークファクターが1を超えた年は無く、打者不利であることが得点パークファクターなどの統計指標からも裏付けられている。
設備、アトラクション、演出
[編集]右翼フェンス後方がサンフランシスコ湾の入り江になっている。この入り江は、前出のウィリー・マッコビーの名を取って「マッコビー・コーブ(McCovey Cove)」と名付けられた。右翼席も小さいため、場外ホームランが出るとそのほとんどが海に飛び込む。海に飛び込む特大アーチは「スプラッシュ・ヒット(Splash Hit)」と呼ばれており、中にはこのスプラッシュ・ヒットボール目当てに、入り江で舟に乗って待ち構えているファンもいる(特にバリー・ボンズが大リーグ新記録のシーズン73本塁打を記録した2001年には、新記録ボール目当てに多くのファンが集まった)。このスプラッシュヒットが記録されると、ライトスタンド最前列に開場時からの合計本数が電光掲示で表示されるとともに、スタンドと海の中間にある噴水が吹き出る仕組みになっている。2020年現在、今まで最もスプラッシュ・ヒットを打った選手は、ボンズで35本である(2位はブランドン・ベルトの9本)。
ボンズがスプラッシュ・ヒットを多く打っているため、他の打者でも簡単に海へ打てるように思えるが、実際には前述のとおり極めて打者不利な球場であり、右中間方向は深いため130メートル以上飛ばさないとスプラッシュ・ヒットとはならない。 また、打った瞬間から着水までノーバウンドであることが条件であるため、客席などの設備に触れてから着水した場合は認定されない。 したがって並みの打者ではそうそう打てるものではない。ジャイアンツ公式サイトでは、スプラッシュ・ヒットを放った選手のリストが掲載され、ジャイアンツ所属選手に関してはその映像を見ることができる[3]。
「日本人初のスプラッシュ・ヒット達成者は福留孝介」と日本のメディアにおいて紹介されることがあるが、福留の打球は着水前にスタンドの旗に当たっているため条件を満たしておらず、公式サイトにおいてはカウントされていない。
なお、厳密にはスプラッシュ・ヒットと認められるのはジャイアンツ所属の選手が打った場合のみであり、上述の公式サイト上では他球団の選手による記録は「マッコビー・コーブへのホームラン」と表記されている。
右翼立ち見席兼通路の下には「ナットホール」という遊歩道があり、アーチ状のところから試合を無料観戦できる。「3回、5回、7回に他の人と交代しましょう」と書かれた看板があり、交代観戦を呼びかけている。
対する左翼席後方には、巨大なグラブとコカ・コーラの瓶がある。グラブはビンテージ・スタイルで、世界最大級の大きさを誇る。サンフランシスコの対岸にある学園都市バークレーに在住の芸術家が製作した。ホームから500フィート(約152.4メートル)も離れたところにあり、未だこのグローブに収まる大ホームランを放った選手はいない。隣にあるコカ・コーラの瓶は長さ約24メートル。中は4つの滑り台になっている。
ジャイアンツ戦においては、8回の時点でジャイアンツがリードしている時にはジャーニーの「Lights」、同点または負けている時には「Don't Stop Believin'」が流れる。
主要な出来事
[編集]- 2000年3月31日、ブルワーズとのオープン戦で開場。
- 2000年4月11日、MLB公式戦初開催(ドジャース 6-5 ジャイアンツ)。
- バリー・ボンズが数々の歴史的な本塁打を放っている。
- 2001年10月5日、シーズン新記録となる71号を放った。
- 2001年4月17日に通算500本塁打、2002年8月9日に通算600本塁打、2004年9月18日に通算700本塁打を達成。
- 2006年5月28日、歴代単独2位となる通算715号本塁打を放つ。
- 2007年8月7日、歴代単独1位となる通算756号本塁打を放つ。
- ワールドシリーズ開催:2002年、2010年、2012年、2014年
- 2006年2月10日、アメリカ代表-日本代表のサッカー親善試合(国際Aマッチ)が本球場で行われ、3-2でアメリカ代表が勝利した。サッカー場とは違う芝の状態や照明灯の位置に、選手は試合前から戸惑いの声があがっていた[4]。
- 2007年7月10日、オールスターゲーム開催。イチロー(マリナーズ)がオールスター史上初のランニングホームランを放った。
- 2013年春開催の2013 ワールド・ベースボール・クラシックの準決勝と決勝戦の合計3試合を開催した。
- 2019年1月9日、オラクル社が命名権を取得した[5]。
脚注
[編集]- ^ AT&T Park architect: Populous
- ^ 「大リーグ夢球場への招待【32】パシフィックベル・パーク[サンフランシスコ]」『月刊メジャーリーグ』(2000年7月号)、ベースボール・マガジン社、30頁
- ^ The Official Site of The San Francisco Giants: Ballpark: Splash Hits(英語)
- ^ 宇都宮徹壱のサンフランシスコ日記 スポーツナビブログ 2006年2月9日
- ^ Henry Schulman (January 9, 2019). “SF Giants’ home now called Oracle Park after AT&T split”. San Francisco Chronicle 2019年1月10日閲覧。
外部リンク
[編集]前本拠地: キャンドルスティック・パーク 1960年 - 1999年 |
サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地 2000 - 現在 |
次本拠地: n/a - |
先代 PNCパーク |
MLBオールスターゲーム開催場 第78回(2007年) |
次代 ヤンキー・スタジアム |
先代 ドジャー・スタジアム |
ワールド・ベースボール・クラシック 決勝戦開催場 第3回(2013年) |
次代 ドジャー・スタジアム |