パム・キルボーン
獲得メダル | ||
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オーストラリア | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
銅 | 1964 東京 | 80mハードル |
銀 | 1968 メキシコシティ | 80mハードル |
パム・キルボーン (Pamela Kilborn-Ryan、1939年8月12日 - )は、オーストラリアの陸上競技選手。ハードル種目を得意とし、1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティーオリンピックの80mハードルではそれぞれ銀、銅メダルを獲得。キルボーンは短距離、走幅跳、七種競技でもワールドクラスの選手であった。
経歴
[編集]キルボーンは1962年のコモンウェルスゲームズで、80mハードルと走り幅跳びで優勝を飾る。2年後の東京オリンピックには、80mハードルで挑戦。準決勝では世界タイ記録をマークするもの、決勝では東ドイツのカリン・バルツァー(Karin Balzer)、ポーランドのテレサ・チェプラ(Teresa Ciepły)と激戦の上、同タイムながら銅メダルに終わる。
キルボーンは東京オリンピックの後、1965年2月に80mハードルで10秒4の世界新記録をマーク。翌年1966年のコモンウェルスゲームズでは80mハードルと4×110ydリレーの2種目で金メダルを獲得。1967年には100mハードルで、それまでの世界記録を0.4秒更新する13秒3の世界新記録を樹立。1968年メキシコオリンピックでは80mハードルの優勝候補と目されていたが、同じオーストラリアの18歳のモーリン・ケアードに敗れ銀メダルに終わった。
1970年から80mハードルは100mハードルと距離が伸ばされる。同年に実施されたコモンウェルスゲームズでは、ケアードを破り金メダルを獲得。さらに4×100mリレーでも金メダルを獲得し、コモンウェルスゲームズでは3大会で計6個の金メダルを獲得した。
その後一時休養期間をおいて、1972年ミュンヘンオリンピックに3回目の出場を果たす。オリンピックの直前に12.93(12.5)秒の世界タイ記録を樹立し期待されたが、決勝では東ドイツのアンネリー・エアハルトらに敗れ4位に終わった。
記録
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1962 | コモンウェルスゲームズ | パース(オーストラリア) | 80mハードル | 1位 | 11秒07 |
1962 | コモンウェルスゲームズ | パース(オーストラリア) | 走幅跳 | 1位 | 6m27 |
1964 | オリンピック | 東京(日本) | 80mハードル | 3位 | 10秒5 |
1966 | コモンウェルスゲームズ | キングストン(ジャマイカ) | 80mハードル | 1位 | 10秒9 |
1968 | オリンピック | メキシコシティ(メキシコ) | 80mハードル | 2位 | 10秒4 |
1970 | コモンウェルスゲームズ | エジンバラ(スコットランド) | 100mハードル | 1位 | 13秒27 |
1972 | オリンピック | ミュンヘン(西ドイツ) | 100mハードル | 4位 | 12秒98 |
外部リンク
[編集]- パム・キルボーン - Olympedia