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パルメット・ステート (装甲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パルメット・ステート
チャールストン港における南軍の装甲艦チコーラとパルメット・ステート
基本情報
運用者  アメリカ連合国海軍
艦歴
起工 1862年1月
進水 1862年9月
就役 1862年9月
退役 1865年2月15日
最期 鹵獲を免れるために自焼
要目
排水量 約850トン
長さ 150 ft (46 m)
34 ft (10 m)
吃水 12 ft (3.7 m)
推進 蒸気機関
速力 6ノット
乗員 125人(士官・兵合計)
兵装 7インチブルック施条砲 x 2
9インチダールグレン滑腔砲 x 2
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CSS パルメット・ステート(CSS Palmetto State)は南北戦争アメリカ連合国海軍(南部海軍)のリッチモンド級砲郭型装甲衝角艦。パルメット・ステートはサウスカロライナ州の別名である。

艦歴

[編集]

パルメット・ステートはサウスカロライナ州チャールストンにおいて、1862年1月から建造が始まった。製造はキャメロン・アンド・カンパニーで、連合国海軍代将であるD. N. イングラハム(D. N. Ingraham)が監督した。1862年9月には就役し、ジョン・ラトリッジ(John Rutledge)少佐が艦長となった。パルメット・ステートの装甲厚は4インチで、22インチ厚の木材で裏打ちされていた。操舵室は煙突の後ろにあった。

1863年1月31日の夜明け前、パルメット・ステートと姉妹艦CSS チコーラは濃い霧の中を、チャールストン沖のアメリカ合衆国海軍(北部海軍)の封鎖艦対に対して奇襲をかけた。低いシルエットを利して、パルメット・ステートはUSS マーセディッタ(USS Mercedita)の砲の下をすり抜け、衝角攻撃をかけるとともに砲撃を行った。マーセディッタは行動不能になり、またその艦載砲はすぐ側のパルメット・ステートを砲撃できる俯角を取れなかったため、降伏するしかなかった。続いて、USS キーストーン・ステート(USS Keystone State)に矛先を向け、数発の命中弾を与えた。 キーストーン・ステートの蒸気機関には穴が開き、動力を失い他艦に曳航してもらって脱出した。その後、南軍装甲艦と北軍艦隊の間に長距離砲戦が発生したが、どちらもわずかな損害も出したのみで、パルメット・ステートとチコーラは安全なチャールストン港に引上げた。この戦闘により、北軍封鎖艦隊は一時的に近接封鎖を解除し、連合国政府はチャールストンの封鎖は失敗したと宣言した。

パルメット・ステートは1863年4月1-7日に北軍サミュエル・デュポン提督が実施したチャールストン攻撃の際にチャールストンの防衛に従事し、これを失敗させた。また、1863年9月6日から7日にかえての夜に実施した、ワグナー砦(Fort Wagner)とグレッグ砲台からの撤退においても活躍した。

南軍のチャールストンからの撤退に伴い、1865年2月18日、パルメット・ステートは鹵獲を避けるために自焼した。

参考資料

[編集]
  • Silverstone, Paul H. (2006). Civil War Navies 1855–1883. The U.S. Navy Warship Series. New York: Routledge. ISBN 0-415-97870-X 
  • Still, William N., Jr. (1985). Iron Afloat: The Story of the Confederate Armorclads (Reprint of the 1971 ed.). Columbia, South Carolina: University of South Carolina Press. ISBN 0-87249-454-3