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パート2 (お笑いコンビ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パート2
PART 2
メンバー 原勝也
森健四郎
結成年 1979年
解散年 2000年
事務所 松竹芸能ケーエープロダクション
活動時期 1979年 - 2000年7月
2001年? - 2003年?(再結成)
出会い 松竹芸能養成所
旧コンビ名 上原ホップ・ステップ(原)
旧トリオ名 ヤングにっぽんず
(1975年 - 1979年)
現在の活動状況 解散
芸種 漫才
過去の代表番組 お笑いスター誕生!! など
受賞歴
1984年お笑いスター誕生!!』第2回オープントーナメントサバイバルシリーズ優勝
1984年 第13回上方お笑い大賞銀賞
1986年 第21回上方漫才大賞新人賞
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パート2(パートツー)は、かつて松竹芸能で活動していた漫才コンビショートコントの原型とされる「4コマ漫才」で有名。1979年結成。2000年解散。

メンバー

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以前は上原ステップの芸名で「上原ホップ・ステップ」というコンビで活動していた[1]
妻は、元ミヤ蝶代・花代の花代。
現在は丹波篠山市に在住し、ゴルフ場で働いている。

概要

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ともに松竹芸能タレント養成所出身。1975年に森、原、真田実でトリオ漫才「ヤングにっぽんず」を結成、デビュー。真田実が俳優に転向したため、1979年に「ヤングにっぽんず」を解散し、「パート2」を結成した[2]

当初は普通の漫才を行っていたが、追っかけの女の子からヒントをもらって1983年頃、新聞や雑誌に載っていた4コマ漫画を参考にして、「4コマ漫才」を考案。持ち時間の中で短いコントを次々と披露する、現在の「ショートコント」の形を作り出し、人気を得るようになった[2]。ネタの着眼点のヒントとしたのはコント55号で、当時浅草松竹演芸場で公開収録していた『コント55号のなんでそうなるの?』を現場で観覧し、オンエアされない短い過激なコントをネタ作りの指針にしていた[2]

1984年には、『お笑いスター誕生!!』の第2回オープントーナメントサバイバルシリーズで優勝し、100万円を獲得[2]。賞金を事務所に手渡した際、「この金で僕らを売り出してください」と訴えた。

以後、80年代後半からウッチャンナンチャンジャドーズなどショートコントスタイルのお笑いが増え、反比例するようにテレビからフェードアウト[2]

東京進出を目指していたが、事務所に止められたため、そのまま関西で活動。時事ネタを組み合わせた4コマ漫才で中堅の位置を確保していたが、2000年7月に解散。

その後、原はスナックの雇われ店長、森は寿司屋チェーン店の雇われ店長をしていたがすぐに再結成。ケーエープロダクションに所属したが、またもや解散した。

原は2003年に殺陣コントグループを結成したが、すぐに解散。その後は二人ともに引退。

4コマ漫才

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最初の挨拶は「今日のお越しを、ありがとう(あ、よいしょ)〜 岩おこし(あ、そりゃ)〜 粟おこし(あ、どっこい)〜 ようお越し(何のこっちゃ) パート2、4コマ漫才!」

ブリッジとして「チャララララン、チャララランオクラホマミキサーのメロディ)」と歌った後、タイトルを言って短いコントを披露し、終わればブリッジを入れて次のコントに移る。

最後の挨拶は「またのお越しを、待ってます(あ、よいしょ)〜 岩おこし(あ、そりゃ)〜 粟おこし(あ、どっこい)〜 またお越し(パート2でした)」

現在のショートコントの原型といわれている[3]。しかし森自身は引退後に受けたインタビューで、「ショートコントという形式は昔からあるんです。『漫画トリオ』もそうですし、東京の軽演劇にもたくさんある。ただ、衣装を付けず、短いネタを連発する形式だけが新しかったんやと思いますよ」と語っている[2]

エピソード

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  • 「ヤングにっぽんず」時代に第8回NHK上方漫才コンテストで優秀努力賞を受賞し、NHK三枝の笑タイムのレギュラー出演が決まったが、原が友人の誕生会に出席し酒を飲んで寝過ごし、翌日朝九時からの生放送に遅刻したためNHKから一年間の謹慎処分を受けた[3]

受賞歴

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ビデオ

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  • 「コント100連発〜笑撃のマシン」(VHSビデオ、1995年10月発売、ハピネット)品番:B00005G1I4

関連項目

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出典

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  1. ^ 相羽秋夫『現代上方演芸人名鑑』、少年社、1980。
  2. ^ a b c d e f 「ショートコント」を生み出したのは追っかけの女の子だった 伝説の漫才師が語る“真相”|よろず〜ニュース”. よろず〜ニュース (2021年7月9日). 2021年7月11日閲覧。
  3. ^ a b 大阪ゲラゲラ学会編『もうひとつの上方演芸』、たちばな出版、1997。