ビュシエール=ポワトヴィーヌ
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Bussière-Poitevine | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | オート=ヴィエンヌ県 |
郡 (arrondissement) | ベラック郡 |
小郡 (canton) | ベラック小郡 |
INSEEコード | 87028 |
郵便番号 | 87320 |
市長(任期) |
アンドレ・デュボワ[1] (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Haut-Limousin en Marche |
人口動態 | |
人口 |
893人 (2014年) |
人口密度 | 21人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯46度14分11秒 東経0度54分20秒 / 北緯46.2364度 東経0.9056度座標: 北緯46度14分11秒 東経0度54分20秒 / 北緯46.2364度 東経0.9056度 |
標高 |
平均:m 最低:122m 最高:242 m |
面積 | 41.71km2 |
ビュシエール=ポワトヴィーヌ(Bussière-Poitevine、オック語:Bussiére)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、オート=ヴィエンヌ県の旧コミューン。
地理
[編集]コミューンの東側の境界は、12.5km続くガルタンプ川である。
ポワティエ-リモージュ間をつなぐ国道147号線、ポワティエ-ゲレ間をつなぐ国道142号線が通る。北西部はドゥファンの森である。
由来
[編集]ビュシエールの名はBuis、ツゲ属から派生している。コミューンにはかつてLes Buisという村落があり、Poitevineというポワトゥーにちなむ名称は、この村が1801年にポワティエ司教区に含まれていたことに由来する。その後、村はリモージュ司教区に含まれている。
フランス革命時代、コミューンはビュシエール=レガリテ(Bussière-l'Égalité)と改名させられていた。
歴史
[編集]ビュシエール=ポワトヴィーヌ領主であったジャン・ド・ラ・ランドは、1470年2月4日、ビュセロルの城に大きな塔を建設する許可を得た。シャンパニャックにおいて最初の城が存在し、14世紀初頭にイングランド軍によって破壊された。二度目の城の建設は同じ世紀の後半、ラ・マルシュ伯であるピエール・ド・ブルボンが行い、礼拝堂は聖ブレーズに捧げられた。
ラヴォー城は15世紀に建設された。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 | 2014年 |
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1429 | 1330 | 1160 | 1120 | 1019 | 960 | 956 | 893 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]。
史跡
[編集]姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ {{{1}}} (PDF) Site officiel de la préfecture de Haute-Vienne - liste des maires
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=6380
- ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/2534314?geo=COM-87028
- ^ http://www.insee.fr
- ^ http://www.culture.gouv.fr/public/mistral/merimee_fr?ACTION=CHERCHER&FIELD_1=REF&VALUE_1=PA00100262