ビル・ホソカワ

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ウィリアム・クンペイ・ホソカワ(William Kunpei Hosokawa、日本名:細川 勲平[1]〈ほそかわ くんぺい〉、1915年1月30日 - 2007年11月9日)は、アメリカ合衆国ジャーナリスト作家日系アメリカ人の視点による著作は、日本語に翻訳されて出版されたものも多い。

Heart Mountain Relocation Center, Heart Mountain, Wyoming. In the press room of the Cody Enterprise . . . 1943年1月8日

経歴[編集]

1915年ワシントン州シアトルに生まれる。ワシントン大学に進学してジャーナリズムを専攻するが、1937年に大学を卒業しても日系人を採用してくれる新聞社は無かった。英字新聞の立ち上げを志し、シンガポール上海を渡り歩いた後、真珠湾攻撃が行われる直前に帰国。

ハートマウンテン移住センター左からビル、息子のマイク、妻アリス。1942年9月16日

第二次世界大戦中は、ワイオミング州ハートマウンテン移住センター強制収容所)に収容され、所内新聞である「ハートハウンテン・センチネル」の編集にあたった。所内で収容者の徴兵拒否運動が組織化された際には、徴兵拒否に否定的な立場を取っている[2]

1946年コロラド州に移り「デンバー・ポスト」の編集を行う傍ら日系人の強制収容を題材にした書籍を出版。「パシフィック・シチズン」紙でも差別を題材にしたコラムを長年担当した[3]

著書[編集]

  • 『二世 ― このおとなしいアメリカ人』井上勇訳, 時事通信社, 1971
  • 『120%の忠誠 ― 日系二世・この勇気ある人びとの記録』飯野正子訳, 有斐閣, 1984
  • 『日系人のコロラド』森田幸夫訳, 柏艪舎, 2009
  • 『モーゼと呼ばれた男 マイク・正岡』マイク正岡共著, 塩谷紘訳, ティビーエス・ブリタニカ, 1988
  • 『ジャパニーズ・アメリカン ― 日系米人・苦難の歴史』ロバート・ウィルソン共著, 猿谷要訳, 有斐閣, 1982

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ 詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』-その2/5”. ディスカバー・ニッケイ (2011年6月3日). 2018年9月1日閲覧。
  3. ^ ビル・ホソカワ ジャーナリスト(1915 - 2007年)”. ディスカバー・ニッケイ (2008年4月5日). 2018年9月1日閲覧。

関連項目[編集]