ピエールフォン城
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ピエールフォン城(ピエールフォンじょう 仏:château de Pierrefonds)とはフランスの城郭である。オワーズ県のビレルコトレ、コンピエーニュ間に位置し、パリの北方、コンピエーニュの森の南東にある印象的な城である。ピエールフォン城はヨーロッパ中世城郭のほとんどの特徴を兼ね備えている。
ピエールフォンに城が建てられたのは12世紀のことであるが、1392年にはフランス王シャルル6世によってヴァロア家所領とされ、弟のルイがオルレアン公として封じられた(ルイ・ドルレアン)。翌1393年からルイが亡くなる1407年までに、宮廷建築家のジャン・ルノアールによって城郭の完成を見る。
1617年3月に城はリシュリューに派遣された軍により包囲され、破城作業が開始されたが、城の規模が大きかったため全部は破壊されなかった。その後2世紀の間、城は廃墟のままであった。1810年にナポレオン・ボナパルトが城を購入した。19世紀の中世建築の見直しの動きを受けて、城はロマンチックな遺跡となった。1857年にナポレオン3世がウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクに修復を依頼し、1885年に部屋の装飾等一部未完成の状況で修復作業が終了した。修復作業は厳密な復元を目指したものではなく、宮殿としての機能を重視したものである。1862年以降、城は歴史的記念物として保護されている。