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ピエール=ポール・グラーセ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ピエール=ポール・グラーセ(Pierre-Paul Grassé、1895年11月27日 - 1985年7月9日)は、フランス動物学者昆虫学者である。

略歴

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ドルドーニュ県ペリグーで小企業の経営者の家に生まれた。ボルドー大学で医学を学び、Jean de Feytaudから昆虫学も学んだ。第一次世界大戦軍医などとして従軍し学業は4年間中断された。パリで研究を続け、生物学者の資格を得て、ラボー(Étienne Rabaud)の研究室をしばしば訪れた。アグレガシオン(教授資格) 取得をめざしていたが、1921年にモンペリエの国立高等農学院(École Nationale Supérieure Agronomique de Montpellier)の教授となった。当時の国立高等農学院はピカール(François Picard)が率い、植物地理学のシャルル・フラオー(Charles Flahault)らがいた。グラーセはデュボスク(Octave Duboscq)の助手となり、寄生性原虫の研究を行った。 デュボスクがパリ大学へ移った後はバタヨン(Eugène Bataillon)と働いた。

1926年に国立高等農学院の副校長となり、「寄生鞭毛虫の研究」("Contribution à l'étude des flagellés parasites")を発表した。1929年にクレルモン=フェラン大学の動物学の教授となり、学生の昆虫学の研究を指導した。1933年から1934年の間、アフリカでフィールド研究をし、その後も何度かアフリカを訪れ、シロアリを研究し、その専門家と評価されるようになった。

1935年にパリ大学の助教授となり、クーザン(Germaine Cousin)と働き、フランス昆虫学会の ケルヴィーユ賞(Prix Gadeau de Kerville)を受賞した。1939年にフランス動物学会の会長、1941年にフランス昆虫学会の会長(1年任期)を務めた。1948年にフランス科学アカデミーの会員に選ばれた。

1946年に全17巻38章からなる大著「動物学提要」("Traité de zoologie")を編集・執筆したことで知られる[1]。このシリーズは40年以上に渡って出版が続けられた。

著作

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  • Parasites et parasitisme, Paris: Armand Collin, 1935
  • Max Aron (1892–1974)と共著: Précis de biologie animale, Masson (Paris) 1935, 8. Auflage 1966
  • Andrée Tétry (1907–1992)と共著: Zoologie, 2 Bände, Paris: Gallimard 1963
  • Toi, ce petit dieu ! essai sur l'histoire naturelle de l'homme, Paris: Albin Michel 1971
  • L'évolution du vivant, matériaux pour une nouvelle théorie transformiste, Paris: Albin Michel 1973
  • La Défaite de l’amour ou le triomphe de Freud, Albin Michel 1976
  • Biologie moléculaire, mutagenèse et évolution, Masson 1978
  • L'Homme en accusation : de la biologie à la politique, Albin Michel 1980

参考文献

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  • Paul Pesson (1985). Hommage à Pierre-Paul Grassé (1895–1985), Professeur honoraire à l’Université de Paris, Membre de l’Académie des Sciences, Bulletin de la Société entomologique de France, 90 (9-10) : i-vii.
  • Jean Lhoste (1987). Les Entomologistes français. 1750-1950, INRA Éditions et OPIE : 351 p. [244-247]