ファブリシオ・フエンテス
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名前 | ||||||
本名 |
ファブリシオ・ファビオ・フエンテス Fabricio Fabio Fuentes | |||||
ラテン文字 | Fabricio Fuentes | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1976年10月13日(48歳) | |||||
出身地 | リオ・クアルト | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 81g | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-2001 | ニューウェルズ・オールドボーイズ | 92 | (10) | |||
1997-1998 | → キルメスAC (loan) | 44 | (1) | |||
2001-2003 | CAベレス・サルスフィエルド | 69 | (5) | |||
2003 | EAギャンガン | 12 | (1) | |||
2004-2005 | CAベレス・サルスフィエルド | 51 | (3) | |||
2005-2006 | CFアトラス | 34 | (2) | |||
2006-2009 | ビジャレアルCF | 67 | (8) | |||
2010-2011 | CFアトラス | 26 | (3) | |||
2011 | ニューウェルズ・オールドボーイズ | 6 | (0) | |||
通算 | 401 | (33) | ||||
代表歴2 | ||||||
2005 | アルゼンチン | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月19日現在。 2. 2016年10月19日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ファブリシオ・ファビオ・フエンテス(Fabricio Fabio Fuentes、1976年10月13日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州リオ・クアルト出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー (CB)。
経歴
[編集]ニューウェルズ・オールドボーイズで1997年にデビュー。翌シーズンには2部リーグのキルメスACへと放出されるが、 シーズン終了後にニューウェルズに復帰を果たす。2001年にはセルタ・デ・ビーゴへの移籍が噂される中CAベレス・サルスフィエルドへと移籍。2001年後期リーグでの活躍により最優秀選手と評された[誰?]。2003年、フランス・EAギャンガンへと移籍するが、初の国外挑戦は失敗に終わる。ベレス復帰後は再びチームの主力となり、2005年後期リーグでは7年ぶりの優勝に貢献。翌シーズンはメキシコのCFアトラスへ移籍。アトラスではキャプテンを任されチーム内外でリーダーシップを発揮した。2006年、スペインのビジャレアルCFに移籍。ベレスでの優勝メンバーでもあるレアンドロ・ソモサと再びチームメートとなった。レギュラーとしてパスカル・シガンと組み、スピード不足の指摘を黙らせる安定した守備を見せた。2006-07シーズンのジムナスティック・タラゴナ戦や2008-09シーズンのアウェーでのバレンシアダービーなどでヘディングで得点を決めている。2007年6月、リーグ最終戦のセビージャFC戦で得点し、UEFAカップ出場権獲得を決める勝利に貢献した[1]。2008年1月、コパ・デル・レイのレクレアティーボ・ウエルバ戦直前に膝十字靭帯を損傷し、全治6ヶ月と診断された[2]。2010年1月4日、古巣のCFアトラスに完全移籍した。
2005年3月9日のメキシコ戦で代表デビューした。現在までに出場はこの1試合だけである。
タイトル
[編集]- CAベレス・サルスフィエルド
- アルゼンチン後期リーグ- 優勝(2005年)
脚注
[編集]- ^ AFP BB News (2007年6月18日). “ビジャレアル 最終戦に勝利し来季のUEFA杯出場権を獲得”. 2009年7月13日閲覧。
- ^ uefa.com (2008年1月17日). “ビジャレアルのフエンテスが今季絶望”. 2009年7月13日閲覧。