ファールス州
ファールス州 استان فارس | |
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位置 | |
統計 | |
州都: • 測地系: |
シーラーズ • 北緯29度36分32秒 東経52度31分55秒 / 北緯29.609度 東経52.532度 |
面積: | 122,608 km² |
人口(2016年) • 人口密度: |
4,851,274人 • 40人/km² |
シャフレスターン数 | 23 |
タイムゾーン: | UTC+3:30 |
主な言語: |
ペルシア語 ガシュガーイー ロル語 (ママサーニー方言) |
ISO 3166-2:IR: | IR-14 |
ファールス州(ファールスしゅう、ペルシア語: استان فارس Ostān-e Fārs)はイランの州(オスターン)。州都はシーラーズ。面積は122,400km²。ペルシア人の故地であり、2016年現在、人口は4,851,274人[1]。
名称
[編集]ファールスという州名は、古代にはペルセポリスおよびその支配地域をパールサ(古代ペルシア語: 𐎱𐎠𐎼𐎿 Pârsa)と表していたものが、中世にはパールス(中世ペルシア語: پارس Pārs)となり、それがアラビア語形ではpの発音がfになってファールス(ペルシア語: فارس Fārs)となったことに由来している。
ペルシアという語は、古代のパールサ(古代ペルシア語: 𐎱𐎠𐎼𐎿 Pârsa)がギリシャ人・マケドニア人からペルスィス(古代ギリシア語: Πέρσις Persis)と呼ばれ、これを古代ローマ人からはペルシア(ラテン語: Persiae)と呼ばれたことに由来している。
この州はファルシスタンとしても知られる[2]。
歴史と文化
[編集]前イスラーム期、キュロス2世がハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)、アルダシール1世がサーサーン朝という大帝国を、この地から勃興して築いた。後にはアレクサンドロス3世(大王)が多くの都市を建設している。
ファールスの地は多くの王朝の興亡を見守り、数多くの歴史、ことに古代史をしのぶよすがをとどめることになった。すべてファールス州、イラン、そして西アジアの歴史の残映であり、ビーシャープール、ペルセポリス、フィールーザーバードなどは、高い歴史的価値を持つ。
このようにファールスはその地理的特性、ペルシア湾への近接により、古くから外来のテュルク系、セム系、アーリア系の諸民族が流入し、イラン文化の影響のもと、生活を送ることになった。しかし一方でファールス土着のカシュガーイーやママッサーニー、ハムゼ、コフギールーイェ(کهگیلویه、コフギールーイェ・ブーイェル=アフマド州を参照)などの諸部族も、伝統的文化・生活の独自性を維持しイラン文化遺産の一部をなしている。
地理
[編集]ファールス州は、北西から南東に走るザーグロス山脈によって、北部および北西部と、南部および南東部に二分される。双方とも山がちの高地である。
気候
[編集]ファールス州は、気候的には三地域に分類できる。第一は北部および北西部の山岳地帯で、夏の暑さ、冬の寒さともに比較的穏やかである。第二は中央部で降水のある穏やかな冬と、暑く乾燥した夏を過ごす。第三は南部および南東部で冬は穏やかだが、夏は厳しい暑さに見舞われる。シーラーズの年間平均気温は16.8度、最低気温は4.7度、最高気温は29.2度である。
行政区分
[編集]現在ファールス州が管下に擁する郡(シャフレスターン)は37郡である。
郡(シャフレスターン) | 2006[3] | 2011[4] | 2016[1] |
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アーバーデ郡 | 87,203 | 98,188 | 100,831 |
アルサンジャーン郡 | 40,916 | 41,476 | 42,725 |
エヴァズ郡3 | — | — | — |
エグリード郡 | 99,003 | 93,975 | 93,763 |
エスタフバーン郡 | 66,391 | 66,172 | 68,850 |
カーゼルーン郡 | 258,097 | 254,704 | 266,217 |
ギール・カルズィーン郡 | 61,432 | 65,045 | 71,203 |
キャヴァール郡4 | — | 77,836 | 83,883 |
Kuhchenar郡6 | — | — | — |
ゲラーシュ郡3 | — | 47,055 | 53,907 |
Sarchehan郡8 | — | — | — |
サルヴェスターン郡4 | — | 40,531 | 38,114 |
ザルガーン郡4 | — | — | — |
ザッリーンダシュト郡 | 60,444 | 69,438 | 73,199 |
シーラーズ郡 | 1,676,927 | 1,700,687 | 1,869,001 |
ジャフロム郡 | 197,331 | 209,312 | 228,532 |
ジューヨム郡3 | — | — | — |
セピーダーン郡 | 87,801 | 89,398 | 91,049 |
ダーラーブ郡 | 172,938 | 189,345 | 201,489 |
ネイリーズ郡 | 105,241 | 113,750 | 113,291 |
パーサールガード郡 | 29,825 | 31,504 | 30,118 |
Bakhtegan郡1 | — | — | — |
Khafr郡5 | — | — | — |
ハラーメ郡4 | — | 61,580 | 54,864 |
ファサー郡 | 188,189 | 203,129 | 205,187 |
ファッラーシュバンド郡 | 38,679 | 42,760 | 45,459 |
フィールーザーバード郡 | 111,973 | 119,721 | 121,417 |
ベイザー郡2 | — | — | — |
ボヴァーナート郡 | 44,069 | 48,416 | 50,418 |
ホッラムビード郡 | 44,669 | 50,252 | 50,522 |
ホンジュ郡 | 37,978 | 41,133 | 41,359 |
ママッサーニー郡 | 162,694 | 116,386 | 117,527 |
マルヴダシュト郡 | 294,621 | 307,492 | 323,434 |
モフル郡 | 54,094 | 59,727 | 64,827 |
ラーメルド郡 | 76,971 | 83,916 | 91,782 |
ラーレスターン郡 | 223,235 | 226,879 | 213,920 |
ロスタム郡7 | — | 46,851 | 44,386 |
計 | 4,220,721 | 4,596,658 | 4,851,274 |
1ネイリーズ郡から分離 2セピーダーン郡から分離 3ラーレスターン郡から分離 4シーラーズ郡から分離 5ジャフロム郡から分離 6カーゼルーン郡から分離 7ママッサーニー郡から分離 8ボヴァーナート郡から分離 |
今日のファールス州
[編集]シーラーズ国際空港は州内唯一の国際空港である。ラールおよびラマルドにもシーラーズ、テフラーンと連絡する空港がある。シーラーズはテフラーンから南部イランへの入り口である。
農業はファールス州のもっとも重要な産業である。主な農産品は穀物(大麦、小麦)、柑橘類、ナツメヤシ、ビート、棉花である。
ファールスには主要石油化学コンビナート、精油所、タイヤ工場、電機工場、製糖工場がある。
シーラーズには熟練の手工業、延銀、マルケット、刺繍などがあり、アーバーデフにはギーベ織、エステフバーンの陶器、絨毯、ジャズィーム(ウールや綿の絨毯)、フィールーザーバードのゲリーム(山羊毛の絨毯)がある。またほかにも諸部族の絨毯や、フィールーザーバードのバラ水、ファサーの菓子、シーラーズのライム・ジュース、植物精油などいわゆる名産品も豊富。シーラーズはイランのアイスクリームの一つ、「ファルーデ」でも有名。
また観光も大きな産業の一つである。
ユネスコはアールジャーン(ダシュテ・アールジャーン)に生態保護区を設定している。
高等教育機関
[編集]- シーラーズ医科大学
- シーラーズ大学
- シーラーズ工科大学
- イスラーム自由大学アーバーデ[リンク切れ]
- イスラーム自由大学アルサンジャーン
- イスラーム自由大学エステフバーン
- イスラーム自由大学エグリード
- イスラーム自由大学ジャフロム
- イスラーム自由大学セピーダーン[リンク切れ]
- イスラーム自由大学シーラーズ
- イスラーム自由大学ファサー
- イスラーム自由大学フィールーザーバード
- イスラーム自由大学カーゼルーン
- イスラーム自由大学ラーレスターン
- イスラーム自由大学マルヴダシュト
- ファサー医科大学
- ジャフロム医科大学
- シーラーズ応用科学工科大学
脚注
[編集]- ^ a b “Census of the Islamic Republic of Iran, 1395 (2016)” (Excel) (ペルシア語). AMAR. The Statistical Center of Iran. p. 07. 6 April 2022時点のオリジナルよりアーカイブ。19 December 2022閲覧。
- ^ https://www.britannica.com/place/Fars
- ^ “Census of the Islamic Republic of Iran, 1385 (2006)” (Excel) (ペルシア語). AMAR. The Statistical Center of Iran. p. 07. 20 September 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。25 September 2022閲覧。
- ^ “Census of the Islamic Republic of Iran, 1390 (2011)” (Excel) (ペルシア語). Iran Data Portal. The Statistical Center of Iran. p. 07. 19 December 2022閲覧。