フィル・ラーダー
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個人情報 | ||||||
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本名 | Philip John Larder | |||||
出生 | 1945年3月20日 イングランド、ランカシャー、オールダム | |||||
出場情報 | ||||||
ラグビーユニオン | ||||||
ポジション | Centre | |||||
クラブ | ||||||
年 | チーム | Pld | T | G | FG | P |
ブロートン・パーク | ||||||
マンチェスター | ||||||
セール | ||||||
計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
ラグビーリーグ | ||||||
ポジション | センター、ウイング | |||||
クラブ | ||||||
年 | チーム | Pld | T | G | FG | P |
1967–80 | オールダム | |||||
1980–82 | ホワイトヘイヴン | |||||
計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
Coaching information | ||||||
Rugby union | ||||||
Club | ||||||
Years | Team | Gms | W | D | L | W% |
1998–02 | レスター・タイガーズ | |||||
2006–08 | ウスター・ウォリアーズ | |||||
2011–13 | ウスター・ウォリアーズ | |||||
Total | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
Representative | ||||||
Years | Team | Gms | W | D | L | W% |
1997–06 | イングランド | |||||
2001, 05 | ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ | |||||
Rugby league | ||||||
Club | ||||||
Years | Team | Gms | W | D | L | W% |
1992–93 | ウィドネス | 33 | 20 | 1 | 12 | 61 |
1994–96 | キースリー | 9 | 6 | 0 | 3 | 67 |
1997 | シェフィールド・イーグルズ | 10 | 3 | 0 | 7 | 30 |
Total | 52 | 29 | 1 | 22 | 56 | |
Representative | ||||||
Years | Team | Gms | W | D | L | W% |
1995 | イングランド | 7 | 6 | 0 | 1 | 86 |
1996 | イギリス | 5 | 2 | 0 | 3 | 40 |
Source: [1][2] |
フィリップ・ジョン・ラーダーMBE(Philip John Larder、1945年3月20日- )は、イングランドのラグビーリーグおよびラグビーユニオンコーチであり、どちらのコードでの選手としてプレーした。
ラグビーリーグのイングランド代表とイギリス代表のコーチを務め、ラグビーユニオンではイングランド代表とブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズの守備コーチであった。両方のコードにおいてワールドカップ決勝でオーストラリアた対戦した。1995年ラグビーリーグ・ワールドカップ決勝では敗れ、ユニオンのラグビーワールドカップ2003決勝では勝利した。
体育教師とラグビーフットボールリーグのナショナルコーチングディレクターを務めた経験を持つラーダーは、プロラグビーユニオンにおける最初の守備コーチの一人であり、ラグビーリーグの専門知識をラグビーユニオンの守備面に適用した先駆者と考えられている。ラーダーがリーグからユニオンに持ち込んだスキルの1つにドリフトディフェンスがある[3]。
出典
[編集]外部リンク
[編集]- (archived by web.archive.org) Statistics at orl-heritagetrust.org.uk