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フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェリペ
名前
本名 フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ
Felipe Dias da Silva dal Belo
ラテン文字 Felipe
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1984-07-31) 1984年7月31日(40歳)
出身地 グアラティンゲタ英語版
身長 188cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF (CB, SB)
利き足 左足
ユース
1999-2002 イタリアの旗 ウディネーゼ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2010 イタリアの旗 ウディネーゼ 139 (5)
2010 イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) 18 (0)
2010-2013 イタリアの旗 フィオレンティーナ 8 (0)
2011 イタリアの旗 チェゼーナ (loan) 7 (0)
2012-2013 イタリアの旗 シエナ (loan) 34 (0)
2013-2015 イタリアの旗 パルマ 33 (1)
2015 イタリアの旗 インテル 4 (0)
2015-2017 イタリアの旗 ウディネーゼ 58 (2)
2017-2020 イタリアの旗 SPAL 75 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フェリペ・ディアス・ダ・シウヴァ・ダル・ベロ(Felipe Dias da Silva dal Belo、1984年7月31日 - )はブラジルグアラティンゲタ英語版出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー

経歴

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ウディネーゼ

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13歳までは5人制サッカー(フットサル)の選手としてプレーしていたが、そのプレースタイルを評価した当時のウディネーゼのスポーツディレクターであるマヌエル・ゲロリンによってスカウトされ15歳で渡伊、ウディネーゼの下部組織に所属する。2003年4月6日に行われた対ACキエーヴォ・ヴェローナ戦において、18歳でセリエAデビューを果たす。デビューシーズンは4試合出場に留まったが、翌シーズンの2003-04シーズンは控えながらも16試合に出場し、10代の頃からトップリーグで経験を積んだ。2004-05シーズンには20歳でレギュラーを掴み31試合に出場、このシーズンのウディネーゼの快進撃に貢献し、チームと共にUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得られるリーグ戦4位の座を手に入れた。クラブ史上初のチャンピオンズリーグ出場を果たした2005-06シーズンはレギュラーとしてリーグ戦に35試合出場、プロデビュー後初となる得点も決め(計3得点)、チャンピオンズリーグではFCバルセロナ戦でも得点、こちらもレギュラーとして7試合出場した。順調に評価を高め若手ながらリーグ屈指のディフェンダーに成長を果たしたフェリペであったが、2006-07シーズンは鼠径ヘルニアの手術をしたために長期間の離脱を強いられ、12試合に出場するに留まった。翌年の2007-08シーズンにもリーグ戦終盤(2008年3月)に左の足首の靭帯をねじり長期離脱、22試合出場に終わる。その後、2008年11月30日に、自身のデビュー戦と同じカードとなるACキエーヴォ・ヴェローナ戦にてチームに復帰し得点も決め[1]、2008-09シーズンはリーグ戦16試合、UEFAカップには6試合出場した。2009-10シーズンに入るとアンドレア・コーダクリスティアン・サパタがセンターバックのポジションに入り、フェリペはサイドバックとしてプレーするが前半戦は3試合出場するに留まっていた。

フィオレンティーナ

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2009年12月、レギュラーを獲得した2005年頃からフェリペを評価し、その動向を追い続けていたACFフィオレンティーナが正式に獲得をオファーする。同12月28日にチーム練習に合流し[2]、2010年1月2日にクラブから買取オプション付のローンで獲得すると公式発表された[3]。2011年1月31日、ACチェゼーナにレンタル移籍。

パルマ

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2013年7月、パルマへ完全移籍[4]。給料未払い問題により、アントニオ・カッサーノに続き、契約解除が発表された。

インテル

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2015年2月、インテル・ミラノとシーズン終了までの契約を結んだことが発表された[5]

ウディネーゼ復帰

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2015-16シーズンからは、古巣のウディネーゼに復帰することとなった。

SPAL

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2017年7月3日、S.P.A.L.へ3年契約で完全移籍[6]

エピソード

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  • フィオレンティーナへ移籍した際、元所属クラブのジャンニ・デ・ビアージ監督は「本人の夢のためとはいえ、重要な選手の移籍を残念に思う。ファンが一番悲しむだろう。」と発言[7]、下部組織からの生え抜き選手の退団を惜しんだ。

人物

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若い頃からセリエAやチャンピオンズリーグで活躍し、ACミランなどのビッグクラブからもパオロ・マルディーニの後継者に成り得るとの評価を受けてきた選手。フットサル出身という経歴を持ちキックの精度が高く、センターバックではあるがサイドバックもこなせるユーティリティプレーヤーである。フットサルでプレーしていた13歳のときに才能に注目したウディネーゼによって引き抜かれ、下部組織時代も含め10年間プレーし成長する。怪我で伸び悩んだものの[8]一時期はリーグで最も優れたディフェンダーの一人と評されていた[9]

脚注

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外部リンク

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