フセヴォロド・ダヴィドヴィチ (グロドノ公)
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フセヴォロド(フセヴォロドコ)・ダヴィドヴィチ(ロシア語: Всеволод(Всеволодко) Давыдович、? - 1142年2月1日[1])は初代グロドノ公である。在位:1116年以前 - 1141年。
年代記上の初出は、1116年にウラジーミル・モノマフの娘アガフィヤと結婚した記述においてである[2]。フセヴォロドは1116年には既にグロドノ(現ベラルーシ・フロドナと推定されるが諸説あり)を領有していた。1127年、義兄のキエフ大公ムスチスラフによるポロツク公国への遠征に参加した[3]。また、1132年には、ムスチスラフやチェルニゴフ・オレグ家(ru)諸公によるリトヴァ族(ru)への遠征にも参加している[4]。
フセヴォロドの父はヴォルィーニ公ダヴィドとする説が有力であるが[2][5]、チェルニゴフ公ダヴィドを父とする説、トゥーロフ・イジャスラフ家(ru)のヤロスラフ(ru)を父とする説[6]、あるいはポロツク・イジャスラフ家(ru)の出身とする説もある[7]。
妻子
[編集]妻はウラジーミル・モノマフの娘アガフィヤ。子には以下の人物がいる、
出典
[編集]- ^ Агафия Владимировна // Русский биографический словарь
- ^ a b & 中澤 2014, p. 263.
- ^ & 中澤.藤田 2015, p. 300.
- ^ & 中澤.藤田 2015, p. 305.
- ^ В.Н.Татищев. История Российская. Том II. М., 2003. С. 132, 154.
- ^ Назаренко А.В. Городенское княжество и городенские князья в XII в. // Древнейшие государства Восточной Европы: Памяти чл.-корр. РАН А.П. Новосельцева, 1998. М., 2000. С. 169–188.
- ^ Гостев А.П. О возникновении удельного Городенского княжества и князьях городенских // Наш радавод. Ч. 1. Гродна, 1993. С. 107–109
参考文献
[編集]- 中澤敦夫「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(1) : 『原初年代記』への追加記事(1110~1117年)」『富山大学人文学部紀要』第61巻、富山大学人文学部、2014年8月、233-268頁、CRID 1390853649736563968、doi:10.15099/00000292、hdl:10110/12937、ISSN 03865975。
- 中澤敦夫, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(2) : 『キエフ年代記集成』(1118~1146年)」『富山大学人文学部紀要』第62巻、富山大学人文学部、2015年2月、287-353頁、CRID 1390290699783145728、doi:10.15099/00000305、hdl:10110/13459、ISSN 03865975。