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フョードル・フョードロヴィチ (ミクリン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フョードル・フョードロヴィチ
Фёдор Фёдорович
ミクリン公
在位 1410年 - ?

出生 1391年以降
死去 1453年以前
家名 リューリク家
父親 ミクリン公フョードル
母親 アンナ・フョードロヴナ・コシュカ
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フョードル・フョードロヴィチロシア語: Фёдор Фёдорович1391年以降 - 1453年以前)は、ミクリン公フョードルの次男である。

1410年に父が死亡したのち、兄アレクサンドルと父の遺領を分割して相続した。

ルーシのレートピシ(年代記)上に、フョードルに関する記録は残されておらず、ジャロヴァニエ(ru)(賞賜、授与[1])の文面や、グラーモタ(ru)(勅令、国書、証明書[2])上にその名が残されているのみである。妻子に関しても不明である。

出典

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  1. ^ 井桁貞義『コンサイス露和辞典』p234
  2. ^ 井桁貞義『コンサイス露和辞典』p174

参考文献

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