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フライングチルダーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フライングチルダーズ
フライングチルダーズの肖像 by J.Seymour
欧字表記 Flying Childers
品種 ランニングホース
性別
毛色 鹿毛栗毛説もある)
生誕 1714年(1715年説もある)
死没 1741年
ダーレーアラビアン
ベティリーデズ
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 レオナルド・チルダーズ
馬主 デヴォンシャー公爵
調教師 不明
競走成績
生涯成績 8戦8勝(複数資料の合計による)
獲得賞金 1650ギニー以上
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フライングチルダーズFlying Childers、または単にチルダーズChilders、もしくはデヴォンシャーチルダーズDevonshire Childers1714年 - 1741年)は、イギリス競走馬種牡馬。近代競馬における最初の名馬とも言うべき馬で、18世紀3名馬の一頭に数えられている。全弟エクリプスの3代父バートレットチルダーズがいる。

名前はレオナルド・チルダーズの持ち馬ということで「チルダーズ」と呼ばれたが、のちにデヴォンシャー公爵の手に渡り「デヴォンシャーチルダーズ」とも呼ばれるようになった。また、飛ぶように早いという意味で「フライングチルダーズ」とも呼ばれ、現在ではこの名称がもっとも有名となっている。

1972年以降、ドンカスター競馬場にてフライングチルダーズを記念するフライングチルダーズステークス(5ハロンG2)が行われている。

生涯

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フライングチルダーズが活躍した時代は、まだエプソムダービージョッキークラブも設立されておらず、サラブレッドという言葉も定着していなかった。フライングチルダーズ自身競走用に使われる前は、郵便物を運んでいたという話も残っているように、当時は競走目的のみにサラブレッドが生産されていたわけではないことがわかる。血統的には、本馬の父はダーレーアラビアンで、母方も牝祖がめずらしいアラブ系輸入繁殖牝馬であるフェアファックスバルブメア(6号族の祖、1610年ごろに輸入されたバルブ種?)であることに代表されるようにすべてアラブ種やターク種、バルブ種で占められており、アラブ馬の特徴を色濃く残している。体高も15.2ハンド(約154.4センチメートル)と現在の馬に比べれば一回り小さかった。

記録では1721年から1723年の3年間に8競走(うち3戦は相手棄権)に出走し、すべて圧勝した。1721年4月26日ニューマーケットで行われたスピードウェルとの500ギニーを賭けたマッチレースが最初の競走だが、この競走で非常な強さを発揮したフライングチルダーズ相手に賭け勝負を挑むものはいなくなり、以後は多くが無賞金のテストマッチである。同じ年に行われたアルマンザおよびブラウンベティとのテストマッチは詳細に記録されており、ニューマーケットの周回コース、3マイル6ハロン93ヤード(約6120メートル)で行われた競走は、2マイル付近から相手を離し始め、最終的に6分40秒で大差勝ちしたとある。しかもフライングチルダーズは9ストーン2ポンド(約58キログラム)、ほかの2頭は8ストーン2ポンド(52キログラム)というハンデ差だったという。1722年には強豪フォックスを相手に400メートル(4分の1マイル)もの大差を付けて圧勝。また、相手不明だが4マイル1ハロン138ヤード(約6765メートル)のテストマッチを行い7分30秒で走破した。10月22日にはチャンターを相手にした1000ギニーのマッチレース(6マイルオーバー)でふたたび勝った。このあと2つの競走が予定されていたが、ともに相手が棄権している。

ほかに、伝説的な話ではあるが1マイル(約1608メートル)を1分(現在の世界レコード 1分30秒7)で走破した話も残っている、時速に直すと約96km/hという考えられない数字となる。そもそも6120メートルの距離を6分40秒、6765メートルを7分30秒で走ったというのもかなり怪しい。しかしながら、タイムなどはいい加減だったとしても当時の人たちにそれほどまでに強い印象を与えたということだろう。実際、かなり遅くまでこの時計は事実だと信じられていた。

引退後は馬主のデヴォンシャー公爵のもとで供用された。交配相手には恵まれなかったと言われるが、それでもブラックレグズ、ブレイズなどの産駒を輩出した。後世の集計によれば、1730、1736年のイギリスリーディングサイアーを獲得したとのことである。その後スニップの産駒スナップが種牡馬として成功したが、子孫はエクリプスと同世代で13戦不敗のゴールドファインダーを最後の名馬としてサラブレッドとしては滅亡した。

サラブレッドとして滅んだものの、フライングチルダーズの父系子孫は、スタンダードブレッドアメリカンサドルブレッドにおいて強勢である。これは1788年にアメリカに輸出されたMessengerの産駒であるMambrino IIという馬が強く関わっており、以下の様に父系が受け継がれている。特にスタンダードブレッドでは占有率はほぼ100%に近く、アメリカンサドルブレッドでも40%程度のシェアがある。

  • スタンダードブレッドでは、Mambrino II→Abdallah→Hambletonian10(スタンダードブレッド基礎種牡馬)
  • アメリカンサドルブレッドでは、Mambrino II→Mambrino Paymaster→Mambrino Chief →Clark Chief→Harrison Chief(アメリカンサドルブレッド基礎種牡馬の1頭)

なお、Y染色体の系統解析により、これらの馬の父系子孫はY染色体MSYに共通のSNPを持っていることが判明している。これは、フライングチルダーズからマンブリノIIの何れかの段階で新たに獲得したと考えられ、少なくともマンブリノIIが生まれた1806年以降の父系血統が正しいことを立証する。また、ダーレーアラビアン系特有のSNPを保有する一方、エクリプスからホエールボーンのいずれかで発生したインデルを持たない。これらの結果は、残されている血統書と矛盾しない。

主な産駒

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  • ブラックレグズ (Blacklegs) - 1746年イギリスリーディングサイアー
  • セカンド (Second) - ヘロドの父パートナーを破る。
  • スニップ (Snip) - リーディングサイアー4回のスナップの父
  • スパンキングロジャー (Spanking Roger) - 1730年代末に活躍、現役で死亡。
  • ラウンドヘッド (Roundhead)
  • ブレイズ (Blaze) - 1751年イギリスリーディングサイアー。父系子孫はメッセンジャーを通じて現存

血統表

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フライングチルダーズ血統(ダーレーアラビアン系(→フライングチルダーズ系) / Spanker3×4=18.75%(母内)) (血統表の出典)

Darley Arabian
鹿毛 1700?
父の父
不明
不明 不明
不明
不明 不明
不明
父の母
不明
不明 不明
不明
不明 不明
不明

Betty Leedes
Old Careless
1692
Spanker
鹿毛
Darcys Yellow Turk
Old Morocco Mare
Barb Mare 不明
不明
母の母
Cream Cheeks
F-No.6-a
Leedes Arabian
黒鹿毛
不明
不明
Spanker Mare
芦毛 1690
Spanker
Old Morocco Mare (F-No.6

曽祖母がスパンカーメアという定説に対し、ママデュク・ウイヴィックの牝馬という説もある。

参考文献

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  • ChildersThoroughbred Bloodlines
  • 山野浩一『伝説の名馬(Part4)』中央競馬ピーアール・センター、1997年、ISBN 4924426555
  • Flying ChildersThoroughbred Heritage

外部リンク

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