フランク・ジュウェット
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フランク・ファニング・ジュウェット(Frank Fanning Jewett、1844年1月8日 - 1926年7月1日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したアメリカ合衆国の化学者、音楽教師である。
経歴・人物
[編集]マサチューセッツ州ニュートンの出身。イェール大学卒業後、留学のためドイツに移住しゲッティンゲン大学で学んだ。帰国後にハーバード大学で化学の教鞭を執った。
1876年(明治9年)に日本政府の招聘により来日した。翌年から東京開成学校(現在の東京大学)に雇われ、化学の教鞭を執った。また、同時期に当時滞日していたエドワード・モースが発見した大森貝塚にある出土品の分析を担当する等、日本における化学の西洋化に貢献した。また1880年(明治13年)3月まで東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の臨時音楽教師を兼任して唱歌を教え、同月に来日したルーサー・ホワイティング・メーソンが同年4月より後任の音楽教師となった[1][2]。
1880年(明治13年)7月に任期満了となり帰国した[3]。帰国後はオーバリン大学で教鞭を執り、ロバート・ミリカンやチャールズ・マーティン・ホールといった著名な学者を輩出した。1926年ハワイのオアフ島のホノルルで死去した。
脚注
[編集]出典
[編集]- デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『ジュウェット』‐ コトバンク
- 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『ジュウェット』‐ コトバンク
- 20世紀西洋人名事典(日外アソシエーツ)『フランク・ファニング ジュウェット』‐ コトバンク
- 「文部省所轄学校図書館博物館年報要略 東京女子師範学校第六年報 自明治十二年九月至同十三年八月」『文部省第八年報』文部省、1880年、436-444頁。doi:10.11501/809153 。2020年4月11日閲覧。
- 中村理平『洋楽導入者の軌跡 : 日本近代洋楽史序説』刀水書房、1993年。ISBN 978-4887081468。