フランソワ・デュケノア
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フランソワ・デュケノア François Duquesnoy | |
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アンソニー・ヴァン・ダイクによる肖像画 | |
生誕 |
1597年1月12日 ブリュッセル |
死没 |
1643年7月18日 リヴォルノ |
フランソワ・デュケノア(François Duquesnoy、1597年1月12日 - 1643年7月18日)は17世紀、フランドルの彫刻家である。ローマで形成されたバロック彫刻を代表する彫刻家になった。
略歴
[編集]ブリュッセルで生まれた。父親のジェローム・デュケノア(Jérôme Duquesnoy l'Ancien: c.1570-c.1641)はスペイン領ネーデルラント君主、アルブレヒト・フォン・エスターライヒの宮廷の彫刻家で、父親から彫刻を学んだ。父親と同名の弟、ジェローム・デュケノア(Jérôme Duquesnoy le Jeune: 1602-1854) も彫刻家になった。
アルブレヒト・フォン・エスターライヒの奨学金を受けて、1616年にローマに修行に出た。ローマでは「Francesco Fiammingo(フランドルのフランチェスコ)」の通称で呼ばれた。1621年にアルブレヒト・フォン・エスターライヒが亡くなり、奨学金を失うが、そのままローマに滞在し、フランス出身の画家ニコラ・プッサンと親しくなり、同じ家に住んだ。
ローマでデュケノアの名声は高まり、17世紀前半を代表する彫刻家になった。1625年に建築家、彫刻家のジャン・ロレンツォ・ベルニーニはサン・ピエトロ大聖堂の改築にあたってデュケノアの彫刻、聖アンデレ像を装飾に用いた。
プッサンがフランス王、ルイ13世の宰相リシュリューにデュケノアを推薦し、フランス宮廷の彫刻家の地位とパリの王立彫刻アカデミーの校長の候補になり、パリに向かう途中でリヴォルノで急死した。46歳であった。[1][2][3]
作品
[編集]-
サン・ピエトロ大聖堂の聖アンデレ像
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アドニス ルーブル美術館蔵
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ロレート聖母教会の聖女スザンナ
脚注
[編集]- ^ G.P. Bellori, Le vite de' pittori, scultori e architetti moderni, a cura di Evelina Borea, Torino, Giulio Einaudi Editore, 1976, p. 297.
- ^ G. Piombanti, Guida storica ed artistica della città e dei dintorni di Livorno, Livorno 1903, p. 194.
- ^ P. Volpi, Guida del forestiere per la città e contorni di Livorno, utile ancora al livornese che brama essere istruito dei particolari della sua patria, su archive.org, Livorno, 1846, p. 162. URL consultato il 30 aprile 2020.
参考文献
[編集]- Mariette Fransolet, Frans Duquesnoy, Bruxelles, 1942.
- G.P. Bellori, Le vite de' pittori, scultori e architetti moderni, a cura di Evelina Borea, Einaudi,Torino 1976