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フランチェスコ・ルテッリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランチェスコ・ルテッリ
Francesco Rutelli
フランチェスコ・ルテッリ
生年月日 (1954-06-14) 1954年6月14日(70歳)
出生地 イタリアの旗 イタリアラツィオ州ローマ県ローマ
所属政党 イタリア同盟(2009-2016)
民主党(2007-2009)
マルゲリータ(2002-2007)
民主主義者(1999-2002)
緑の連盟(1989-1999)
虹の緑(1989)
イタリア急進主義者(1972-1989)
配偶者 バルバラ・パロンベッリ
公式サイト Francesco Rutelli

内閣 第2次ロマーノ・プローディ内閣
在任期間 2006年5月17日 - 2008年5月8日

イタリアの旗 文化財・文化活動大臣
内閣 第2次プローディ内閣
在任期間 2006年5月17日 - 2008年5月8日

当選回数 2回
在任期間 1993年12月5日 - 2001年5月

当選回数 5回

その他の職歴
イタリアの旗 初代マルゲリータ党首
2002年3月24日 - 2007年10月14日
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フランチェスコ・ルテッリイタリア語: Francesco Rutelli1954年6月14日 - )は、イタリア政治家上院議員(1期)。

下院議員(5期)。副首相兼文化財・文化活動大臣、マルゲリータ党首(初代)、ローマ市長(第61代)を歴任。

概要

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ラツィオ州ローマ県ローマ出身。

1975年イタリア急進主義者(RI)に入党し、1981年に書記長就任。1983年の下院(代議院)総選挙に出馬、当選し翌1984年にRI下院議員団長に就任する。

1989年、RIを離党し緑の連盟(Verdi)の設立に加わり、翌1990年全国議長に就任。1993年、下院議員を辞職しローマ市長選挙に出馬、決選投票でイタリア社会運動・国民同盟(MSI-AN)のジャンフランコ・フィーニを破り当選する。

1999年、市長在任のまま欧州民主党から欧州議会選挙に出馬、当選する。2001年、中道左派連合「オリーブの木」の首相候補に指名され市長を辞職して下院選に再出馬するも、シルヴィオ・ベルルスコーニ率いる中道右派連合「自由の家」に敗北する。

2002年中道キリスト教左派などの小政党を合流してマルゲリータ(DL)を結成し、党首に就任。左翼民主主義者(DS)のワルテル・ヴェルトローニとともに中道左派連合「ルニオーネ」結成、政権交代を牽引した。2006年第2次プローディ内閣の発足により副首相兼文化財・文化活動大臣に就任。2007年、MLとDSなどの合流による新党・民主党(PD)結成に尽力した。

2008年、ヴェルトローニがPDの首相候補として国政復帰によりローマ市長を辞職、ルテッリはそれに伴う市長選への出馬を表明した。しかし自由の人民公認のジャンニ・アレマノに敗北した。

関連項目

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外部リンク

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フランチェスコ・ルテッリ
先代
ジュリオ・トレモンティ
イタリアの旗 副首相
2006 - 2008
次代
アンジェリーノ・アルファノ
先代
ロッコ・ブッティリオーネ
イタリアの旗 文化財・文化活動相
2006 - 2008
次代
サンドロ・ボンディ
先代
アレサンドロ・ボッシ
イタリアの旗 ローマ市長英語版
第61代: 1993 - 2001
次代
ワルテル・ヴェルトローニ
先代
発足
イタリアの旗 マルゲリータ党首
初代: 2002 - 2007
次代
解散