フランチェスコ1世・デル・バルツォ
フランチェスコ1世・デル・バルツォ Francesco I del Balzo | |
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初代アンドリア公 | |
在位 |
1373年 - 1374年 1381年 - 1422年 |
出生 |
1330年ごろ |
死去 |
1422年4月23日 |
配偶者 | ルイーザ・デ・サン・セヴェリーノ |
マルゲリータ・ディ・ターラント | |
スヴェーヴァ・オリシーニ | |
子女 |
ジャコモ アントーニア マルゲリータ グリエルモ |
家名 | デル・バルツォ家 |
父親 | アンドリア伯ベルトランド3世・デル・バルツォ |
母親 | マルグリット・ドルネー |
フランチェスコ1世・デル・バルツォ(イタリア語:Francesco I del Balzo. 1330年ごろ[1] - 1422年4月23日)は、初代アンドリア公、モンテスカリオーゾ伯およびスクイッラーチェ伯、ベール、ミソンおよびティアノの領主。
フランチェスコ1世はアンドリア伯およびモンテスカリオーゾ伯ベルトランド3世・デル・バルツォとその2番目の妃マルグリット・ドルネーの息子である[1]。父ベルトランド3世はローマ議員、トスカーナの総司令官およびナポリの司法長官をつとめた[1]。デル・バルツォ家はフランチェスコ1世が1348年にマルゲリータ・ディ・ターラントと結婚した後、ナポリ王国で最も権力を持つ一族の一つとなった[2]。
生涯
[編集]1349年、フランチェスコ1世はターラント公ルイージより広大な領地を与えられた。ルイージは1346年にナポリ女王ジョヴァンナ1世と結婚し、ナポリ王となっていた。ルイージは1352年または1353年に戴冠された。ルイージは1348年に結婚したフランチェスコ1世の2番目の妃マルゲリータの兄であった[1][3]。フランチェスコ1世はアンドリア公とされたが、王国で最初に公爵となった最初の貴族となった[2]。アンドリアは、フランチェスコの父ベルトランド3世が最初の妃でナポリ王カルロ2世の娘ベアトリーチェ・ダンジョより寡婦財産として受け取った王家の領地であった[4]。
1373年にターラント公フィリッポ2世が死去し、マルゲリータとフランチェスコは、ターラントおよびフィリッポ2世のギリシャの領地(主にアカイア公国とそれに付随する領地)と称号を自身達および息子でターラント公フィリッポ1世の最後の男子の子孫であるジャコモのために主張した[2]。マルゲリータの主張はローマ教皇グレゴリウス11世が支持した[2]。しかし、ナポリ女王ジョヴァンナ1世はターラント公のギリシャにおける領地を自ら支配することを決めた[2]。1374年4月、ジョヴァンナ1世はデル・バルツォ家の勢力を抑えることに決め、フランチェスコからすべての領地と称号を剥奪した[2]。これにより、ジョヴァンナ1世とデル・バルツォ家との間に内乱が勃発した[2]。『モレア年代記』のアラゴン語版に記録が残されている[2]。
家族
[編集]フランチェスコ1世は3度結婚した[1]。
1337年、マルシコ伯トンマーゾ3世・デ・サン・セヴェリーノの娘ルイーザと結婚したが、子供は生まれなかった[1]。
1348年、ターラント公フィリッポ1世とその2番目の妃カトリーヌ・ド・ヴァロワ=クルトネーの娘マルゲリータと結婚した[1]。マルゲリータは1380年9月ごろに幽閉中に死去した[1]。2人の間には以下の子女が生まれた。
1381年、ニッコロ・オルシーニとその最初の妃ジャンヌ・ド・サブランの娘スヴェーヴァと結婚し、以下の子女が生まれた。
- マルゲリータ(1394年 - 1469年) - サン=ポル伯ピエール1世と結婚、ジャケット・ド・リュクサンブールの母[1]。
- グリエルモ - 2代アンドリア公。マリア・ブルンフォルテと結婚、子女あり。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Richardson, Douglas (2011). Plantagenet Ancestry: A Study In Colonial And Medieval Families (2nd ed.). CreateSpace
- Setton, Kenneth Meyer (1969). Harry W. Hazard. ed. A History of the Crusades: Fourteenth and fifteenth centuries. Univ of Wisconsin Press
- Giannone, Pietro (1723). The civil history of the Kingdom of Naples. Volume 2. London
- Baddeley, Welbore St. Clair (1897). Robert the Wise and His Heirs, 1278-1352. W. Heinemann
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