フランツ・フォン・シュトゥック
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フランツ・フォン・シュトゥック | |
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『自画像』 | |
生誕 |
1863年2月23日 バイエルン王国、テッテンヴァイス |
死没 |
1928年8月30日 (65歳没) ドイツ国、ミュンヘン |
フランツ・フォン・シュトゥック(Franz von Stuck、1863年2月23日 - 1928年8月30日)は、ドイツの画家・版画家・彫刻家・建築家。
略歴
[編集]1863年にテッテンヴァイス(ニーダーバイエルン地方)に生まれる。1882年にミュンヘンの工芸学校及び美術アカデミーにて学び、レンバッハとアルノルト・ベックリンの影響を受ける。
1889年にパリ万国博覧会で金賞を受賞し、ミュンヘンに定住して画家として活動した。神話に取材した寓意的な絵や、宗教画、肖像画を描いた、分離派(ミュンヘン分離派、1892年)の創始者の一人である。1893年にシカゴ万国博覧会でメダルを獲得した。
1895年からミュンヘン美術院の教授となり、教え子にはパウル・クレー、ワシリー・カンディンスキー、ヨゼフ・アルバース、ハンス・プルマンなどがいる。1900年のパリ万国博覧会でもメダルを獲得した。社交界の中心人物でもあり、多分野での活躍によって「芸術家の王様」と呼ばれた。
1897年にアメリカ人女性と結婚し、同年から1898年までヴィラ・シュトゥックを設計した。
作品
[編集]- Die Neckerei 「からかい」
- Der Krieg 「戦争」
- Die Sphinx 「スフィンクス」
- Die Sünde 「罪」1893 - ノイエ・ピナコテーク蔵
- アマゾーネ(彫刻)
ギャラリー
[編集]-
『罪』(1893年) ノイエ・ピナコテーク
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『スフィンクス』(1904年)ヘッセン州立博物館
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『サロメ』(1906年) レンバッハハウス美術館
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『シーシュポス』(1920年)
外部リンク
[編集]- ミュンヘンのヴィラ・シュトゥック Museum Villa Stuck
- テッテンワイス村のフランツ・フォン・シュトゥック生家美術館