フレディ・ヘッド
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(フレデリック・ヘッドから転送)
フレディ・ヘッド(Freddie Head、1947年6月19日 - )は、フランス・オー=ド=セーヌ県ヌイイ=シュル=セーヌ出身で、同国シャンティー調教場を拠点としていた元調教師、元騎手。父はオーナーブリーダーのアレック・ヘッド、母のジスライン・ヘッドは馬主、妹のクリスティアーヌ・ヘッドは元調教師、祖父のウィリアム・ヘッドは元騎手である。姪(妹の娘)の夫のカルロス・ラフォン=パリアスも調教師である。フレディー・ヘッド、フレッディ・ヘッドと表記されることもある。
来歴
[編集]1964年、4月19日に騎手として初勝利を挙げる。以後フランスのリーディングジョッキーに6度も輝くなどフランスを代表する騎手となる。
1988年、12月に行われた第2回ワールドスーパージョッキーズシリーズに参加するために初来日を果たし、中央競馬初騎乗となった12月3日のゴールデンスパートロフィーでは3番人気のホワイトターキンに騎乗して8着だった。なおワールドスーパージョッキーズシリーズの順位は7位だった。
1989年、11月に行われたジャパンカップに出走するトップサンライズと共に2度目の来日を果たし、中央GI初騎乗となった同レースは10着という結果に終わっている。
1997年、8月12日に騎手として最後の騎乗を迎え、ドーヴィル競馬場で行われたトゥルジェヴィル賞(準重賞)を、父の所有馬で、妹の管理馬であるマラトンに騎乗して優勝した。騎手成績は通算34年で2937勝(うちG1競走120勝)、中央競馬通算15戦0勝(2着1回)。
騎手引退後は調教師に転身した。
2022年シーズンをもって調教師を引退することになった[1]。
記録等
[編集]- 騎手として
- サンタラリ賞通算9勝(1967年、1971年、1976年、1978年、1979年、1982年、1985年、1986年、1991年)は歴代1位。
- プール・デッセ・デ・プーリッシュ通算8勝(1975年、1976年、1978年、1979年、1985年、1987年、1995年、1997年)は歴代1位。
- プール・デッセ・デ・プーラン通算6勝(1975年、1976年、1988年、1990年、1991年、1992年)は歴代1位。
- ジャックルマロワ賞通算6勝(1967年、1972年、1981年、1987年、1988年、1991年)は歴代1位。
- ロワイヤルオーク賞通算6勝(1968年、1971年、1974年、1980年、1984年、1989年)は歴代1位。
- アスタルテ賞通算6勝(1967年、1970年、1982年、1985年、1989年、1992年)は歴代1位。ただし優勝時はG1ではない。
- フォレ賞通算5勝(1966年、1968年、1972年、1983年、1990年)は歴代1位タイ。
- 凱旋門賞通算4勝(1966年、1972年、1976年、1979年)は歴代1位タイ。
騎乗馬
[編集]- Lyphard / リファール(1972年ジャックルマロワ賞、フォレ賞)
- Riverman / リヴァーマン(1972年イスパーン賞)
- Green Dancer / グリーンダンサー(1974年オブザーバーゴールドカップ、1975年プール・デッセ・デ・プーラン、リュパン賞)
- Val De L'Orne / ヴァルドロルヌ(1975年ジョッケクルブ賞)
- Youth / ユース(1976年ジョッケクルブ賞、リュパン賞)
- Gay Mecene / ゲイメセン(1978年ウージェーヌアダム賞、ニエル賞、1980年サンクルー大賞)
- Gold River / ゴールドリヴァー(1980年ロワイヤルオーク賞、1981年カドラン賞)
- Karkour / カルクール(1983年カドラン賞)
- Silvermine / シルヴァーマイン(1985年プール・デッセ・デ・プーリッシュ)
- Miesque / ミエスク(1986年サラマンドル賞、マルセルブーサック賞、1987年イギリス1000ギニー、プール・デッセ・デ・プーリッシュ、ジャックルマロワ賞、ムーランドロンシャン賞、ブリーダーズカップマイル、1988年イスパーン賞、ジャックルマロワ賞、ブリーダーズカップマイル)
- Blushing John / ブラッシングジョン(1988年プール・デッセ・デ・プーラン)
- Hector Protector / ヘクタープロテクター(1990年モルニ賞、サラマンドル賞、仏グラン・クリテリウム、1991年プール・デッセ・デ・プーラン、ジャックルマロワ賞)
- Shanghai / シャンハイ(1992年プール・デッセ・デ・プーラン)
- Poliglote / ポリグロート(1994年クリテリウムドサンクルー)
- Anabaa / アナバー(1996年ジュライカップ、モーリスドギース賞)
- Always Loyal / オールウェイズロイヤル(1997年プール・デッセ・デ・プーリッシュ)
管理馬
[編集]- Marchand d'Or / マルシャンドール(2006年モーリス・ド・ゲスト賞、2007年モーリス・ド・ゲスト賞、2008年ジュライカップ、モーリス・ド・ゲスト賞、アベイ・ド・ロンシャン賞)
- Goldikova / ゴルディコヴァ(2008年ロートシルト賞、ムーラン・ド・ロンシャン賞、ブリーダーズカップ・マイル、2009年ファルマスステークス、ロートシルト賞、ジャック・ル・マロワ賞、ブリーダーズカップ・マイル、2010年イスパーン賞、クイーンアンステークス、ロートシルト賞、フォレ賞、ブリーダーズカップ・マイル、2011年イスパーン賞、ロートシルト賞)
- Moonlight Cloud / ムーンライトクラウド(2011年・2012年・2013年モーリス・ド・ゲスト賞、2012年ムーラン・ド・ロンシャン賞、2013年ジャック・ル・マロワ賞、フォレ賞)
エピソード
[編集]- 1997年に凱旋門賞に挑戦を表明したサクラローレル陣営から同馬への騎乗依頼を受けたが、当初回答を保留していた。しかし返事をする前に突然騎手を引退することを発表し、陣営を困惑させた。その為同馬には武豊が騎乗した。
脚注
[編集]- ^ フランスの名伯楽、ヘッド調教師が今年限りで引退へJRA-VAN World、2022年9月19日閲覧