ブライアン・マクレアー
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名前 | ||||||
本名 | Brian John McClair | |||||
愛称 | Choccy | |||||
ラテン文字 | Brian McClair | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スコットランド | |||||
生年月日 | 1963年12月8日(60歳) | |||||
出身地 | ベルシル | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW, MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1980-1981 | アストン・ヴィラ | 0 | (0) | |||
1981-1983 | マザーウェル | 40 | (15) | |||
1983-1987 | セルティック | 145 | (99) | |||
1987-1998 | マンチェスターU | 355 | (88) | |||
1998 | マザーウェル | 11 | (0) | |||
通算 | 551 | (202) | ||||
代表歴 | ||||||
1984-1993 | スコットランド | 30 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ブライアン・マクレアー(Brian John McClair、1963年12月8日 - )は、スコットランド出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW、MF(攻撃的MF)。
経歴
[編集]クラブ
[編集]マクレアーは1980年に高校を卒業と同時にアストン・ヴィラFCで選手経歴を開始したが、出場機会を得ることは出来ず、1年で退団し、スコットランドのマザーウェルFCへ移籍した。マザーウェルではレギュラーに定着し、2シーズンの間に15得点を記録すると、1983年に£100,000の移籍金で、強豪のセルティックFCへ移籍した。セルティックでは4シーズン在籍し、リーグ戦145試合に出場し99得点を記録、1986-87シーズンには44試合で35得点を挙げる活躍を見せ、スコットランドPFA年間最優秀選手賞とスコットランドFWA年間最優秀選手賞を同時受賞した。
この活躍により1987年7月に£850,000の移籍金で、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドと契約した。マクレアーは入団最初のシーズンに24得点を記録するなど、マーク・ヒューズとのコンビでフォワードとして活躍を続け、1992年11月にリーズ・ユナイテッドFCからエリック・カントナが加入すると攻撃的MFへとコンバートされた。
マンチャスター・ユナイテッドでは11シーズン間在籍しリーグ通算468試合に出場し126得点を記録。またプレミアリーグ優勝4回(1993年、1994年、1996年、1997年)、FAカップ優勝3回(1990年、1994年、1995年)、フットボールリーグカップ優勝1回(1992年)、UEFAカップウィナーズカップ優勝1回(1991年)に貢献するなど、選手生活を通じて最も大きな成功を収めた。
その後、ロイ・キーンやデビッド・ベッカムらの台頭もあって次第に出場機会を失うようになり、1998年にクラブを退団し、古巣のマザーウェルFCへ移籍、その年に現役を引退した。
スコットランド代表
[編集]スコットランド代表としては、1984年に代表デビュー。FIFAワールドカップに出場することは叶わなかったが、1992年のUEFA EURO '92では代表に選出。1次リーグ最終戦のCIS代表戦では1得点を決め3-0の勝利に貢献した。マクレアーは翌1993年に代表から退くまで国際Aマッチ30試合に出場し2得点を記録した。
引退後
[編集]引退後は指導者の道へ進み、1998年12月にブラックバーン・ローヴァーズのコーチに就任し、監督のブライアン・キッドを補佐した。2001年からは古巣のマンチャスター・ユナイテッドのスタッフに加わり、2006年からはユースアカデミーのディレクターを務めている。
個人タイトル
[編集]- スコットランドPFA年間最優秀選手賞 1回(1987年)
- スコットランドFWA年間最優秀選手賞 1回(1987年)