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ブライトン・シティ空港

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブライトン・シティ空港
Brighton City Airport
IATA: ESH - ICAO: EGKA
概要
国・地域 イギリスの旗 イギリス
所在地 ウェスト・サセックス州ランシング
母都市 ショアハム
ブライトン・アンド・ホヴ
ワージング
種類 公共
所有者 ブライトン・シティ空港株式会社
開港 1910年
ターミナル 1
標高 2 m (7 ft)
座標 北緯50度50分08秒 西経0度17分50秒 / 北緯50.83556度 西経0.29722度 / 50.83556; -0.29722座標: 北緯50度50分08秒 西経0度17分50秒 / 北緯50.83556度 西経0.29722度 / 50.83556; -0.29722
公式サイト flybrighton.com
地図
空港の位置
空港の位置
ESH
空港の位置
滑走路
方向 長さ×幅 (m) 表面
02/20 1,036×18 アスファルト
06/24 799×25
13/31 408×18
02G/20G 602×23
統計(2020年)
発着回数 33,000回[1]
リスト
空港の一覧
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ブライトン・シティ空港(ブライトン・シティくうこう、英語: Brighton City Airport)は英国ウェスト・サセックス州ランシングにある空港。ショアハム=バイ=シー近郊にあることからショアハム空港とも呼ばれている。1910年に開業したイギリスで最も古い空港の1つであり、現在も営業する民間空港の中では最も古い[3]

空港を運営するのはブライトン・シティ空港株式会社[4]。1930年代に建造されたアール・デコ調のターミナルは第2*級イギリス指定建造物に指定されている[5]。2021年現在定期便の運行はなく、ゼネラル・アビエーションにのみ用いられている。

歴史

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1910年、ハロルド・ピファードによって初飛行が行われ[3]、翌年6月20日に正式開港した。その2年後の1913年には航空学校がオープンした。

1914年第一次世界大戦が始まり、空港は空軍が使用することになった。この飛行場から初期の航空機であるブレリオ XIRAF B.E.2が飛び立ち、イギリス海峡での戦いへ向かっていった[6][7]

第一次大戦後は再び民間に転用され、近隣都市からの利用が増加した。1936年には新しいアールデコ調のターミナルビルが建てられ、ブライトン・ホヴ・アンド・ワージング公立空港として6月13日に開港した。

1937年には航空学校が空軍と提携し、空軍パイロットの養成も行われるようになった。第16初期・予備役航空訓練学校と呼ばれたこの学校では、デ・ハビランド DH.82 タイガー・モスを使用して訓練が行われた。

1939年第二次世界大戦が始まると航空学校は移転され、再び軍用機の拠点として用いられるようになった[8]ライサンダーボーファイターなどの戦闘機がこの飛行場から発着し、沿岸のパトロールなどを行なった。ハリケーンはこの飛行場から夜間戦闘へ向かっていった。1942年にはデファイアント43年にはスピットファイアが導入され、同時に対空射撃の訓練も行われるようになった。1944年ノルマンディー上陸作戦では、この飛行場を飛び立った第345飛行中隊が地上部隊を掩護した[8]。一方で、飛行場に対する枢軸国軍の爆撃が複数回行われた[8]

戦後は再び民間の手に渡り、運営がなされた。航空機開発も行われ、1961年8月にはビーグル・エアクラフト社が開発した新型機ビーグル B.206 バセットがこの空港で初飛行をした。また1984年にはターミナル・ビルが第二*級イギリス指定建造物に指定されている。

2006年、累積する債務によって経営状態が悪化し、地元当局から民間企業へ150年の租借契約が結ばれた。この契約は、近隣の民間航空需要を取り込みたいという狙いがあった。また2007年7月には、戦前に建てられた格納庫も第二級指定建造物となった。2014年にはブライトン・シティ空港株式会社が設立され、同社が空港の所有権と運営権を獲得した。一度はショアハム空港への改名も検討されたが結局は撤回され、現名称のままとなった。

施設

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第2*級イギリス指定建造物に指定されたターミナル・ビルが1つある。ビル内にはレストランや民間航空会社の事務所が設けられており、飛行訓練施設も設置されている。

航空ショー

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ブライトン・シティ空港では、王立空軍協会英語版が主催するショアハム航空ショー英語版を25年近く開催している。2015年8月には同航空ショーに参加した戦闘機が墜落する事故(ショアハム航空ショー墜落事故)が発生し、11人が死亡、16名が負傷した。

空港へのアクセス

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ウェスト・コーストウェイ線英語版ショアハム=バイ=シー駅から1マイルの位置にある。また空港のすぐ隣を国道A27号線英語版が通っている。

映画のロケ地として

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文化財に指定されているターミナル・ビルを持つブライトン・シティ空港は、多くの映画やテレビドラマのロケ地として利用されてきた。

脚注

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  1. ^ Aircraft Movements 2020 - 2010 (in thousands)”. www.caa.co.uk. 2021年9月3日閲覧。
  2. ^ SHOREHAM”. openAIP. 2021年9月3日閲覧。
  3. ^ a b Bloom, Nick. "Sunny Shoreham", Pilot, February 2012, p70
  4. ^ New plan 'safeguards future of Shoreham Airport'”. worthingherald.co.uk. 2 May 2014時点のオリジナルよりアーカイブ2019年10月26日閲覧。
  5. ^ Heritage Gateway – Results”. www.heritagegateway.org.uk. 13 August 2017時点のオリジナルよりアーカイブ24 April 2018閲覧。
  6. ^ Royal Flying Corps WW1 Blériot XI reconnaissance monoplane | Archived Document”. 21 February 2015時点のオリジナルよりアーカイブ21 February 2015閲覧。
  7. ^ Bloom, Nick. "Sunny Shoreham", Pilot, February 2012, p71
  8. ^ a b c Brooks 1996, pp. 123–130
  9. ^ Poirot Locations – Lord Edgware Dies”. tvlocations.net. 3 March 2015時点のオリジナルよりアーカイブ2019年1月16日閲覧。
  10. ^ Eirik. “Investigating Agatha Christie's Poirot: Episode-by-episode: Lord Edgware Dies”. investigatingpoirot.blogspot.com.es. 18 October 2014時点のオリジナルよりアーカイブ2015年8月23日閲覧。
  11. ^ "Agatha Christie's Poirot" Lord Edgware Dies (TV Episode 2000) – IMDb”. IMDb (11 June 2000). 9 December 2007時点のオリジナルよりアーカイブ2018年7月20日閲覧。

出典

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  • Brooks, Robin J. (1996). Sussex Airfields in the Second World War. Newbury, Berkshire, England: Countryside Books. ISBN 1-85306-259-6 

関連項目

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外部リンク

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