プチトエトワール
プチトエトワール | |
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欧字表記 | Petite Etoile |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 芦毛 |
生誕 | 1956年 |
父 | Petition |
母 | Star of Iran |
母の父 | Bois Roussel |
生国 | イギリス |
生産者 | アリ・カーン |
馬主 |
アリ・カーン →アーガー・ハーン4世 |
調教師 | マーレス |
競走成績 | |
生涯成績 | 19戦14勝 |
獲得賞金 | 6万7786 1/4ポンド |
プチトエトワール (Petite Etoile) は、イギリス産の競走馬、繁殖牝馬。
経歴
[編集]競走馬時代
[編集]プチトエトワールは1958年5月末に競走馬としてデビューした。このレースは2頭立てで、対戦相手のクライス(後に短距離路線で活躍)に8馬身の 着差をつけられて敗れた。その後8月まで3戦し2勝を収めた後歩様に異常が見られるようになったため、陣営は年内の出走を見合せた。
1959年、プチトエトワールはイギリスのクラシック前哨戦の一つであるフリーハンデキャップステークスでレースに復帰。このレースを優勝すると、3番人気で臨んだ1000ギニーも優勝した。続いてイギリスクラシック牝馬三冠第2戦のオークスに出走。レース前には血統の面から距離が長すぎることが懸念されたが、レースでは4番手から直線で抜け出し2着馬に3馬身の着差をつけて優勝。イギリスクラシック牝馬二冠を達成した。なお、このレースでのプチトエトワールの走破タイムは前々日に行われたダービーステークスの優勝馬パーシアのタイムを上回るものであった。
オークス優勝後、プチトエトワールはサセックスステークスに出走。この時のレース振りは後方を追走しゴール手前約300mの地点でスパートをかけ優勝するというもので、「他の馬を小バカにしたような」ものであったといわれる。この後プチトエトワールはイギリスクラシック牝馬三冠馬のかかったセントレジャーステークスには出走せず、ヨークシャーオークスとチャンピオンステークスに出走し、いずれも優勝した。6戦全勝でシーズンを終えたプチトエトワールは、ジョッキークラブが発表した1959年の3歳フリーハンデで、牡馬を含む全3歳馬でもっとも高い133ポンドという評価を受けた。
1960年は緒戦のビクトリアワイルドステークスを優勝した後、コロネーションカップに出走。同世代のダービーステークス優勝馬パーシアとの対戦に注目が集まったが、競馬記者が表現に苦労するほどの快勝といわれるレース振りで勝利を収めた。続いてキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出走。序盤は後方に待機し直線でスパートをかける従来通りの戦法をとったがアグレッサーに1/2馬身及ばず2着に敗れた。この敗戦により1958年から続いていたプチトエトワールの連勝は9でストップし、その原因について競馬メディアは、意図的に後方に待機しスパートをかけるタイミングが遅れた主戦騎手レスター・ピゴットの騎乗にあると非難した。一方調教師のマーレスは敗因について、そもそもスタミナが不足していたと述べた。
プチトエトワールは1961年も現役を続行したが、当時イギリスで流行していた馬インフルエンザに罹患し、一度は引退が決定した。しかし引退は撤回され、緒戦のコロネーションステークスを優勝。さらに続くコロネーションカップではプリティーポリー、ザホワイトナイトに続き史上3頭目となる連覇を達成した。その後プチトエトワールは4戦して2勝2着2回という成績を収め、この年のシーズンを限りに引退した。最後のレースとなったキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは前年批判を浴びた後方待機策ではなく2番手を進むという戦法がとられたがレース終盤に伸びを欠いた。
繁殖牝馬時代
[編集]繁殖牝馬としてのプチトエトワールは不受胎や死産が続き、生まれた産駒も目立つ成績を上げることができなかった。しかし死後の2008年、7戦7勝で同年の凱旋門賞を制した牝馬ザルカヴァの5代母として注目を集めた。
血統表
[編集]プチトエトワールの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | フェアトライアル系[2]<フェアウェイ系<ファラリス系[3]<サイリーン系[4]<ベンドア系[4]<ストックウェル系[4]<エクリプス系[5]<ダーレーアラビアン系[5] |
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父 Petition 1944 黒鹿毛 イギリス |
父の父 Fair Trial1932 栗毛 イギリス |
Fairway | Phalaris | |
Scapa Flow | ||||
Lady Juror | Son-in-law | |||
Lady Josephine | ||||
父の母 Art Paper1933 黒鹿毛 イギリス |
Artists Proof | Gainsborough | ||
Clear Evidence | ||||
Quire | Fairy King | |||
Queen Carbine | ||||
母 Star of Iran 1949 芦毛 イギリス |
Bois Roussel 1935 黒鹿毛 フランス |
Vatout | Prince Chimay | |
Vashti | ||||
Plucky Liege | Spearmint | |||
Concertina | ||||
母の母 Mah Iran1939 鹿毛 イギリス |
Bahram | Blandford | ||
Friar's Daughter | ||||
Mah Mahal | Gainsborough | |||
Mumtaz Mahal | ||||
母系(F-No.) | (FN:9-c) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Lady Josephine 4×5、Gainsborough 4×4、Chaucer 5×5、Carbine 5×5 | [§ 3] | ||
出典 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 原田俊治『世界の名馬』 サラブレッド血統センター、1970年