プロジェクト:検証/依頼/水理学と水力学の区別(テスト依頼)
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水理学と水力学の区別(テスト依頼)
[編集]- 検証対象の記述
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- 情報源
- 利用者:青子守歌/利用可能な情報源#水理学・流体力学のどれかに書かれていることを期待。
- 依頼内容
- 「水理学」の冒頭部分に「水力学」とは区別されるとありますが、この箇所には出典が付与されておらず、独自研究の可能性もあるのではないかと懸念しています。そこで、この記述の正確性の検証をお願いします。--iwaim 2009年1月13日 (火) 01:32 (UTC)
- 検証結果
- (検証・対処報告)その指摘された記述を書いた本人ですが検証いたしました。記述自体は水理学#概要に同等なものが書かれていましたのでそこに書かれていた「禰津家久『水理学・流体力学』」を検証したところ、「歴史的・伝統的に区別される風潮がある」との記述が、p.10に見つかりました。ついでにその辺りの情報に関して再検証してみると他にも不正確な情報が見つかりましたので、全体の校正と共に2009年1月13日 (火) 04:45 (UTC)(差分)版にて修正いたしました。--青子守歌(会話/履歴) 2009年1月13日 (火) 04:57 (UTC) 修正版の指定ミス修正。--iwaim 2009年1月13日 (火) 23:37 (UTC)
- (確認)検証ありがとうございます。(出典に対して、という意味で) 正確性の観点からより良くなったと思います。--iwaim 2009年1月13日 (火) 23:37 (UTC)
- (検証・報告結果)Google_Scholarで「水理学 水力学」と入力し、検索したところコンクリート工学というPDFファイルが見つかりました。それを見れば、「歴史的・伝統的に区
分別」されているととれると思います。書かれている個所は、『1. 今,なぜ,応用力学か:流れと応用力学』の、「水理学と流体力学」の章です。--Buzin_Satuma_Hayato 2009年1月13日 (火) 08:58 (UTC)- (コメント・疑問)挙げられたPDFの当該部分、なんだか読んだことがあるなぁと思ったら、著者が「禰津家久」とかかれており、禰津家久『水理学・流体力学』および禰津・冨永『水理学』の内容と重複している部分が多く、どうやらそれらをまとめたもののようです(一部それらの書籍からは見つからない文章もありますが)。ただそのPDFの中では、水理学と水力学の説明はあるものの、「その2つが区別される」という明確な記述は見つけられないのですが、いかがでしょうか(文章の解釈論を展開しなきゃいけなくなりませんか?)。また、そのPDFのタイトルは『応用力学の深淵』だと思うのですが、こちらもどうでしょうか。--青子守歌(会話/履歴) 2009年1月13日 (火) 12:34 (UTC)
- (コメント・回答と質問)たしかに、「区別される」と明記されてはいないですが、「一方」という単語の後に、歴史的な背景説明が行われていたため、「歴史的・伝統的に区別」されていると考えました。「一方」という単語は、例外なく、前者とは異なる説明を行う時に使う言葉だと思っています。そのことから、この資料では「両者は何らかの形で区別されている」と考えました。そのあとに、歴史的・伝統的な背景の説明が入れば、この資料では「水力学と、水理学は歴史的・伝統的に区別されている」といった解釈はされると思います。というか、いまいち、解釈論が展開される状況というのが思い浮かばないので、出来ればどのような解釈が他になされるのか教えて頂きたいです。よろしくお願いします。PDFのタイトルは、Google Scholarで検索した時に出てきたタイトルを、そのまま使いました。--Buzin_Satuma_Hayato 2009年1月14日 (水) 12:20 (UTC)
- (コメント)「水理学と流体力学」だけを読みました。そこをみただけではそもそも「水理学」と「水力学」が同一のものを指し示しているか否かの判断がつかないように思います。別ものだとしたら、区別されるのは当たり前なわけで。
- 《「区別される」と明記されてはいないですが、「一方」という単語の後に、歴史的な背景説明が行われていたため、「歴史的・伝統的に区別」されていると考えました》については、区別する理由として「歴史」があるのか、それとも単に歴史を記述したのかが不明です。ですから「歴史的に区別される」という記述の情報源としては不適格でしょう。--iwaim 2009年1月14日 (水) 12:51 (UTC)
- (コメント)すいません。今頃になってやっと、意味がわかったと思います。「水力学とは、流体力学の一分野。一方、水理学の歴史は云々」といったことをこの資料の「水理学と流体力学」の章で述べていると思いますが、この文章における「一方」という単語は、「水力学とは違い」という解釈と、「水力学の歴史とは違い」という解釈に分かれると思います。つまり、青子守歌さんが述べている通り、解釈論を展開しなくではなりません。また、この資料の「水理学と流体力学」の章に水力学の歴史・伝統等は書いてないですので、「この資料(「水理学と流体力学」の章)では、水力学と、水理学が歴史的・伝統的に区分されるかわからない」ですね。失礼しました。--Buzin_Satuma_Hayato 2009年1月14日 (水) 17:02 (UTC)
- (コメント・回答と質問)たしかに、「区別される」と明記されてはいないですが、「一方」という単語の後に、歴史的な背景説明が行われていたため、「歴史的・伝統的に区別」されていると考えました。「一方」という単語は、例外なく、前者とは異なる説明を行う時に使う言葉だと思っています。そのことから、この資料では「両者は何らかの形で区別されている」と考えました。そのあとに、歴史的・伝統的な背景の説明が入れば、この資料では「水力学と、水理学は歴史的・伝統的に区別されている」といった解釈はされると思います。というか、いまいち、解釈論が展開される状況というのが思い浮かばないので、出来ればどのような解釈が他になされるのか教えて頂きたいです。よろしくお願いします。PDFのタイトルは、Google Scholarで検索した時に出てきたタイトルを、そのまま使いました。--Buzin_Satuma_Hayato 2009年1月14日 (水) 12:20 (UTC)
- (コメント・疑問)挙げられたPDFの当該部分、なんだか読んだことがあるなぁと思ったら、著者が「禰津家久」とかかれており、禰津家久『水理学・流体力学』および禰津・冨永『水理学』の内容と重複している部分が多く、どうやらそれらをまとめたもののようです(一部それらの書籍からは見つからない文章もありますが)。ただそのPDFの中では、水理学と水力学の説明はあるものの、「その2つが区別される」という明確な記述は見つけられないのですが、いかがでしょうか(文章の解釈論を展開しなきゃいけなくなりませんか?)。また、そのPDFのタイトルは『応用力学の深淵』だと思うのですが、こちらもどうでしょうか。--青子守歌(会話/履歴) 2009年1月13日 (火) 12:34 (UTC)