ヘルハルト・ペルス・ライケン
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ヘルハルト・クリスティアン・クンラート・ペルス・ライケン(Gerhard Christiaan Coenraad Pels Rijcken, 1810年1月10日 - 1889年5月2日)は、オランダの海軍軍人である。
安政2年(1855年)にスームビング号艦長として来日。同号は日本に贈呈され、観光丸と改名、日本で最初の蒸気船となった。それから約2年間、長崎海軍伝習所教授として日本に雇用された。主に航海術と運用術を担当し、勝海舟らの第一期生を教えた。スパルタ教官だったと言う。1857年にはヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケがライケンの職を継いだ。帰国したのち、海軍少将で外交顧問兼海軍大臣となる[1]。
後に海舟は川村清雄にライケンの肖像画を描かせており、現在は笠間日動美術館に所蔵されている。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『ポンペ日本滞在見聞記』新異国叢書第10巻、雄松堂書店、1968年、緒言、p. 11.