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ヘンリー・シン (1832-1904)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘンリー・シン
Henry Thynne
ヘンリー・シン卿を描いたカリカチュア
(Spy作, 1877年)
生年月日 1832年8月2日
没年月日 (1904-01-28) 1904年1月28日(71歳没)
所属政党 保守党
配偶者 ウルリカ・シーモア

イギリスの旗 イギリス
王室会計長官英語版
内閣 第2次ディズレーリ内閣
在任期間 1875年12月14日 - 1880年8月21日

イギリスの旗 イギリス
庶民院議員
選挙区 南ウィルトシャー選挙区英語版
当選回数 6回
在任期間 1859年 - 1885年
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ヘンリー・フレデリック・シン卿(英語: Lord Henry Frederick Thynne,PC DL、1832年8月2日 - 1904年1月28日)は、イギリスの政治家保守党所属。バース侯爵家出身で、妻の実家サマセット公爵家の相続問題に介入して、その遺産を奪った。

生涯

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第3代バース侯爵ヘンリー・シン英語版とハリエット・ベアリング(Harriet Baring、1804年5月3日 - 1892年1月2日、初代アシュバートン男爵の次女)との次男として生まれた[1]第4代バース侯爵は実兄にあたる[1]。1858年にサマセット公爵家令嬢アルリカ・シーモアと結婚した[1][2]

1859年に南ウィルトシャー選挙区英語版選出の庶民院議員として初当選、以降は1885年までその議席を占めた[2]。また、1875年から1880年にかけて第2次ディズレーリ内閣下の王室会計長官英語版を務めた[2]。1876年には枢密顧問官に任命されている。これ以降は政界から離れて、ウィルトシャー副統監などの閑職に就いている[2]

1904年に71歳で死去した[1][2]

サマセット公家相続問題への介入

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当時のサマセット公爵家当主第12代サマセット公爵エドワード・シーモア英語版は男子を2人もうけたが、すでに両名とも死去していた[3]。このうち長男エドワードには2人の幼い男子(ハロルドとルース)がいたが、キリスト教に拠らない挙式の末もうけた庶子であった[4]。そこで公爵は爵位こそ継がせることはできないが、莫大な資産のうち公爵家絵画コレクション全てを兄弟に相続させることを一族に周知していた[4]

その公爵が1885年に没すると、折しも議員を引退したシンは妻アルリカとともに相続問題に介入、幼い兄弟に分与された絵画やめぼしい財産を後見人の立場を利用してことごとく売り払った[4]。シンはこの際に兄弟の父エドワードの結婚証明書も処分しており、成人した兄弟がその出生を証明する術も失われてしまった[4]。そのため、第15代サマセット公爵英語版死去に伴って再び継承問題が生じたときも、兄弟は継承権の立証に失敗している[4][5]

家族

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1858年6月1日にアルリカ・フレデリック・ジェーン・シーモア(Ulrica Frederica Jane Seymour、第12代サマセット公爵英語版の次女)と結婚して、四男二女をもうけた[2][3][6]

  • トマス・ウルリック・シン(1861年生 - 没年未詳)海軍軍人。1898年にドロシー・メアリー・ウォーナーと結婚した[6]
  • ジョン・アレクサンダー・ロジャー・シン(1864年生 - 没年未詳)
  • ウルリック・オリヴァー・シン英語版(1871年7月6日 - 1957年9月30日)陸軍軍人。1899年にマージョリー・ウォーモルドと結婚、子あり。
  • オリヴァー・サンモール・シン(1901年生 - 没年未詳)
  • アリス・レイチェル・シン(生年未詳 - 1938年没)
  • アリス・ルース・ハーマイオニー・シン(生年未詳 - 1948年没)

脚注

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註釈

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出典

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  1. ^ a b c d Bath, Marquess of (GB, 1789)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Mosley, Charles, ed (1999). Burke's Peerage, Baronetage & Knightage. 1 (106 ed.). Switzerland: Burke's Peerage. p. 213 
  3. ^ a b Somerset, Duke of (E, 1546/7)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月19日閲覧。
  4. ^ a b c d e 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年、76-81頁。ISBN 978-4469240979 
  5. ^ Duke's Grave - Maiden Bradley”. sites.google.com. 2020年5月19日閲覧。
  6. ^ a b Mosley, Charles, ed (1999). Burke's Peerage, Baronetage & Knightage. 1 (106 ed.). Switzerland: Burke's Peerage. p. 147 
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
シドニー・ハーバート
ウィリアム・ウィンダム英語版
南ウィルトシャー選挙区英語版
1859–1885
同職:シドニー・ハーバート1859–1861
フレデイック・ハーヴェイ=バサースト英語版 1861–1865
トマス・グラヴ英語版 1865–1874
フォークストン子爵英語版 1874–1885
選挙区廃止
公職
先代
第7代ノーサンバーランド公爵
王室会計長官英語版
1875–1880
次代
初代ブリーダルベイン侯爵英語版