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ヘンリー・パーシー (第7代ノーサンバーランド公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サミュエル・アレグザンダー・ウォーカーによる肖像写真、1870年ごろ。
バニティ・フェア』1881年8月27日号におけるカリカチュアテオバルド・シャルトラン画。

第7代ノーサンバーランド公爵ヘンリー・ジョージ・パーシーHenry George Percy, 7th Duke of Northumberland KG PC FRS1846年5月29日1918年5月14日)は、イギリスの貴族、保守党の政治家。政治家としては庶民院議員、第2次ディズレーリ内閣王室会計長官英語版を務め[1]保守党協会全国同盟英語版会長を歴任した[2]。1910年から1912年まで王立協会副会長、1913年から1918年までダラム大学総長を務めた[3]

生涯

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第6代ノーサンバーランド公爵アルジャーノン・パーシーと妻ルイーザ(銀行家ヘンリー・ドラモンド英語版の娘)の息子として、1846年5月29日にメイフェアチャールズ・ストリート英語版で生まれた[1]。1865年4月21日、オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[4]

1868年イギリス総選挙保守党候補としてノース・ノーサンバーランド選挙区英語版から出馬、無投票で当選した[5]1874年イギリス総選挙では無投票、1880年イギリス総選挙では2,163票(得票数1位)で再選した[5]。1885年の第3回選挙法改正によりノース・ノーサンバーランド選挙区が廃止され、パーシーは1885年イギリス総選挙をもって議員を退任した[5]

第2次ディズレーリ内閣において、1874年3月2日に枢密顧問官および王室会計長官英語版に任命され[6]、後者を1875年12月まで務めた[7]。1882年、保守党協会全国同盟英語版会長を務めた[2]

1887年7月23日、繰上勅書により父の存命中にロヴェイン男爵位を継承して、貴族院議員になった[1][8]

1899年1月2日に父が死去すると、ノーサンバーランド公爵位を継承した[1]。同年5月22日にガーター勲章を授与された[1][9]。1911年のジョージ5世と王妃メアリーの戴冠式英語版大家令を務め、聖エドワード王冠を持つ役割を果たした[10]

地方政治では1904年12月13日にノーサンバーランド統監英語版に任命され[11]、1918年に死去するまで務めた[12]。1909年6月、ミドルセックス州議会英語版長老議員英語版に当選した[13]。1892年に民兵隊におけるヴィクトリアエー=ド=カン英語版(副官)に任命され、以降エドワード7世ジョージ5世の即位後にも再任された[3]

1900年に大英博物館理事に就任した[1]。1900年11月22日に王立協会フェローに選出され、1910年から1912年まで王立協会副会長を務めた[3]。1913年5月3日にダラム大学総長に就任[14]、1918年まで務めた[15]

1918年5月14日にアニック・カースルで病死、四男アラン・イアン英語版が爵位を継承した[1]

家族

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1868年12月28日、イーディス・キャンベル(Edith Campbell、1849年11月7日 – 1913年7月6日、第8代アーガイル公爵ジョージ・キャンベルの娘)と結婚[1]、7男6女をもうけた[16]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1936). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Moels to Nuneham) (英語). Vol. 9 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 749–750.
  2. ^ a b Cook, Chris; Keith, Brendan. British Historical Facts, 1830–1900 (英語). London: Macmillan Press. p. 93. ISBN 978-1-349-01348-7
  3. ^ a b c "Percy; Henry George (1846 - 1918); 7th Duke of Northumberland; British Conservative politican". Record (英語). The Royal Society. 2024年9月21日閲覧
  4. ^ Foster, Joseph (1888–1892). "Percy, Henry George (Earl Percy)" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 3. Oxford: Parker and Co. p. 1098. ウィキソースより。
  5. ^ a b c Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. pp. 435–436. ISBN 978-1-349-02349-3
  6. ^ "No. 24071". The London Gazette (英語). 3 March 1874. pp. 1449, 1453.
  7. ^ "No. 24276". The London Gazette (英語). 17 December 1875. p. 6467.
  8. ^ "No. 25723". The London Gazette (英語). 22 July 1887. p. 4001.
  9. ^ "No. 27099". The London Gazette (英語). 14 July 1899. p. 4343.
  10. ^ "No. 28535". The London Gazette (Supplement) (英語). 26 September 1911. p. 7084.
  11. ^ "No. 27744". The London Gazette (英語). 16 December 1904. p. 8634.
  12. ^ "No. 30808". The London Gazette (英語). 23 July 1918. p. 8606.
  13. ^ "Middlesex County Council". Acton Gazette (英語). London. 25 June 1909. p. 7. The British Newspaper Archiveより。
  14. ^ "University and Educational Intelligence". Nature (英語). 91: 258. 8 May 1913. doi:10.1038/091258a0. ISSN 1476-4687
  15. ^ "University and Educational Intelligence". Nature (英語). 101: 357. 4 July 1918. doi:10.1038/101357a0. ISSN 1476-4687
  16. ^ a b c d Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 1807.
  17. ^ a b c d e f Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 2 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 2946–2947. ISBN 978-0-97119662-9
  18. ^ Murphy, Robert Cushman; Amadon, D. (July 1963). "Obituaries". The Auk (英語). Oxford University Press. 80 (3): 414. JSTOR 4082926
  19. ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 750. ISBN 978-0-97119662-9
  20. ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. pp. 804–805. ISBN 978-0-7509-0154-3

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ヘンリー・パーシー卿英語版
サー・マシュー・リドリー準男爵(父)英語版
庶民院議員(ノース・ノーサンバーランド選挙区英語版選出)
1868年1885年
同職:サー・マシュー・リドリー準男爵(子)英語版
選挙区廃止
公職
先代
第7代モンソン男爵英語版
王室会計長官英語版
1874年 – 1875年
次代
ヘンリー・シン卿
党職
先代
第3代ソールズベリー侯爵
保守党協会全国同盟英語版会長
1882年
次代
第8代ボーフォート公爵
名誉職
先代
第4代グレイ伯爵
ノーサンバーランド統監英語版
1904年 – 1918年
次代
第8代ノーサンバーランド公爵英語版
宮廷職
空位
最後の在位者
第9代マールバラ公爵
大家令
1911年
空位
次代の在位者
第4代ソールズベリー侯爵
学職
先代
ジョージ・キッチン英語版
ダラム大学総長
1913年 – 1918年
次代
第3代ダラム伯爵英語版
グレートブリテンの爵位
先代
アルジャーノン・パーシー
ノーサンバーランド公爵
1899年 – 1918年
次代
アラン・パーシー英語版
ロヴェイン男爵
繰上勅書により)

1887年 – 1918年