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ヘンリー・ハワード (第6代ノーフォーク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第6代ノーフォーク公
ヘンリー・ハワード
Henry Howard
6th Duke of Norfolk
ノーフォーク公ハワード家
続柄 第5代ノーフォーク公トマスの長弟

敬称 Your Grace(公爵閣下)
出生 1628年7月12日
死去 (1684-01-13) 1684年1月13日(55歳没)
イングランドの旗 イングランド ロンドンストランドアランデル・ハウス英語版
配偶者 アン(旧姓サマセット)
  ジェーン(旧姓ビッカートン)英語版
子女 第7代ノーフォーク公ヘンリー
父親 第22代アランデル伯ヘンリー
母親 エリザベス(旧姓ステュワート)
役職 軍務伯(1672-1684)
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第6代ノーフォーク公ヘンリー・ハワード: Henry Howard, 6th Duke of Norfolk1628年7月12日 - 1684年1月13日)は、イングランドの貴族。

経歴

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1628年7月12日、第22代アランデル伯爵ヘンリー・ハワードとその妻エリザベス(第3代レノックス公爵エズメ・ステュワート英語版の娘)の次男として生まれる[1]。兄にトマス(第5代ノーフォーク公・第23代アランデル伯爵)がおり、長弟に枢機卿となるフィリップ英語版がいる[2]

若い頃は海外に滞在していることが多かった。彼が200,000リーブラの借金をして国王の説得に当たった結果、1660年に兄トマスにノーフォーク公爵位の復権が勅許されたという[1]

1661年11月4日にはリンカーン法曹院のメンバーとなった[1]

1665年イングランドに帰国し、1666年11月28日には王立協会フェロー(FRS)となる。ロンドンの大火の後の1667年1月にはアランデル・ハウス英語版の一室を王立協会に提供している[1]

1669年3月27日ライジング城のハワード男爵英語版に叙され、貴族に列した。翌4月にはモロッコに大使として派遣された[1]1672年にはノーリッジ伯爵英語版に叙されるとともに、高祖父第4代ノーフォーク公トマスの代まで世襲していた職位軍務伯に就任した(以降2016年現在まで途切れることなくノーフォーク公爵の世襲職であり続ける)。

1673年には議会で審査法が可決成立し、カトリックの国政関与が禁じられた。これについてヘンリーは「祖国は自分にとって常に慕わしい存在なのに、カトリックというだけで祖国への奉仕を禁じられる」と嘆いた。これ以降無気力に囚われるようになり、イングランド外に隠居所を求めることが増えた[3]

1677年12月13日には子のない兄第5代ノーフォーク公爵トマスが死去したため、代わってヘンリーが第6代ノーフォーク公爵位を継承したが、トマスは精神障害者としてヘンリーによって死去までイタリアに監禁された経緯があったため、末弟はこれをヘンリーによる公位簒奪と議会に訴えたが、結局この件は不問となった[4]

1684年1月11日ロンドンストランドのアランデル・ハウスで死去した。サセックス州アランデルに葬られた[1]。爵位は長男のヘンリーが継承した。

爵位

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1669年3月27日に以下の爵位を新規に叙される[5][6]

1672年10月19日に以下の爵位を新規に叙される[5][6]

1677年12月13日の兄トマスの死により以下の爵位を継承した[5][6]

家族

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1652年頃にアン・サマセット(第2代ウスター侯爵エドワード・サマセットの娘)と最初の結婚をし、彼女との間に長男ヘンリーと次男トマス卿の2子を儲けた[5]。長男ヘンリーは第7代ノーフォーク公爵位を継承し、次男トマス卿の二人の息子(トマスエドワード)はそれぞれ第8代ノーフォーク公爵、第9代ノーフォーク公爵となる[7]

ついでジェーン・ビッカートン英語版と再婚し、彼女との間に2人の娘を儲けた[5]。そのうち長女エリザベスは初代ゴードン公爵ジョージ・ゴードンと結婚した[8]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f DNB
  2. ^ 海保(1999) p.165/179
  3. ^ 海保(1999) p.213
  4. ^ 森(1987) p.41
  5. ^ a b c d e Lundy, Darryl. “Henry Howard, 6th Duke of Norfolk” (英語). thepeerage.com. 2014年11月13日閲覧。
  6. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Norfolk, Duke of (E, 1483)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2011年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月18日閲覧。
  7. ^ 海保(1999) p.165
  8. ^ Lundy, Darryl. “Lady Elizabeth Howard” (英語). thepeerage.com. 2014年11月27日閲覧。

参考文献

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  • 海保眞夫『イギリスの大貴族』平凡社平凡社新書020〉、1999年。ISBN 978-4582850208 
  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979 
  • "Howard, Henry (1628-1684)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
公職
委員会制 軍務伯
1672年 - 1684年
次代
第7代ノーフォーク公爵
イングランドの爵位
先代
トマス・ハワード
第6代ノーフォーク公爵
1677年 - 1684年
次代
ヘンリー・ハワード
第17代モウブレー男爵
(繰上勅書により生前に爵位を譲る)

1677年 - 1678年
新設 初代ノーリッジ伯爵英語版
1672年 - 1684年
初代ライジング城のハワード男爵英語版
1669年 - 1684年