コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ベッシー・ビアティー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベッシー・ビアティー
Bessie Beatty
Bessie Beatty in 1927
『Film Year Book』1927年版に載ったベッシー・ビアティー
生誕 エリザベス・メアリー・ビアティー
(1886-01-27) 1886年1月27日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
死没 1947年4月6日(1947-04-06)(61歳没)
教育 オクシデンタル大学
職業
テンプレートを表示

エリザベス・メアリー・「ベッシー」・ビアティー (Elizabeth Mary "Bessie" Beatty、1886年1月27日 - 1947年4月6日) は、アメリカ合衆国ジャーナリスト編集者劇作家ラジオパーソナリティである。

幼少期と教育

[編集]

エリザベス・メアリー・「ベッシー」・ビアティーは、アイルランドからの移民夫婦であるトーマスとジェーン・ボックスウェル・ビアティー夫妻の4人の子どもの一人としてロサンゼルスで生まれ、そこで育った[1]ロングビーチでの子ども時代、赤十字への募金を集めるために子どもショーに出演し、姉妹と共に舞台に立った[2]オクシデンタル大学に入学したが、卒業はしなかった[3][4]

経歴

[編集]

彼女が最初に記者として仕事をしたのは、大学在学中に得た『ロサンゼルス・ヘラルド紙英語版』での仕事だった[5]。1907年から1917年までは『サンフランシスコ夕刊紙英語版』で「余白にて」と題するコラムを連載していた[6]。ネバダ州で鉱山労働者のストライキの記事を取材していた時には、『ネバダ人名録』を執筆出版した[7]。1917年には、ジャーナリスト仲間のレタ・チャイルド・ドール英語版アルバート・リス・ウィリアムズ英語版ルイーズ・ブライアントジョン・リードと共に、ロシアを旅行した[8]。そこで彼女はレフ・トロツキーと共にロシア女性大隊英語版のメンバーにインタビューしたが、その勇気と力強さに大きな感銘を受けた。その時の旅行について彼女は『ロシアの赤い心臓』という本を1918年に出版した。「私は偉大な時を過ごし、それが偉大だと知った」とロシアでの体験について書いている[9][10]

ビアティーは生涯の多くをフリーランスのジャーナリストとして働いた。1918年から1921年まで女性誌『マッコールズ英語版』の編集長だった[11]。彼女は国際ペンクラブのアメリカ事務局長も務めた。1932年には小説家ジャック・ブラック英語版と共著で戯曲『ジャンボリー』を書き、短期間だがブロードウェイ劇場で上演された[12]。1940年から没するまで、ニューヨークの人気ラジオ・ショーの司会を務め、彼女の司会ぶりは『タイム誌』で「何でも知ってる彼女」と紹介された[13]第二次世界大戦中は、彼女のショーで戦争債権を30万ドル販売し、1943年には「芸術と産業の国際女性博覧会」で、年間ラジオ賞を受賞した[1]

活動家として、彼女はフェミニストグループ「ヘテロドキシー英語版」のメンバーだった[14]。1912年に『新規有権者のための政治入門』を書いたが、これは新たに参政権を得たカリフォルニアの女性たちのための小冊子だった[15]。1919年には『ボルシェヴィキのプロパガンダ』についての上院公聴会で証言した[16]

私生活

[編集]

ビアティは俳優のウィリアム・サウターと1926年に結婚した。彼らはロサンゼルスに住み、後にニューヨークへ引っ越した。彼らの飼っていた2匹のテリア犬「ビッディとテリー」は、ビアティのラジオ番組で頻繁に言及され、ファンレターも届いた[17]。ビアティは1947年4月、突然の心臓発作により61歳で没した[1]。翌日には追悼番組が放送された[18]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c "Bessie Beatty, 61, Commentator, Dies; Ex-Editor Broadcast Women's Program on WOR--Former Foreign Correspondent," New York Times (April 7, 1947): 23.
  2. ^ "Red Cross Benefit: Children to Present Tableaux at Long Beach for the Cause," Los Angeles Times (August 12, 1898): 6.
  3. ^ Morgan Flake, "Bessie Beatty: An Exhibition of Twentieth-Century Oxy Alumna and Journalist Bessie Beatty," Occidental College Special Collections & College Archives 2011.
  4. ^ "Sob Sister Now Famous: Bessie Beatty was Under Rifle Fire; Was War Correspondent and Magazine Editor," Los Angeles Times (October 8, 1922): III33.
  5. ^ Patrick Golden, "Bessie Beatty," Editor's Notes, Emma Goldman Papers online.”. 2014年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月10日閲覧。
  6. ^ Katherine Burger Johnson, "Bessie Beatty," in Bernard A. Cook, ed., Women and War: A Historical Encyclopedia from Antiquity to the Present (ABC-Clio). ISBN 1851097708
  7. ^ Bessie Beatty, Who's Who in Nevada (Home Printing Company 1907).
  8. ^ Robert Service, Spies and Commissars: The Early Years of the Russian Revolution (Public Affairs 2012). ISBN 1610392396
  9. ^ Bessie Beatty, The Red Heart of Russia (New York: The Century Co. 1918). ISBN 1173235469
  10. ^ Lisa M. Jankoski, "Bessie Beatty: One Woman's View of the Russian Revolution" (MA thesis, Villanova University 1989).
  11. ^ Jaime Harker, America the Middlebrow: Women's Novels, Progressivism, and Middlebrow Authorship Between the Wars (University of Massachusetts Press 2007): 37-38. ISBN 1558495975
  12. ^ "Jamboree," Internet Broadway Database.
  13. ^ "Radio: Mrs. Know-It-All," Time (September 21, 1942).
  14. ^ Judith A. Allen, The Feminism of Charlotte Perkins Gillman: Sexualities, Histories, and Progressivism (University of Chicago Press 2009): 180. ISBN 9780226014623
  15. ^ Bessie Beatty, "A Political Primer for the New Voter" (San Francisco: Whittaker and Ray-Wiggin Co. 1912).
  16. ^ "Testimony of Miss Bessie Beatty," Congressional Edition volume 7599(March 5, 1919).
  17. ^ "Where She Goes, He Goes: That's Bessie Beatty and Bill Sauter," New York Post(January 22, 1941): L3.
  18. ^ Bessie Beatty memorial program, broadcast April 7, 1947 (Washington DC: Library of Congress Magnetic Recording Laboratory 2002).

関連項目

[編集]
  • 山川菊栄 - 『ロシアの赤い心臓』中の「革命ロシアと婦人」を日本語に訳した(『黎明期のロシア』収載)。

外部リンク

[編集]