ベトナム人民軍総司令部
ベトナム人民軍総司令部(ベトナムじんみんぐんそうしれいぶ、ベトナム語: Bộ Tổng Tư lệnh Quân đội Nhân dân Việt Nam)は、1946年から1975年まで存在したベトナム民主共和国の全軍隊(武装力量)の最高司令機関である。
組織前身
[編集]独立間もないベトナム政府は、旧宗主国フランスとの戦争を想定し、1946年3月2日に全国抗戦委員会 (Ủy ban Kháng chiến toàn quốc[1]) を創設し、主席にヴォー・グエン・ザップ、副主席にヴー・ホン・クアインを選出した。
委員会は1946年5月6日、ホー・チ・ミン政府主席の主席令[2]第60号により、軍事委員会 (Quân sự Ủy viên Hội) へ改名され[3]、略して軍委会 (Quân ủy hội) と呼ばれた。軍事委員会は総務局、参謀局、政治局、総指揮局、越仏軍事連絡検査委員会(蔣介石軍の撤退により任務を引き継いだ)から構成された。
1946年10月28日から11月9日の第1期国会第2回会議は、国防省と軍事委員会を統合し、国防省および総指揮職の創設を決定した。これにより、ヴォー・グエン・ザップ国防大臣は、全国軍総指揮官を兼務することになった[4]。
歴史
[編集]こうして1946年11月、ベトナム国家軍総指揮部 (Bộ Tổng Chỉ huy Quân đội Quốc gia Việt Nam) が誕生した。
1947年4月、党中央幹部会議におけるゲリラ戦・運動戦への移行決定、および国防省による18歳から45歳までの国民の自衛組織(民兵)への参加通知にともない、国家軍・自衛民兵総指揮部 (Bộ Tổng Chỉ huy Quân đội Quốc gia và dân quân tự vệ) へと改名された[5]。主席令第47号によれば、総指揮部は総参謀部(1945年9月7日設立)、政治局(1945年9月設立)、情報局(1947年3月20日設立)、官房、軍訓局(1946年3月25日設立)、監査局、民兵局(1947年2月12日に民兵房が設立、1948年1月改組)から構成された[6]。
1948年4月、国家軍・自衛民兵総指揮部はベトナム国家軍・民兵総指揮部 (Bộ Tổng Chỉ huy Quân đội Quốc gia và dân quân Việt Nam) へ改名された[7]。
1949年3月12日の国家主席令第14号[8]により、ベトナム国家軍・民兵総指揮部はベトナム国家軍・民兵総司令部 (Bộ Tổng Tư lệnh Quân đội Quốc gia và dân quân Việt Nam) へ改名した。1950年7月時点で、総司令部は総参謀部、政治総局、供給総局、監査団、及び官房から構成された[9]。
1954年9月、ベトナム国家軍・民兵総司令部はベトナム人民軍総司令部 (Bộ Tổng Tư lệnh Quân đội Nhân dân Việt Nam) へ改名された。そして1975年、ベトナム戦争の終結とともに、ベトナム人民軍総司令部は活動を終了した。
これらの期間、ヴォー・グエン・ザップ大将は一貫して総司令部の唯一の指導者であり、元来は「総指揮官」(Tổng Chỉ huy) と呼ばれ、1949年から「総司令官」(Tổng Tư lệnh) と呼ばれた。
脚注
[編集]- ^ 漢字表記では委班抗戰全國。また、Toàn quốc Kháng chiến Ủy viên Hội(全國抗戰委員會)とも呼ばれた
- ^ 原語はSắc lệnh、逐語訳をすると「勅令」。
- ^ 1946年5月6日ベトナム民主共和国政府主席令第60号
- ^ 1946年11月30日ベトナム民主共和国政府主席令第230号
- ^ 小髙(2006年)、23ページ
- ^ 1947年5月1日ベトナム民主共和国政府主席令第47号
- ^ 1948年4月14日ベトナム民主共和国政府主席令第165号
- ^ 1949年3月12日ベトナム民主共和国主席令第14号
- ^ 1950年7月11日ベトナム民主共和国主席令第121号